「ひぐらし」の登場人物は なぜ、“罪”を問いかけるのか?
思考の切れ端 漫画版ひぐらしのなく頃に罪滅し編1~3巻 感想 http://j.mp/ee3UYh ひぐらしのなく頃に解 罪滅ぼし編名言http://j.mp/idiqEk ひぐらしにおける“罪”とは“隠す”ことなんだろうか。日本の“恥”を“罪”と言い換えているようにも読める
2010-12-05 11:17:46@KNZ00 ちょっとだけ気になったので、横から失礼します。個人的にはひぐらしで描かれている罪観は、“隠す”というよりは“赦す”って印象です。ただ、“赦す”のが神ではなく身近な人間なので、そういう意味では“恥”に近いところもあるように思います。
2010-12-05 11:27:59@womba90 ありがとうございます。宗教の教養がないため、“恥”と“罪”の概念のちがいを理解できず。自分にとって理解しやすい“恥”の文脈で解釈しました。 “罪”を“赦す”に同意です。罪は責めるものではなく、認めるものだ、という文脈で書かれているんだろうな、と感じました。
2010-12-05 11:38:38@womba90 “隠す”と書いたのは、皆殺し編で「仲間に打ち明けることの大切さ」をレナが語っていたことから、「(罪/恥を)打ち明ける」の対義として「(罪/恥)を隠す」という表現を使用しました。
2010-12-05 11:44:23@womba90 “赦す”について、ひぐらしとは関係ないであろう個人的な印象ですが…“赦す”ことができるのはあくまで本人自身であって。周囲の人ができるのは、その人が自分を赦せるように手助けすることまでなのかな、と思いました。 うぉんばさんの解釈、もっと詳しく教えてほしいです。
2010-12-05 11:47:56@KNZ00 私も、一応教会のお世話になっていながらも、罪の概念は正直よく分かりません(苦笑) また、ひぐらしにおける罪の概念も、イマイチ捉えづらいところがあります。ただ、ひぐらしにおいて最も中心に描かれているテーマは信頼関係だと考えており、それに基づいて罪も解釈しています。
2010-12-05 12:04:10@womba90 ありがとうございます。なるほど、信頼関係というテーマに基づいた罪の解釈なのですね。勉強になります。
2010-12-05 12:16:42@KNZ00 いろいろ思うところはあるのですが、なかなか文章にするのが難しいですね…。元来、キリスト教などでは罪は神によって赦されるものとされてますが、祭囃し編では神である羽入が鷹野を赦すと言ってもそれは鷹野本人の心には届かず、富竹によって初めて“届いた”ものでした。
2010-12-05 12:17:09@KNZ00 また、鬼隠し編のフレデリカの詩でも筆者(フレデリカ)は「あなたを許します」と言ってますが、「どうすれば私を許して(=受け入れて、と解釈してます)くれますか」と問うて終えています。
2010-12-05 12:24:40@KNZ00 このことから、ひぐらしでは罪は一方的に誰かが許すことで終わりではなくそれを受け取ることのできる“信頼関係”に焦点が当てられていると思ってます。
2010-12-05 12:24:59@KNZ00 人間関係の中におけるものという点で、やはり“恥”に近いところはあるのかなと思いました。罪滅し編ではレナのリナ・鉄平殺しの罪(犯罪)よりも、仲間への不信の罪に主に言及され、実際圭一たちは死体遺棄の犯罪に加担してでもレナの味方になることを選んでいますし。
2010-12-05 12:33:38@womba90 なるほど…勉強になります。神であっても一方的に誰かが誰かを許すことで終わらせない、という関係があるのを強く感じます。 “オヤシロさま”は神から人間になることで、初めて誰かが自分の罪を受入れる手助けをできるようになったのかな…?と思いました。
2010-12-05 12:37:02@womba90 罪滅し編は、他者に罪を知られながら、罪が赦されなかった結果でもあるのですね。うみねこEP7お茶会の、黄金部屋での諍いも、そういった不信から始まったのかもしれないな…なんて事を思いました。
2010-12-05 12:40:40@KNZ00 罪の赦しは、最終的に本人が受け入れられるかどうかが全てですので、そういう意味で正確には本人にしか赦せないものということに同意です。ただ、ひぐらしの出題編で多く描かれているように自分自身の思考でがんじがらめになることもままあるので、
2010-12-05 12:42:59@KNZ00 うまく言葉にできなくて脱線してしまったり一方的になってしまいました、すみません(苦笑) ええ、ひぐらしにおいては神という遠い存在以上に身近な存在(仲間)の重要性が描かれていると思います。個人的には(キリスト教的)神は遍在されるので、遠くはないと思ってますが(^^;)
2010-12-05 12:53:46@womba90 一方的には感じませんし、そうであったとしても、自分の知らない事を教えてもらえる方が嬉しいです。お気遣いありがとうございます。 聖書の“天にも地にも、わたしは満ちている”という表現、好きです。
2010-12-05 13:10:40@womba90 ありがとうございます。仲間の信頼関係が重要になるのですね。 前に「自分は相手を助けることができる」という傲慢さで人を傷つけたことがあり、自分に言い聞かせるための言葉でした。 富竹と鷹野のような、しっかりとした信頼関係こそが、ひぐらしにおける重要な要素なのですね。
2010-12-05 12:54:05@KNZ00 そのような経緯があったのですか…そうとは知らずに失礼しました。あくまでも、自らの殻に閉じ籠ってしまうことの危険性の対極として、外からのサポートのことを挙げた次第です。仰る通り、どんなに周囲が尽くしても、最終的には本人次第なのだと思います。あるいは、神のみぞ知る、か。
2010-12-05 13:08:25@womba90 私事ですし、うぉんばさんに責があるはずもないので、大丈夫です。お気遣いありがとうございます。 やはり一人で籠もっていては疑心暗鬼が強まるだけですよね…。そのあたりの他人を信じる難しさ、自分を信じる難しさを、ひぐらしやうみねこはとても真摯に描かれていると感じます。
2010-12-05 13:18:34@KNZ00 私は、逆に周囲から助けられてばかりの人間です。しかし殻に閉じ籠ってそんな周囲の助けを拒んだことも何度となくあり、…おそらくそれで相手を傷つけもしたでしょう。身勝手な話ではありますが、それでも私からすれば、助けようとしてくれる人は本当に立派だと思います。
2010-12-05 13:17:05@womba90 勇気をだして他者の助けを受入れることがどれだけ大変だったのか、想像も付きません…。他者を信じるのと同じように、拒んだり否定する事は人として当然のことですので、罪悪感を抱かなくても大丈夫だと思います。違いを認めあうことは、難しいけれど、とても大切なことですよね
2010-12-05 13:26:48@womba90 上手に言えないのですが、竜騎士氏は神そのものの概念より、信じる事に重点を置いて物語を書かれているのかな…と思いました。 根底に流れているものは同じで。人によってはそれが神であったり、魔法であったり、仲間であったり、全てであったりするのかな、と。
2010-12-05 13:13:31@KNZ00 あ、なんかそれは分かる気がします! 個人的には、何を信じるかというより信じること自体に大きな力があって、ひぐらしやうみねこではそういったところがたくさん描かれていると思っています。
2010-12-05 13:29:13