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竹端寛 @takebata
これから、ロベルト・メッツィーナさんの講演会「鍵をかけない!拘束しない!トリエステ型地域精神保健サービスを世界へ」の司会です。久しぶりに連ツイするつもりです。  180matto.jp/event.php
竹端寛 @takebata
続 精神病院に入院することによって人間としての権利が限定されたものになる、という事からお話を始めたい。精神病院に入院すると、人間が「モノ」として客体化される。この客体化のプロセスの中で、社会的身体である人間が、諸々の関係性から切り離されていく。
竹端寛 @takebata
続2 こういった人間を「モノ」化する施設では管理する側と入院者の対立の構造が非常にはっきりと現れている。そこでは、スタッフもできる限り良い治療をしたいという意思を持っているはずだが、施設の中では否応なく管理する立場になり、入院患者は管理される側になる、という対立構造がある。
竹端寛 @takebata
続3 フランコ・バザーリアが批判したのは、精神病院のこういうメカニズム。精神医療に関わるスタッフが社会的排除を担わされ、社会的な管理者になる、という事を批判した。精神病院や精神医療の持つ矛盾や社会的排除と闘うという事は、人々に権利を返すための科学を目指すということ。
竹端寛 @takebata
続4 権利を返していく、とは、仕事や家、収入、社会的な関係性を戻すということ。精神病に常につきまとうのは、社会的なつながりから切り離されるので、その切り離されたこれらの権利を取り戻すことは大切。地域社会に参加するだけでなく、地域を巻き込み、地域と共に進んでいくプロセスである。
竹端寛 @takebata
続5 精神病者のリハビリテーションはその人一人だけでなく、地域社会全体に関わる問題。地域の中で市民として生きる権利や使用できる資源の問題である。より広い社会的な文脈として捉える必要がある。重要なのは、病気ではなく苦しみの周りに諸々のニーズがある。
竹端寛 @takebata
続6 医学はそのニーズを一元的に病気と捉える。だがこの病気と中心化したニーズではなく、脱中心化された様々なニーズに取り組み必要がある。地域精神保健システムはより包括的統合的に構築する必要がある。個々人の多様なニーズに対応する必要があり、地域住民全体の健康を考える必要がある。
竹端寛 @takebata
続7 そのニーズにどう対応したらよいか。よく生きるの内実は、選択可能な人生の中で、諸々の機能を獲得していくこと。それがアマルティア・センのいうケイパビリティである。この考え方から言えば、市民権とは受動的なものではなく、本人が能動的に市民になっていくプロセスとしての市民権である。
竹端寛 @takebata
続8 市民権やケイパビリティ獲得のプロセスを可能にするためにこそ、精神病院からの地域移行が大切。単に医療を外で行うだけでなく、より広い意味での市民権を獲得すること。精神医療がそれに寄与するためには、病院の資源を地域に移すだけでなく、地域でのリアルな文脈に出逢う必要がある。
竹端寛 @takebata
続9 青い馬はトリエステのシンボル。精神病院にいた馬が地域に出て行き、その馬の周りに人々のネットワークが出来ていく。この青い馬が出た1975年に二つの精神保健センターが出来て、地域ケアと言うことが可能になっていった。精神病院に変わって精神保健局が作られた。
竹端寛 @takebata
続10 精神保健センターはあるエリアの精神保健サービスを一手に引き受けた。このセンターでは、どんな人でも受け入れる。症状の軽重で選択はしない原則。地域に出た精神保健サービスは個々の患者に対応するだけでなく、家族や地域全体にも責任を持っている。
竹端寛 @takebata
続11 地域に出た精神保健サービスの原則で重要なのは、敷居が低くてアクセスがしやすい事、インフォーマルな利用者との関係性が作られること、スタッフもフレキシブルに対応するサービスである必要がある。治療やケアの連続性、この連続性とは本人が犯罪を犯しても刑務者の中で支援する連続性。
竹端寛 @takebata
続12 クライシスの中心性とは、単に急性期ではなく、その人の人生にとっての危機の状況において、その人にとって重要な時期であり、変化や対立が表面化する時期である。その時期に、病院に入れるのではなく、訪問したりセンターでサポートを行うことで、センターで受け止めることが中心におかれる。
