茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1360回「「小学4年生のふり」事件からぼくが考えたこと」

脳科学者・茂木健一郎さんの11月23日の連続ツイート。 本日は、きのうのこと。
27
茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート1360回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、きのうのこと。

2014-11-23 06:52:36
茂木健一郎 @kenichiromogi

「小学4年生」からのツイート、ぼくのところにも@メンションでツイートが来ていた。RTなどをしなかったのは、なんかヘンだな、と思ったからだ。本当に小4がつくったとは思えなかった。それで放置していたが、こんな騒ぎになるとは思わなかった。 pic.twitter.com/keQcOzwQgX

2014-11-23 06:55:32
拡大
茂木健一郎 @kenichiromogi

この「事件」についてはいろいろな感想を抱く人がいるだろうが、ぼくが思い出したのはチューリング・テストのことである。コンピュータの数学モデルをつくったアラン・チューリングは、コンピュータが人間と同等の能力を持つとみなされるためには、「人間のふり」をしなければならないと考えた。

2014-11-23 06:56:49
茂木健一郎 @kenichiromogi

人間、そして「人間のふり」をするコンピュータの双方とチャットして、両者の区別がつかない時に、コンピュータは人間と同等の能力を持つと認めよう。これが「チューリング・テスト」である。まだ合格するコンピュータは、出現していない。

2014-11-23 06:57:41
茂木健一郎 @kenichiromogi

「チューリング・テスト」が提案された1950年の論文の中で、チューリングは、「女のふり」をする男と、「ほんものの女」が区別がつくか、という問題設定をしていた。チューリングは、同性愛者であった。「ふり」というのは、知性の本質にかかわる、実に興味深い問題である。

2014-11-23 06:59:30
茂木健一郎 @kenichiromogi

さて、今回の「事件」についてだが、要するに20歳の人間が、小学校4年生(10歳)の「ふり」をしようとしたということである。最近「半成人式」というものが行われるようだが、成人が、半成人のふりをしようとした。ここで興味深いのは、20歳の人は、10歳だったことがあるということだ。

2014-11-23 07:01:28
茂木健一郎 @kenichiromogi

「女のふり」をする男は、女だったことはないし、「人間のふり」をするコンピュータは、人間だったことがない。一方、20歳の人間は、10歳だったことがある。つまり、10歳のふりをするということは、「上手に思い出す」ということである。ところが、これがなかなか難しい。というか不可能だろう。

2014-11-23 07:02:45
茂木健一郎 @kenichiromogi

人間は、一度ついてしまった智恵を捨て去ることは難しい。20歳の人間が、10歳だった頃のことを本当に思い出すことができたら、それは素晴らしいことだと思うが、なかなか思い出すことはできないのである。40歳の人間が、20歳だった頃を思い出すことも、なかなか難しい。

2014-11-23 07:03:45
茂木健一郎 @kenichiromogi

ぼくは今52歳なので、自分が半分の26歳だった頃のことを思いだそうとして、今やってみた。なかなか難しいと思う。あの頃の無知や、不安や、気合いや、希望や、焦燥や、そんなものを、うまく思い出せたら、「26歳のふり」ができると思うが、なかなか難しいことだなと思う。

2014-11-23 07:04:51
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上が、「小学4年生のふり」事件からぼくが考えたことであった。結論としては、若者は「やらかす」ものだということ以上でも以下でもない。分別がついた大人は、若者が「やらかす」ものだということを上手に思い出すのが難しくなっている。そして、そんな若者自体が、絶滅危惧種になっている。

2014-11-23 07:07:13
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第1360回、「「小学4年生のふり」事件からぼくが考えたこと」のテーマで、9つのツイートをお届けしました。

2014-11-23 07:08:01