
「性的消費」の何が悪いのか、という問いについて
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BlauerSeelowe
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で、これを言うと必ず「昔からオタクは性的関心が」という反論(?)が必ず来るのだが、それはもう使い尽くされた「歴史の遡及的再構成」、つまりは歴史修正主義の一種として最初から却下されていますので念のため。
2014-11-14 18:48:00
先日の艦これ論争(?)でも、モトケンさんのように艦これの脱衣を「ゲームのお約束」「戦闘ダメージのメタファー」として捉え、性的消費コンテンツとして認識していない人が少なからずいた。そうした主観に基づく認識とクーコさんのように「客観的機能」を問う議論では、どうしても噛み合わない。
2014-11-14 19:00:59
性的消費を「『それ』が美少女であるだけで嬉しい」という程度の男性心理を指しているのなら、艦これの脱衣は「(性的消費を前提とした)ゲームのお約束」「(性的消費を前提とした)戦闘ダメージのメタファー」でしょう。それの何が問題なのか、サッパリわかりませんけど。
2014-11-14 20:29:59
もしその程度のものを性的消費と呼称するのであれば、恋愛やファッション、芸能や芸術、文化、あらゆるコミュニケートが大なり小なり「性的消費」の対象となっているでしょうね。しかし、それの何が問題なのでしょうか。
2014-11-14 20:32:49
オタクが性的関心に引き寄せられていると言うよりは、むしろ、社会全体の性愛領域が広がっていると考えるべきではないでしょうか。宗教的領域が縮小した分、性愛領域が拡大しているのでしょう。その意味では公然色情狂社会というのは当たっているのかもしれません。
2014-11-14 20:38:49
↓性的消費の要素を特に問題視しない点で立場を異にするものの、宗教領域の代位としての性的領域の拡大、という見立ては参照に値するのではないか。宗教モラルが換骨奪胎されつつも社会的規範として機能する社会、宗教の代わりにイデオロギーが規範として機能している社会との違いという意味でも。
2014-11-14 21:09:12
また、宗教規範の拘束力の弱さという点で言えば、歴史的に性的モラル(特に同性愛)について宗教的モラルの脆弱だった前近代の日本で、性愛を題材にしたエンターテイメントが高度に発達したという側面も踏まえる必要はあろう。また、そのような社会で歴史的に女性たちがどのような(続く
2014-11-14 21:15:32
環境に置かれたかということを考えれば、現状を肯定ないし相対化する歴史的前提として前近代以来の「性愛コンテンツの歴史」を引き合いに出すことが有効か、というのは大いに疑問がある。少なくとも「現代の女性をそのまま置いていい」文化的環境でないことは明らかであろう。
2014-11-14 21:18:14
もちろん、宗教的規範の拘束力が強い社会が女性を抑圧した史実も枚挙にいとまがないので、宗教的規範ベースの性規範を手放しで肯定することもできない。しかし、少なくとも「コンテンツによるハラスメント」の問題に関しては、日本社会の規範意識の欠如のほうが悪質ではないか。
2014-11-14 21:22:10
「性の領域が価値の高い恋愛的情感へと組織的に整備され、性的関係における一切の純動物的なものが新たな解釈をあたえられつつ浄化されていき、これに対して、救いの宗教における宗教的意識は愛、つまり同胞倫理と隣人愛の性格をとるようになる、(続)」
2014-11-15 01:42:40
「まさしくそのときに、そうした緊張関係はこの上もなく先鋭化し、また、不可避的なものとなるほかはない。というのは、……恋愛的関係こそが愛の求めるところのものの最高の実現を、つまり、人間と人間とのあいだの魂の直接的な触れあいを保障するものであるかのような観を呈するに至るからである。」
2014-11-15 01:43:26
以上はマックス・ウェーバー「中間考察」からの引用です。よく知られているように、ウェーバーは当該論考において、近代化が経済、政治、芸術、性愛、知的諸領域……等々の世俗内的価値を発展させ、救済宗教の世俗外的倫理との間に決定的な緊張関係が成立することを指摘します。
2014-11-15 01:51:45