竹端寛 @takebata
続13 強制治療はできる限り最小化すべきという原則でやる。トリエステでは強制入院が年に20人だが、精神保健センターで危機に対応する事で、強制入院が最小化されている。病院のような垂直的なシステムではなく、地域の個々のニーズに対応する柔軟なシステムへの転換をどうしたら良いか。
竹端寛 @takebata
続14 重要なのはチーム支援。多職種チームという狭い意味ではなく、チームに参与する人々の専門性に限定されない、それぞれの人々の人間としての主体性が認められ、ちゃんと評価され、チームの中で活かされる仕事、という意味でのチーム支援である。
竹端寛 @takebata
続15 トリエステではチームの中には専門職ではない人も多く関わる。家族やピアサポート、ボランティアなどがチームを構成する。トリエステでは24時間センターがオープンするので、そこを中心にした地域システムが出来ている。総合病院精神科の急性期病棟からできる限り早くセンターに移される。
竹端寛 @takebata
続16 利用者の90%は直接センターにやってくる。センターは5-8万で一カ所あり、6-8床の入院施設もある。センターのベッドを使って短期間休む事が可能になる。重篤度で選ばず、センターで全ての人を受け入れて対応する。重要なのは社会的なネットワークから切り離されていない場であること。
竹端寛 @takebata
続17 センターは出入り自由である。強制治療の場も、鍵をかけない。鍵で物理的に出るのを阻止するのではなく、人間が話して説得して出ていくのを止めている。拘束もせず、スタッフが付き添い、複雑な危機の状態の時にそばに付き添って、物理的な拘束に変わる対応をする。
竹端寛 @takebata
続18 こういう雰囲気のセンターは、「歓待」の場であり、病院化された場所ではない。比較してみると、病院化の場では秩序化されているが、歓待の場では規則もフレキシブルで、人々に共有される中で生成される規則だし、利用者のニーズに即した時間になる。
竹端寛 @takebata
続19 病院では社会的なネットワークから切り離されるが、歓待の場では社会的なネットワークから切り離されない。精神病院では鍵を閉めて拘束や隔離を行い、システムとして暴力を避けにくい、病気や症状を中心にしたパラダイム。センターは病気ではなく危機、人生の出来事に対応する。
竹端寛 @takebata
続20 病院か地域か、ではなく、ものの見方が違う。生きる存在としての人間が、社会的なつながりの中で生き、かつ危機に陥る。単に病気を治療するのではなく、危機に陥った人間をサポートする際には、人間的な技法に基づいてサポートが行われる必要がある。その視点時点の転換が必要。
竹端寛 @takebata
続21 全体としての人間に対してのサポートという考え方では「責任を持つ」という考え方が大切。地域の中で様々な問題や苦しみを抱えた人のところに行く近さやフットワークの良さ、柔軟性が重要である。責任を担うとは、本人の責任の肩代わりではなく、人生の重荷をみんなで担ぐこと。
竹端寛 @takebata
続21 社会的なネットワークで荷物を分け持って歩いて行く、そこに支援がある。信頼関係が決定的に重要。その信頼関係がベースにあり、その上に様々な治療やケアのプログラムがある。責任を持って働くという仕事の仕方は、入院・外来の二分法とは違い、人々の苦しみや問題を一緒に担うということ。
竹端寛 @takebata
続22 第二部のスタート。クライシスを脇に置かないのがなぜ大切か。当事者の人生について色々知る絶好の機会だから。危機において、普段は隠れている対立や矛盾が表面化する。まさにそこでちゃんと対応することが、その後の治療やケアにおいても決定的に重要になる。
竹端寛 @takebata
続23 クライシスを中心にすることで、苦しみの経験が意味することが理解でき、本当にその人が必要としているものは何なのかを理解できる。その後のケアは「関係性モデル」の中で関係性のネットワークを作ること。最初のネットがセンターチームとなる。
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コメント

tu-ta @duruta 2014年11月24日
まとめに感謝。 なければ自分でまとめようと思ってました。
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