《私の体は、福島の果実でできている》
- karitoshi2011
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私の体は、リンゴを知っている。 果樹農業が盛んな地域に生まれ育ったから。 母の実家は、リンゴもカキもたくさん作っていた。 父は仕事の合間に、モモを作っていた。 祖母の実家は、県内でも有数のおいしいモモを作っていた。 父の妹が嫁いだ先の農家では、毎年クリを拾わせてもらった。
2014-12-14 12:04:18父と母と祖母が世話してきた畑で、 私は、モモの収穫を手伝った。 朝早く起きて、 モモ畑に行って、 収穫して箱に並べて。 収穫の最中にのどが渇いたら、 出荷するには熟しすぎたモモをもいで、 水洗いして皮付きのまま、 かぶりついた。 帰宅してシャワーを浴びてから学校に行った。
2014-12-14 12:10:05母の弟が手入れしてくれていた我が家の畑の隅にあった甘柿の木の 高いところに生ったカキを採るのも、 私がほぼ毎年の担当だった。 竹棒の先端に切れ目が入ったものを使って、 枝をはさんで、果実を枝ごと折り取る。 果実を枝から取って、 果実は収穫フゴに。 枝は木の根元に捨てる。
2014-12-14 12:29:36私の進学資金の捻出の為に、父がモモ畑を売却した後は、 祖母の実家にモモを分けてもらいに毎年行くようになった。 祖母の妹の息子さんは、当時、あちこちで作物の出来の良さで表彰される農家で、 他のモモでは味わったことが無い美味しさを感じた。 彼の家には、全国からの注文票があふれていた。
2014-12-14 12:57:23母の実家は、戦前からの大きな農家だった。 幼い頃から、秋にお邪魔するたびに、収穫して出荷する前のリンゴを 何種類も、たくさん、庭で管理していた。 リンゴの実が美味しくなるための手間を見せてもらいながら、 帰りには沢山リンゴの実を分けてもらった。
2014-12-14 12:59:40父が健在のころは、父の妹の嫁ぎ先で、クリ拾いをさせてもらっていた。 叔母の夫は、絵に描いたような「温厚な農家のおじさん」で、 口数は少ないけれど、暖かさが伝わってくるような話し方で、 「好きなだけ持っていって」と言ってくれた。
2014-12-14 13:03:23私はずっと、 果実を食べて生活してきた。 季節になれば、手に入る果実を、気ままに食べて生きてきた。 「何か、ない?」と母に質問すると、 「釜屋にあれがあるよ」と答えがある。 私は果実を手に入れ、 文化包丁で皮を剥く。
2014-12-14 13:24:07自覚はなかったけど、 私の消化器は、果実で整えられてきたらしい。 今日の午前に分けていただいたリンゴを 私が皮を剥いて、割って、 妻と娘と分けて食べた。 妻は果実があまり取れない地域で育ったので、 それほど多く食べない。 娘は、果実が好きらしい。
2014-12-14 13:31:29原発事故が起きた後、 私は果実をできるだけ口にしないようにしてきた。 特に、故郷で多く作られる果実は、 故郷に多くの人たちを残してきた私には食べる資格がないような思いで。 でも、私の体は、 果実をずっと食べてきたことを覚えていた。 リンゴ、美味しいよ。 大好きだよ。
2014-12-14 13:37:34