宗教の「神」と世俗的な諸価値の「神々」の闘争について、ウェーバーの100年後の日本で生きる私たちは、恋愛的価値=エロスの決定的勝利を観察することができます。二つの人格の間に成立する純粋恋愛、「運命」の関係は、救済宗教が説く救いの論理よりもずっと強く私たちの内面を支配している。
2014-11-15 01:57:46
それは近代社会全体のエロス化の傾向によるものであって、エロス的救済をどこに見るかだけの話なのです。つまり、純動物的な性愛を運命の恋愛という物語に擬制するのか、それとも架空の物語の中に理想の恋愛関係を見いだすのか、その点が異なっているだけで、オタク文化に固有なものではないのです。
2014-11-15 02:03:33
もし「公然色情狂社会」を批判するのなら、社会のエロス化全般を総体的に批判するべきでしょう。かつての社会は神の愛や自然の美しさを(そして自然の一部として人間のエロスを)詩として歌いましたが、私たちの社会では詩はほとんど恋愛の中にしかない。それは、オタク文化だけのことではありません。
2014-11-15 02:10:27
むしろ、非オタク的なメインストリームの文化にこそその傾向を見いだすことができます。バレンタインやクリスマスのような本来の宗教的祭礼をエロス的に読み替え、恋愛=性的能力を人間の本質的価値であるかのように規定したのは、オタクとは最もほど遠い社会の一部分であるように思われます。
2014-11-15 02:18:57
ここまで書いておいてなんですが、私自身は、(仮に恋愛弱者だとしても)こうした社会の傾向を好意的に捉えています。古典的自由主義者である私にとって重要なのは、物語の選択可能性が形式的に担保されていることだけですから、一つの神が支配する世界よりはずっと好ましいものと映ります。
2014-11-15 02:23:04
↓ウェーバーをそのまま持ってくるか。。。もちろん、巨史的に「近代の論理と病理」の一例として位置付ける視点は重要だし、「萌え」や「美少女」などのオタクコンテンツやエログラビアなど、局所的な性的消費を批判するだけで良しとする限界はあるだろう。そこはフェミニズム系の(続く
2014-11-15 02:23:09
性的消費批判も否定しているわけではないし、演繹的ないし巨史的な見方という点ではこの人の議論に近いかもしれない。ただ私個人としては、日本史もしくは日本現代史(広く取れば近現代史)固有の文脈にもう少しこだわって考えてみたい。ウェーバーの理論化で説明しきれるとは(続く
2014-11-15 02:25:44
歴史的条件の違いを考えるとどうしても思えないし、場合によってはウェーバー的な一般化がある種の修正主義ないし弁明史観(ごくありふれた現象なのだから批判するな、など)に悪用される可能性も高い。ウェーバーの理論化が妥当する側面を踏まえつつも、現代日本における固有の(続く
2014-11-15 02:29:31
性的消費の文脈や、現代日本特有の性的加害構造の有無、固有の特性が見られるとした場合の克服可能性など、分節化によって見えてくるものも少なくないと思う。
2014-11-15 02:31:22
↓マジョリティが生み出す性的文化への問いの重要性は同意。むしろ性的消費のあり方そのものは、マジョリティ(特にヘテロ男性)のカルチャーによって規定されている側面が大きく、オタクカルチャーはそうしたカルチャーの延長にあるサブシステムと考えた方がいいのではないか。(続く
2014-11-15 02:36:43
フェミニズム系の議論でも、恐らく本来主敵として想定されているのはヘテロ男性のセクシャリティであるはずで、ただ最近の傾向としてそうしたセクシャリティに基づく性的消費のコンテンツとしてオタク的コンテンツが大きなウェイトを占めるようになり、批判対象として焦点化されたところはあるだろう。
2014-11-15 02:39:23
そもそも私は社会の全般的エロス化を「病理」とは思えないのですね。克服すべき対象だとも思わないし、性的消費大いに結構という立場でもあります。だから、フェミニストの議論がよく理解できないし、彼ら彼女らに「なぜ批判するのか」という問いを立てても、満足な答えを頂いたことがありません。
2014-11-15 02:41:33
エロスに大変な価値観を置く現代日本社会は、確かにそこから疎外された人々(女性や非モテ男性)にとっては搾取構造を取って見ることができるのかもしれませんが、その構造、つまり恋愛からポルノまでを全て転覆させることが可能とも望ましいとも思われないのです。
2014-11-15 02:43:52