『マックス・ヴェーバーの犯罪』論争を読む(1章)
- sennkyoushi
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『犯罪』1章での羽入の主張
羽入の要約によれば16世紀のルターによる旧約聖書『シラ書』11章20節および11章21節(以下聖書の章節は「11:20および11:21」のように表記する)の独訳が世俗的な意味でのBeruf語義を生み出し「そして『すぐに間もなく』ルターによるその箇所の翻訳を通じて、(続
2014-12-13 05:03:56続)プロテスタント諸民族の俗語が『われわれが"Beruf"(社会的、すなわち限定された労働領域の意味での)と呼んでいるものと似たような色合いを持つ表現』」(『犯罪』p32)を受け取るに至ったとヴェーバーは主張している(『倫理』p95あたりに相当)
2014-12-13 05:04:20ところがヴェーバーがBeruf概念の英訳聖書への伝播を確認する際に調べるのはシラ書ではなく新約聖書の『コリントの信徒への手紙一』(以下一コリ)7:20なのである
2014-12-13 05:05:04この点を怪しんだ羽入が調べた限りでは16世紀の英訳聖書の一コリ7:20では確かにヴェーバーのいう通りBerufに相当する英単語が使われるが16世紀の英訳聖書ではシラ11:20および11:21にcallingの訳語があてられたものはなかった
2014-12-13 05:06:15この事態はヴェーバーが英訳のシラ書でcallingと訳されていないのを知っていて隠したのではなくて英訳聖書に関する情報をオックスフォード英語辞典(以下OEDと略記)のみから得ていたために起こったのであろうと羽入は論じている
2014-12-13 05:06:47羽入に対する批判
このようにルターによるシラ書の翻訳を「を通じて」(『犯罪』p32)プロテスタント諸民族の原語にBeruf語義が生まれたとかルターがシラ11:20 11:21をBerufと訳したことがプロテスタント諸民族例えば英語に世俗的職業としての(続
2014-12-13 05:08:36続)calling概念を「もたらした」(『犯罪』p25)とヴェーバーが主張しており ドイツ語以外のプロテスタント諸民族の言語の聖書でもまずシラ11:20および11:21にBerufに相当する語が現れないとヴェーバーの主張が崩れるように羽入は述べているが実際には(続
2014-12-13 05:09:27続)ヴェーバーはそんなことは主張していないという点で羽入批判がなされている(『すすめ』p60~62『末人』p88~91『解釈問題』p253~254)
2014-12-13 05:09:48実際羽入がヴェーバーの主張を要約したもとになる箇所の文面は Berufという語は「ルッターの聖書翻訳では、まず『ベン・シラの知恵』〔旧約聖書外典中の一書〕の一個所(一一章二〇、二一節)で現在とまったく同じ意味に用いられているように思われる。その後まもなくこの語は、(続
2014-12-13 05:11:49続)あらゆるプロテスタント諸民族の世俗の用語のなかで現在の意味をもつようになっていったが、それ以前にはこれら諸民族の世俗的文献のどれにもこうした語義の萌芽はまったく認められないし、宗教的文献でも、われわれの知るかぎり、ドイツ神秘家の一人のほかにはそれを認めることができない。(続
2014-12-13 05:12:25続)この神秘家がルッターにおよぼした影響は周知のとおりだ」(『倫理』p95~96)であるから ルターが最初にBeruf概念を作りだしたのだと言っているだけであってルターによるシラ書の翻訳が他の諸言語にこの概念をもたらしたなどとは言っていない
2014-12-13 07:08:45↑参考に羽入による同箇所の翻訳を併記すると「この語はルターの聖書翻訳においては、まず『ベン・シラの知恵』の一つの箇所(一一・二〇、一一・二一)において、われわれの今日の意味と全く同じ意味において用いられているように思われる。そしてすぐ間もなく、この語は、全てのプロテスタント諸民族の俗語の内において、その今日の意味を受け取るに至ったのであり、他方、それ以前には俗語の文献の内にはこのような語義のいかなる萌芽も全く認められなかったのであり、また説教文献においても、われわれに明らかな限りは同様であった。ただドイツの神秘主義者たちの内の一人だけが例外であったのであり、それら神秘主義者達がルターに与えた影響は周知のことである。」(『犯罪』p23~24)
羽入はこの批判に反論してこの箇所から上記のようなヴェーバーの主張は読み取れるしヴェーバーが『倫理』p100でロマンス系諸言語の聖書のシラ11:20 11:21を調べるなどシラ11:20 11:21を重視していることからもそのことがわかる(『その後』p110)と述べているが(続
2014-12-13 05:14:53続)やはりこの箇所にヴェーバーが書いていないにも関わらず シラ11:20 11:21の「翻訳を介してのみ」(『その後』p110)Beruf概念が広まったと読み取っているし ヴェーバーは箴言22:29についても(続
2014-12-13 05:15:30『犯罪』第1章の他の多くの論点に関しては丸山尚士が批判を加えている その批判は『論争』にも収録されているがネット上にもアップされていて読める(shochian.com/hanyu_hihan00.…)ので詳しくはそちらを見ていただきたい
2014-12-13 05:17:04丸山による批判に羽入が『その後』で言及しているのだが羽入は丸山の第1~第4論考しか読んでおらず 最終稿「羽入式疑似文献学の解剖」(以下『解剖』と略称 頁数はpdf版 shochian.com/hanyu-hihan-fc… で指示)からすれば否定されることを述べているのでその点を指摘すると
2014-12-13 05:21:08『その後』p136で羽入は1557年のジュネーヴ聖書などあり得ないという『犯罪』での主張の間違いは認めているのだが1557年のジュネーブ「聖書」と呼称し続けているのは不適切(『解剖』p6)
2014-12-13 05:21:41ヴェーバーが宮廷用聖書と呼んでいるものは実は国教会から見ると異端的なジュネーヴ聖書である(から宮廷用などと呼称するのはばかげている)という『犯罪』(p42)での自身の主張と丸山の文献調査の末の結論が結局変わらないではないかと羽入は述べている(『その後』p142)が(続
2014-12-13 05:22:34続)丸山が『解剖』p18で主張しているのは宮廷用聖書とはジュネーヴ聖書ベースでありつつも反国教会的な注を削除したものであろうということなのでその意味合いは大きく異なる
2014-12-13 05:22:47