カント『プロレゴーメナ』の英文要約がなされている英語版ウィキペディアを意訳し、岩波文庫版とEarly Modern Philosophy(英語の意訳版)などの内容から補足も加える。

カントの『プロレゴーメナ』を日本語訳と英語訳と共に読み進めている。英語版のウィキペディアではわかりやすい要約がなされており、読めば理解を促される。それを岩波文庫の日本語訳とEary Modern Phillosophyの英訳の内容で補足しつつ、わかりやすい日本語になるように意訳していきます。 Wikipediaの翻訳部分は太く強調してます。 ソース: 続きを読む
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リンク Wikipedia Prolegomena to Any Future Metaphysics Prolegomena to Any Future Metaphysics That Will Be Able to Present Itself as a Science (German: Prolegomena zu einer jeden künftigen Metaphysik, die als Wissenschaft wird auftreten können) is a book by the German philosopher Immanuel Kant, published in 17
福田陽二郎 @perceptualreco

形而上学の諸原理はア・プリオリなもので構成される。ア・プリオリとは、外的な経験(物理的な経験)にも内的な経験(心理的な経験)にも由来しないということである。形而上学の知識とは、ア・プリオリな純粋知性と純粋理性を対象とする哲学的な認識のことである。

2015-09-10 01:26:13
福田陽二郎 @perceptualreco

a. 分析的知識と総合的知識の違い 分析的判断が成されている文(主語と述語を持つ文)の中にある述語は、主語の意味範囲を超えて認識を広げるような新しいことを述べない。既に主語の中に含まれている概念の詳細を追加していくだけである。かくして分析的判断は詳細を解き明かしていく。

2015-09-20 10:33:36
福田陽二郎 @perceptualreco

対して総合的判断は意味の拡張を行う。総合的判断の文の中にある述語は、主語の中に含まれていなかった概念を含んでいる。主語が持つ概念に新たな何かを付け加えることよって認識が深まるのである。

2015-09-10 01:30:54
福田陽二郎 @perceptualreco

Wikipediaには述べられていない部分への補足: 例えば、「黄金は黄色の金属である」という判断が分析的判断である。黄金という概念の中には、既に「金属である」「黄色である」という概念が含まれており、経験を通したさらなる探求を必要としない。(岩波文庫版35ページの内容に該当)

2015-09-10 01:34:02
福田陽二郎 @perceptualreco

b. 全ての分析的判断は矛盾律の原理を有するen.wikipedia.org/wiki/Prolegome…

2015-09-10 01:35:18
福田陽二郎 @perceptualreco

分析的判断を行う肯定文の中で述語が述べる内容は、既に主語の中に含まれている。主語が否定されるのは、述語との間で矛盾が起きる時だけである。全ての分析的判断はア・プリオリである。

2017-03-26 11:04:06
福田陽二郎 @perceptualreco

1. 経験に基づく判断は常に総合的判断である 分析的判断は経験に基づいて行われるものではない。分析的判断は、命題の主語に含まれている概念にのみ基づいており、さらなる経験を必要としない。総合的判断の実例として数学を次に述べる

2015-09-10 01:37:52
福田陽二郎 @perceptualreco

2. 全ての数学的判断は総合的判断である

2015-09-10 01:38:13
福田陽二郎 @perceptualreco

純粋数学の知識は、その他のア・プリオリな知識とは異なる性質を持つ。純粋数学の知識は総合的なものであり、単に命題の主語を概念的に分析するだけでは得ることができない。数学は、諸概念の直観的な組み合わせによって作られる。算数の和は、直観によって導入された計算方法によって生み出される。

2015-09-10 01:39:17
福田陽二郎 @perceptualreco

(続き)「二点間の最短距離」のような幾何学的な諸概念も同様の直観を通してのみ知ることができる。

2016-09-07 19:12:06
福田陽二郎 @perceptualreco

補足:例えば7+5の和は、手の指を用いるなどの直観的な方法で導かれるのであり、「7と5を合わせる(そして新たに一つの数を作る)」という主語の概念をいくら分析しても12は出てこない。主語の概念の外に行くためには直観を必要とする。幾何学的な概念も同様。(岩波文庫版37ページに該当)

2015-09-10 01:42:57
福田陽二郎 @perceptualreco

補足(岩波文庫版39ページに該当):「直線は2点間の最短距離である」という概念は、直線が持つ概念(まっすぐであるという性質)からは生じ得ない。

2015-09-10 01:45:15
福田陽二郎 @perceptualreco

(続き)例えば直線という概念の中に含まれているのは「まっすぐである」という性質であり、「短い」という量ではない。したがって、「直線は2点間の最短距離である」という概念は、直線が持つ概念(まっすぐであるという性質)からは生じ得ない。

2015-09-10 01:45:44
福田陽二郎 @perceptualreco

(続き)直線という概念をいくら分析しても最短という概念を引き出すことはできない。直観によって量の概念を付け加えることによって成立するのである。まっすぐという主語と最短である述語は必然的に結びつくのだが、それらは別々の概念である。

2015-09-10 01:46:05
福田陽二郎 @perceptualreco

補足(岩波文庫版41ページに該当):つまりカントは数学を、概念を分析し続けていけば広がっていく学問とは考えていない。カントによればヒュームを含むカント前の人達はこのことに気づいておらず、矛盾律に従う分析的判断によって数学が発展していくと考えていた。

2015-09-10 01:47:19
福田陽二郎 @perceptualreco

補記:ここでカントの言う直観とは何かを理解するために、EMTからの意訳を掲載し、関西学院大学・鎌田康男教授のゼミナールでの記録(semi.natura-humana.net/2009/harubunke…)の一部を引用する。

2016-09-06 22:58:01
福田陽二郎 @perceptualreco

(ゼミナールの記録から引用)感性を介して我々は対象を直観する。この状態が経験的直観である。感性とは、表象を 受けとる能力、つまり五感を意味する。視覚、触覚などで感じたことによって、そこに対象があることを認識するのである。

2016-09-06 23:03:38
福田陽二郎 @perceptualreco

(続き)もう一つの直観である純粋直観と は、認識の原理である。認識においてそもそもの根底にあるという意味で認識の原理といわれている。それは我々の心に対象に関する一切の知覚よりも前に備わっている感じ方である。悟性、感性に関するものを含んでいず、残っているのは延長と形態だけである。

2016-09-06 23:04:41
福田陽二郎 @perceptualreco

(続き)空間と時間は純粋直観である。延長と形態で表象するものは他の表象とは異なる。他の色などの表象は、文化や状況などに影響されて人間の間でも異なるものである。しかし延長と形態は、人間の頭の中では一致している。

2016-09-06 23:06:16
福田陽二郎 @perceptualreco

(続き)たとえば、目の前にある携帯電話の色や硬さの捉え方は人によって異なっても、その形は、少なくとも人間の間では同じように捉えるだろう。

2016-09-06 23:07:05
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