海上自衛隊の飛行機乗りを満期定年した実父が数年ぶりに劇場に見に行く映画としてキムタク実写ヤマトを選んでいます。あさって行く予定ですが、どうしたらいいでしょうか。

私の父の海上自衛隊生活、航空学生からP-2J、P-3C搭乗・指揮、そして統幕本部勤務、P-X開発、定年までの話。ちなみにきっかけはその温厚で実直な父が、定年後もろくに取らなかった休みで実写版大和を見に行こうと言い出したこと。父は無事、映画館から帰ってこれるだろうか!(じょじょ、冗談です~)
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米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

[緩募]海上自衛隊の飛行機乗りを満期定年した実父が数年ぶりに劇場に見に行く映画としてキムタク実写ヤマトを選んでいます。あさって行く予定ですが、どうしたらいいでしょうか。私も未見なだけに、見たあとのことが想像もつきません。アドバイスお願いします。

2010-12-03 00:51:23
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

ちなみに父はキムタクの特攻隊映画「君を忘れない」は松村邦洋がゼロ戦乗りの訓練生として出てきた途端、無言でチャンネルを変えました。それも穏やかな表情で。だから余計あとが想像もつかないのです。

2010-12-03 00:55:00
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

逆に「紅の豚」ではローマへ嵐の中飛ぶときの「エンジンちゃん」と呼ぶセリフに、「昔、俺もよくそう思ったよなあ」と感心していました。それがほんと定年後すぐからずっと頑張って母の家業を手伝ってきて、久々の休み(それもおできの手術の後というわずかな合間の合間!)に行くのです。

2010-12-03 01:01:49
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

ろくに休みを取らずに地域の仕事も家業の工芸の仕事もやってきた父。唯一晩酌をして眠るまでの寸時の酩酊だけが安らぎで、ほかは現役時代を思わせる態度でずっと実直に働いてきた父。それがおできができたから病院で取ってもらうことになり、そこでその後の時間「じゃあ久しぶりに映画でも観るか」と。

2010-12-03 01:06:15
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

女性パイロット自身は父が定年を迎えた厚木51空でも部下にP-3Cの機長として女性がいたので偏見はないと思います。有能な女性パイロットが頑張っている自衛隊です。しかもラストフライトを見に行ったとき、案内してくれた彼女は美人でした。外見だけは黒木メイサでも許容できるかも。でも…。

2010-12-03 01:11:24
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

私たちのように3ヶ月に1回ぐらいで劇場に行くペースだったら、多少のがっかり映画でも「じゃあ、蔦屋にもよるか」ぐらいで済みます。でも父は2年近く劇場にご無沙汰で、しかも初代アニメのヤマトの時に航空学生で波動関数を学びながら、なるほど波動砲か、とそれなりに楽しんでいたらしいのです。

2010-12-03 01:15:12
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

だからそれなりに楽しみを見出すと思うのですが…。最悪、「タバコ吸いにいくわ」と館内から出そうな気が。でもそれが定年後も続けた仕事の日々にようやくおできの手術ということでできた時間で、しかも結構楽しみにしているかもしれない。それが喫煙所への退避になったらと思うと!

2010-12-03 01:23:30
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

とはいえ父上は父上なので、CGとかVFXについて「だけ」鑑賞することもできるとは思うのです。それができないほど狭量ではない人です。ましてヤマトの「様式美」については、SFマニア的なツッコミも出来れば「様式美」としての理解もできる人です。でも私はゆとり戦艦キムタクと聞いてしまった!

2010-12-03 01:28:32
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

もちろん大丈夫だとは思うんですけどね。ちょっと今から私もどうしていいかと思ってしまいます。極めて普通に「あ、見たよ、うん」と言ったあとの「穏やかな無言」が想像できてしまうのです。

2010-12-03 01:33:58
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

やばい、この件については意図的に風評を聞かないようにとE655系模型を作っていたのに、たった今猛烈な勢いでググり始めようとしてしまった…おそるべしキムタクヤマト。

2010-12-03 01:39:40
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

ちなみのその穏やかだけど実直な父は、「アルマゲドン」には「もういい加減何とかならぬものか」と珍しくご立腹でありました…どうしたらいいんだ私は。

2010-12-03 01:41:35
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

でも、なんとなく覚悟は決まった。映画の後で久しぶりに父は酒、私は烏龍茶を酌み交わそうと思う。多分父上の心のなかを察すると、そうするしかなさそうだ。覚悟だけは決めた。

