- WasuiMatui2014
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【クイーンの呼び声】 先日、『丸太町ルヴォアール』『スノーホワイト』『水族館の殺人』『天帝のみぎわなる鳳翔』を読んだ。至福だった。
2014-12-16 22:33:55それは、ただ単にそれぞれの作品がよくできていたから、というだけではない。そこに“クイーンの呼び声”を聞くことが出来たからだ。しかも、それぞれ違った音色の。
2014-12-16 22:34:40エラリー・クイーンは偉大な作家だ。私はエラリアンではないけれど、あらためてそう思う。無論、ロジックの切れ味といった技術的な意味合いや、数多くの傑作を物したというかこともあるが、しかし、私がクイーンに最も惹かれるのは“神”に“論理”を持って対峙し続けた、その姿勢である。
2014-12-16 22:36:25ある意味クイーンほど、劇的に変容した作家はいない。勿論、「作風が一定して変わることがなかった」と言われ続けてきたクリスティやカーだって、ある程度の変容はしてきたわけだが(最近いくつかの優れた評論によって、それは明らかにされてきた)、にしたってクイーンほどではないだろう。
2014-12-16 22:37:02北村薫は、その変容を《前期と後期の二つに分け》た。曰く《前期は『十日間の不思議』第一部 九日間の不思議、第九日最後から二行目《かくて死の巻を閉じ》までです。後期は次の行《これより生の巻を開く》からはじまり『最後の一撃』までです》と。
2014-12-16 22:37:46つまり《国名シリーズ》は一人の男が“神”になるまでのビルドゥングス・ロマンであるわけだ。そして男は『十日間の不思議』においてその座から滑り落ち、そして、しがみつく。『十日間の不思議』はその男の神々しさ、厳粛さ、傲慢さ、卑小さがないまぜとなって異様な読後感を残す。
2014-12-16 22:38:25あの異様さを知ってしまった私は、だから、ただ単純に論理の組み立てが出来ているというだけの作家・作品を“クイーンの後継者”と認めたくはない。そこに“神”の存在が匂わなければ。
2014-12-16 22:38:56《ウチらの使う技の一つ一つはもうありふれてて、誰でも知ってるもんや。せやけど、お客さんに見たい夢を見せるのは技じゃなくて腕や》 (『丸太町ルヴォアール』より)
2014-12-16 22:39:54『丸太町ルヴォアール』のこの一節に出会った時、私は快哉を叫んだ。この一節に作者の矜持を感じたからだ。何より、この宣言は現代本格が進むべき道を明確に照らし出している。
2014-12-16 22:40:08作者は宣言通り“あるアイディア”を執拗にリフレインさせる。アイディア自体はもう何度も使い古されているものである。しかし、そのアイディアを執拗にリフレインすることで、自らの技量を明確に読者に示している。自らの宣言を裏切らない、その技量は大したものだ。
2014-12-16 22:43:38ただし、“あるアイディア”は必ずしも本格推理小説に必須のものではない。使い方を一歩間違えば、アンフェアの謗りを免れないだろう。それは《双龍会》という私的裁判も同様である。
2014-12-16 22:47:21『丸太町ルヴォワール』(誤字失礼…)のもう一つにこの《双龍会》の存在がある。司直の手に成る裁判とは違い、この《双龍会》は一種の伝統芸能であり、論理によって相手を負かすことに主眼が置かれる。よって、勝利の為なら証拠の改竄もいとわない。
2014-12-16 22:51:14下手な作家が使えば、“なんでもあり”の白けたものにしかならないだろう。その意味で私は“あるアイディア”と同様と言ったのだ。しかし、作者はこのぐにゃぐにゃとして取扱い難い肉に一本の骨を通す。それがつまり“論理”である。
2014-12-16 22:54:13“あるアイディア”にしても《双龍会》にしても、この“論理”の下に厳しく律せられている。読者は、この一見掴み所のない世界において“論理”という綱を握ることによって決して方角を見誤ることはない。
2014-12-16 22:58:08先ほど、《双龍会》とはどんな手を使ってでも相手を負かすことを目的とした私的裁判と言った。しかし、登場人物たちは、その伝統芸能を守るにふさわしい、いずれもクレバーな面々である。
2014-12-16 23:02:17逆に言えば、彼らは純粋に勝利を信じることができない面々でもある。スポ根マンガの主人公足り得るには如何せん理が勝ちすぎているのだ。
2014-12-16 23:04:33だからといって、彼らは勝とうが負けようが…というシニカルな面々でもない。むしろ、与えられた条件のなかで最善を尽くし、勝たないまでも負けない…ということを目指し、自らの身の振り方を考えている。彼らは間違いなくプロフェッショナルだ。
2014-12-16 23:07:46与えられた条件のなかで最善を尽くす…私はこう考えた時、麻雀を思い出した。いや、作者の嗜好に無理に寄せたわけではない。連想を続けるなかで自然と浮かんできたのだ。
2014-12-16 23:10:20登場人物たる彼らは、自らに与えられた“運命”という牌を“論理”でもって駆使し、“運命”に時に抗い、時に受け入れ、時に寄り添っている。では、その“運命”を与えるものは誰か。それが“神”ではないか。
2014-12-16 23:13:25実は『丸太町』と『スノーホワイト』はその構成において似た部分を持っている。それはそれぞれ第1章で、自らの“論理”の在り方・使い方を読者に示している点だ。
2014-12-16 23:17:36これによって、読者はすぐさま作者の世界に連れてこられたことを了解する。『丸太町』が“論理”を一本の骨として、綱として作品に通したように『スノーホワイト』もまた“論理”を骨とし、綱としている。
2014-12-16 23:21:02