佐藤先生(佐藤賢一の中の人@ ke_1sato )の朔旦冬至と宣明暦やらなんやらの話

佐藤先生(佐藤賢一の中の人@ ke_1sato )の朔旦冬至と宣明暦やらなんやらの話 佐藤先生はダジャレしか言わないわけじゃないんだぞ!
冬至 朔旦冬至 太陰暦
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
本日、「朔旦冬至」が話題になっておりますが、旧暦(太陰太陽暦)で11月の1日(朔日)が冬至に当たっている日付のこと。古代日本の記録では桓武天皇治世の784年に最初に言及されているとのことです。その時には慶賀として租税が免除されたそうです。19年に1度巡ってくると言われていますが→
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
朔旦冬至を決定する方法(閏月の置き方)には2通りあり、大雑把には章法、厳密を期すと破章法が用いられていました。破章法だと、11月2日に冬至になるケースが多く、本当だったら冬至ではないんだけれども、11月1日を冬至にしてしまうという本末転倒なケースがしばしば起きたとのこと。→
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
日本の古代の暦は中国の暦を輸入していたわけですが、この朔旦冬至を用いた、とんでもない年代計算が中国では普通に行われていました。それは、暦の計算をし始めるためのスタート時点(暦元)をどこに置くかというもので、「甲子夜半朔旦冬至」という条件を満たすポイントを想定していました。→
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
「甲子夜半朔旦冬至」というのは、ある過去の時点の冬至が、(1)朔旦冬至にあたり、(2)午前0時に朔になり、(3)その瞬間に月は黄道と白道の交点の位置にあり、(4)月が近日点を通過し、(5)その日の干支が甲子になる、という条件を満たしたときのことを指します。この条件を満たすと、→
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
中国の暦の大体の計算が、0からスタートできるので便利だったわけです。しかし、実際の数値を見ると、このような理想状態を過去に求めるとなると、どれくらい昔まで遡らなければならないか。8世紀に計算された「大衍暦」という暦によると、原点まで9,691,740年を想定していました。→
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【数値訂正】大衍暦の原点までの年数、1桁少なかったです。正確な数値は 9,6961,740年でした。約1億年ですね。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
日本でも江戸時代まで使われていた宣明暦では、7,070,138年を想定していました。このような数値を考えると、理想的な計算はできるけれども、現実的には大変なわけですね。それで、モンゴル族の建てた元王朝の授時暦ではこれを廃止して自分たちの好きな年代を原点にするやり方に変更しました→
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
日本史では「元寇」で知られる元王朝ですが、その暦法製作技術は中国史上他の追随を許さないものがあり、授時暦はその後、東アジアの暦の模範例となったわけです。元を駆逐してできた明王朝でも、さすがに元王朝以上に精密な暦は造ることができず、その名前だけ「大統暦」に変えて使ったほどでした。了

コメント

水牛・sui @suigyu703 2014年12月22日
まとめを更新しました。
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