暁美ほむらの「愛」―揺るぎない自己肯定
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暁美ほむらは言います。「思い出したのよ。今日まで何度も繰り返して,傷つき苦しんできた全てが,まどかを思ってのことだった。だからこそ,今はもう痛みさえ愛おしい」と。一見すると狂愛を示唆する言葉のように見えますが,そうではありません。これは揺るぎない自己肯定を示唆する言葉です。
2014-12-08 15:42:52「愛おしい」とは,別の言い方をすれば,「大切なものである」,といったところでしょう。ほむらにとってまどかは大切な存在で,だからこそ,そのまどかを巡って抱いてきた思いは,例えどんなものであっても,大切なものであるのです。
2014-12-08 15:43:11魔法少女になり,まどかの隣で戦い,これでまどかを護れると思った時。その時にほむらが抱いた希望は,希望と言う言葉では言い表せないほど「熱いモノ」だったに違いありません。
2014-12-08 15:43:25ワルプルギスの夜に何度挑んでも勝てず,ループすることはまどかの因果を増やすだけだと知った時。そしてまどかが身を挺して実現した《円環の理》をインキュベーターが乗っ取らんとしていることを知った時。その時にほむらが抱いた絶望は,(続く)
2014-12-08 15:45:45しかしそんな「希望よりも熱いモノ」そして「絶望よりも深いモノ」を経た来たのも,全て自分が崇敬するまどかの意思を実現するため。そして今や,まどかの意思を実現するのです。だからこそ,自分が例えどんな姿になったとしても悔いはないし,今まで積み重ねてきた労力は掛け替えのないものなのです。
2014-12-08 15:46:07まどかはほむらにとって掛け替えのない存在であり,大切な存在であり,護るべき存在です。だから,ほむらがまどかに向けて言葉を贈るのであれば,きっとこうなるでしょう。
2014-12-08 15:46:37「あなたは私にとって,掛け替えのない存在で,大切な存在なの。だから,例えあなたと肩を並べられないとしても,あなたに関われないとしても,私は遠くからそっとあなたを守護しているわ」。これを一言にまとめて,ほむらはまどかのことを「愛している」と言うのでしょう。
2014-12-08 15:46:47今まで,ほむらにとって「希望」と「絶望」は,正反対の対立するものでした。希望は魔法少女そのもので,絶望はワルプルギスの夜を筆頭とする魔女そのものだからです。
2014-12-08 15:46:54ほむらは『[新編]叛逆の物語』の中盤,マミとの会話の中でも,さやかとの会話の中でも,明確に魔女を敵であると断じています。そしてその後,ほむら自身が実は魔女になりかけていることを知った時,悲鳴を上げて嘆きました。
2014-12-08 15:47:09しかし,『[新編]叛逆の物語』の終盤,インキュベーターとの会話において,ほむらは「希望」と「絶望」を「愛」という言葉によって包括します。まどかのために抱いた希望と,まどかのために抱いた絶望は,互いに対立するものではない。どちらも「まどかを思ってのことだった」。
2014-12-08 15:47:17「まどかを思ってのことだった」という点において,どんな希望も,どんな絶望も,全てが掛け替えのないものである,と。この包括によって,希望と絶望は対立関係を失い,それぞれはまどかのための労力という掛け替えのない出来事の一つ一つとして位置付けがし直されるのです。
2014-12-08 15:47:42補足
>まどかの意思は2つあります。「3周目のまどかが託した約束」と「最終周のまどかが望んだ結末」。
上記に関しては,下記をご覧くださいませ。
『その焔の照らす先へ』 http://togetter.com/li/660175