2010-12-03 01:48:57
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

ちなみに父の現役時代は冷戦真っ只中で、P-2VやP-2Jでソ連艦船や潜水艦とぎりぎりの緊張の中対峙し、意味不明に自らに向けられたソ連艦の対空砲の砲口にも動じないメンタルをもっていた。大韓航空機撃墜の時も冷静だった。そしてソ連崩壊後の9・11のあの時も冷静だった。

2010-12-03 02:01:50
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

案外子供でしかなかった私と、心配することしかできなかった母のほうが狼狽えたりしていたような。でもどっちになるかな。平和で何よりと思うか、もう内なる何かは滅びたと思うか。

2010-12-03 02:09:10
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

ちなみに父は一時期、P-3Cでロシアの防空艦に立ち向かうときは水杯な、と笑っていた。当時のF-15Jはロシア機の長射程空対空ミサイルにアウトレンジされ、護衛の役に立たないと危機感を持っていた。教導団が模擬したロシア機からF-15は逃げるのがやっと。P-3Cは逃げることもできない。

2010-12-03 02:11:47
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

まあそれは一時期で、今はわからない。空自F-15Jには当時とは全く違う空対空ミサイルの搭載運用能力が付与されたし、また対艦攻撃は空自F-2と海自P-3Cの分担になり、さらにはP-3Cもどんどんアップデート、後継機もできて今の状況は私は知らない、ということにしておく。

2010-12-03 02:15:00
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

〈こんごう〉が海自に配備されてすぐのころ、「すごいぞ! 対抗演習やった空自の一個航空隊が全滅の判定だぞ!」と口にしていた。海自のネックは長い間航空飽和攻撃への脆弱さだった。防空能力は米空母機動群、海自は対潜戦と分担がほぼ決まっていた。だから独力では生き残れないと分かっていた。

2010-12-03 02:22:06
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

海自に革命を起こしたイージス艦〈こんごう〉の伝説は広く知られていると思う。正直、「使い道に困らない戦艦大和」というぐらいの評価だったような。SPYレーダーの電波が強力すぎてその使用中は上甲板から全員退避せねばならないなんてのも、大和の主砲砲撃時と同じと伝説になっていた。

2010-12-03 02:26:34
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

本当にイージス艦のレーダー・SPYの電波は強力で、もはや電子レンジに近いという話があった。架空戦記でもよくネタにされた話だが、それは本当らしく、前甲板から前部上部構造物に入るハッチがあるが、あそこにすぐに退避するようにしているという。

2010-12-03 02:30:42
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

その父がツッコミを入れていたのがミッション・インポッシブル(1)だった。あれで金庫室に換気口があって、そこからトム・クルーズが侵入を図るのだが、換気口なんか開ける訳無いじゃん、潜水艦だって換気口なくても炭酸ガス処理と熱処理できているんだから、と面白がりながら言っていた。

2010-12-03 02:34:52
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

そんな父は航空学生出でパイロット資格もあり、同期がパイロットとして活躍し、そののちに民間に行ったものもいた。教育風景は命のかかった航空機操縦なので、教官は学生を指導するときにヘルメットの上から殴って自分の拳の骨を折ることもあったという。しかしそれも身体に叩き込むには必要だった。

2010-12-03 02:39:11
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

体罰はいけないと一般の教育では言うが、飛行機操縦は間違えたら死が待っている。真剣そのものだったが、父はそれがいやで、長身を活かして殴れないように練習機の椅子をいちばんうしろまで下げたという。そうしたら、教官は手順を間違えた罰に、父の鼻をつまんだという。教官の方が上手だった。

2010-12-03 02:42:58
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

座学と呼ぶ理論や法規・語学の勉強では、体罰はなかったがそのかわり毎週試験で、その試験にパスしなければ即座に除隊、クビであった。当時すでに父は母と結婚、私も生まれていた。パスはもう家庭を持つものとしても絶対だった。勉強が嫌で入った航空学校で、結局一番勉強する羽目になったという。

2010-12-03 02:46:44
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

厳しい試験、厳しい訓練だった航空学校では、厳しいが教官も真剣そのもので、試験で落とすのにも、初歩でダメなら容赦なく不可で退去だったが、進んでいくに連れて学生が飛行士としてどう生きて行くかまで教官は判断して、落とすのも悩んだ末だった。その真剣さに、学生たちも厳しさの中結束していた。

2010-12-03 02:51:33
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

そんな航空学校だからこそ、同期、同学年のつながりは強く、以来何十年となって皆定年を迎えてさらに何年も経った今でも、メーリングリストを作って同期会で集まったりしているらしい。さすがに歳なのでなくなった方もいる。でもほとんどがベッドで死を迎えられたのは幸せだ。悲しい例外もあったのだ。

2010-12-03 02:56:11
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