- seikai_m10
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@reki_nari 死とは何か。考えた事があるだろうか。…これは我の考えに過ぎぬが…手段であり、目的であり、陰陽道というものを極める為もっとも必要なもの。この生業をしている者としては、そう答える。
2014-11-02 23:47:29@reki_nari だが、一個人としては、また別の回答もある。我、蘆屋道満からはもっとも遠いモノだ。…何故こんな事を言いだすかは後できちんと説明する故、さらっと受け流してくれ。
2014-11-02 23:50:43@reki_nari …話を戻す。何故我から遠いのか、幾つか理由はあるが…大きなものとしては三つだ。一つは、生を受けた日も、死を受け入れた日も分からぬ事。 これは、名を残した人の中にも当てはまる事だろう。
2014-11-02 23:55:27@reki_nari だから、我に限った話ではない。だが、我がそのせいで死の感覚、生の感覚が薄れているのもまた事実。もう少し分かりやすくいうと、我という存在が実在しているのか、我にもあやふやということだ。
2014-11-02 23:58:02@reki_nari 記憶が消えてしまった部分を探そうにも播磨法師は一括りにされている事が多くてな。我が名で無かったりするんだ。そうすれば更に記憶は薄まる。 自身が自身であるという証明が誰にも出来ぬように、客観的な見方がない限り、自身の存在が分からなくなる。
2014-11-03 00:01:36@reki_nari …二つ目は、我が不老不死である伝説がある事。若狭の方の言い伝えに八尾比丘尼という人魚の肉を食べ、不老不死となった娘の父で、我もまたそれを食した。とある。故にまだ生きている可能性もあるということだ。
2014-11-03 00:08:38@reki_nari 最後に、我が人を殺めていた事だ。世は二つに分けることが出来る陰陽の様に。対なるものとして。殺める者と殺められる者。死が近いのはどちらか分かるだろう。我は基本的に我は殺める者なのだ。
2014-11-03 00:13:36@reki_nari 死とは何なのか。我はその答えが出ている。陰陽道を生業とする者として、そして蘆屋道満として。なれば人は更に疑問を感じるものだ。…何をもってして死とするのか。我は次にこれに行き着いた。
2014-11-03 00:21:01@reki_nari …長年思い続けてきた疑問だ。だが、我は答えを得ることが出来なかった。此処に来るまでは。
2014-11-03 00:26:01@reki_nari この記憶は自身のものではないぞ。正しく言い直すと人は他者の記憶をもって死とする。だな。
2014-11-03 00:40:03@reki_nari 死とは何か。蘆屋道満としての考えの一つを語ったときに、話したが、客観的な見方がない限り、記憶は薄まる。あやふやになる。それは、果たして個として生きているんだろうか。
2014-11-03 00:53:47@reki_nari 故に。忘れないでくれ。我だけではなく、この場所で縁を繋いだ者達を。其方らが忘れぬ限り、この場所に居る、居た者達は、個としていられる。 永遠に個を成立する事が出来る。
2014-11-03 00:59:56@reki_nari この場所であった事、話した事、全てが個を成立させる。そして、成立している限り、肉体は朽ちても、生きていける。
2014-11-03 01:01:40@reki_nari …無論、安倍晴明も然りだ。 我、生涯の敵。それを忘れぬ限りあれは消えん。この場においてのあれはな。
2014-11-03 01:06:42@reki_nari …ここに来て初めて我に安倍晴明と関わりがない個が出来た。…だが、我は、我の元は、あれがいないと存在すら出来なくなる。
2014-11-03 01:17:53