『F』「ガール特集」への意見・感想

東京学芸大学現代文化研究会『F』の、「ガール特集」読者の意見・感想・議論です。
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@chnirei

文フリで買った評論系雑誌を読んでいる。今回買って読んだ評論系の中で雑誌として最も完成度が高く、面白いと感じたのは、東京学芸大の研究会発の『F』(@gendaibunka_F)。「ガール」特集。

2010-12-05 20:14:08
@chnirei

別に隣のブースで売っていてポッキーをいただいたからお礼に、とかではなく、本当に。

2010-12-05 20:23:16
@chnirei

もちろん私も、自分が参加した雑誌や、知人が参加していた雑誌の方が断然面白かった!って言いたい。が、本当にいちばん面白いんだから仕方ない。

2010-12-05 20:25:19
@chnirei

「ガール」という特集の設定そのものの面白さ。千田氏の述べた、フェミニズムは「女性」は救うのだけど、「わたし」は救ってくれない、という問題意識。

2010-12-05 20:34:58
@chnirei

フェミニズム運動やジェンダー理論では、実存的な救いは得られない。理論で扱われる「女性」と、実存としての「わたし」には、乖離があるのだ、という感覚。そこから、「ガール」というテーマ設定へ。語りたい方向が明確で、しかも面白そう、ていう。

2010-12-05 20:41:40
@chnirei

同人で作る評論系雑誌の最大の問題点を、この雑誌はクリアしている。つまり、そこで語られる論理が、単なる「好きなもの語り」を脱せない、という問題。

2010-12-05 20:45:49
@chnirei

研究というのは、研究史という文脈の上に成り立つ。蓄積された共通の土台が、研究という運動を可能にする。蓄積されず消費されていくものは、娯楽以上のものにならない。

2010-12-05 20:51:24
@chnirei

娯楽のために、消費されるために書くというなら、それでいい。だけど、それを研究にしたいなら、蓄積された土台の上で語らなければならない。そしてその土台の上に、新たな石を積み上げるものでなくてはならない。

2010-12-05 20:54:46
@chnirei

『F』の完成度が高いと感じたのは、そういった共通の土台を共有した上で、各自が論じる(各自の石を積む)という形を取っているからだ。これは間違いなく「研究」である。単なる「娯楽」、「好きなもの語り」ではない。

2010-12-05 21:02:13
@chnirei

しかも、実は『F』の「ガール」特集は、単なる「研究」でもない。「端的にいえば、この「ガール」特集が抱えているのは、制度に囲われた「研究」は、実存の問題を解決してくれない、私たちが今どうやって生きるかという問題と、ダイレクトにつながっていない、ということへの問題意識である。

2010-12-05 21:44:58
@chnirei

私たちが生きること、私たちの実存に関わる問題を扱うということ。文フリで「娯楽」「好きなもの語り」が繰り広げられるのは、この切実な要望からだろう。その意味では、『F』は「研究」でありながら、「娯楽」「好きなもの語り」が求めるものをきっちり掬いあげてもいるのだ。

2010-12-05 21:51:13
@chnirei

島宇宙化という言葉で語られたのは、まさにその「私たち」の範囲がめっちゃ狭いことの問題なわけだけれども、『F』の扱った「ガール」というテーマならば、結構幅広い人に共通する問題。個々の論考が扱う作品の分析に閉じるのではなく、広いテーマへと回収することで、「私たち」の範囲を広げている。

2010-12-05 22:01:17
@chnirei

ただ、次回また雑誌を作るなら、『F』のようなところを目指したい。すなわち、共通の土台の上に個々が石を積む「研究」でありながら、現代の(出来るだけ広い)「私たち」が生きることに関わるような考察を展開すること。難しいけれども、理想として。

2010-12-05 22:14:22
@chnirei

@gendaibunka_F あ、お疲れ様です!ポッキーありがとうございましたwでもポッキー関係なく本当に面白いと思いました。『F』の良さについてRT以降もつぶやいているので、もしよろしければご覧ください。

2010-12-05 22:18:22
@chnirei

@gendaibunka_F おお、それは良かったです!wでも、単に私が最初であっただけで、たぶん今回の『F』を読んだ人ならば、結構な割合で同じようなことを思うと思いますよ。お互いがんばりましょう!お疲れ様でした!

2010-12-05 23:17:11
@chnirei

昨日は電池切れだったけれども、『F』の「ガール」については、実はまだまだ語りたいことがあるwそれは以前私が、社会を生きる(社会の肯定)文学と社会を変える(社会の批判)文学としてつぶやいていた2つの立場の問題と関わる。また時間あるときつぶやこ。

2010-12-06 08:04:20
@chnirei

文フリ本は、「出たら業績になる」学会誌とは違うのだから、出すことで終わっていてはものすごくもったいない。書き手(売り手)と読み手(買い手)のインタラクティヴィティの高さがフリマ形式の良いところなんだから、感想飛ばしあって、がんがん議論して、楽しみましょうよ。 #bunfree

2010-12-06 21:26:12
@chnirei

というわけで、まず、私見ではいちばん完成度が高かった雑誌『F』「ガール特集」(@gendaibunka_F)より、千田洋幸「葛藤体としての少女、あるいは小さな物語のために―90年代・00年代のアニメ作品をめぐって」について、考えたところをつぶやきます。

2010-12-06 21:32:46
@chnirei

千田氏の立場は明確だ。「大きな物語がもはや存在し得ないことが誰にも解っている以上、いまは、小さな物語に可能性を見出していくしかない」。確かに、彼の言うとおりだ。なんだかんだで、我々は今、小さな物語を生きていくしかない。そういった中での小さな物語批判は、人を絶望させるだけだ。

2010-12-06 21:38:52
@chnirei

@nob_de お疲れさまです!私も御挨拶できず残念です><!『F』、かなり面白いですよw雑誌も一つの作品なので、やはり一つの特集(物語)でまとまった問題意識を持って、ゼミされながら書かれている雑誌は読みやすい師、一つの方向性としてかなりアリなのだと思います。

2010-12-06 21:42:29
@chnirei

千田氏はこの意味で、今や、現代のキャラクターの“一元的な見方”と化した「データベース消費」の視座と明確に対立している。「データベース消費」的にキャラクターを見る方法では、ある物語世界を生きる固有の主体として、キャラクターを分析することが不可能になるのだ。

2010-12-06 21:50:10
@chnirei

この論考で千田氏は、90年代~の少女キャラクターに注目することで、そのような、物語世界を生きる固有の主体としてのキャラクターの系譜を描いている。それらの少女表象を、いわゆる「萌え」としてではなく、世界を生きる固有の主体として描き出すのだ。

2010-12-06 21:55:10
@chnirei

こういった系譜を彼が語るのは、「ガール」という「小さな物語」に、希望を見出すためだ。彼は、失われた「大きな物語」の連帯に郷愁を抱くのではなく、すでに我々がそこで生きていくしかなくなった「小さな物語」にこそ、希望を見出そうとしている。

2010-12-06 22:02:23
@chnirei

千田氏の立場には、まったくもって同意だ。というか、私もむしろそういう立場だ。だが、そこには問題もある。それは、「その社会の中で希望を持って生きる」ための語りを選んだとき、それは同時に、現在の社会状況を肯定してしまうということだ。

2010-12-06 22:05:49
@chnirei

それは、戦中に火野葦平が陥ったところでもある。火野葦平は、戦争に放り込まれた、そこで生きていくしかなくなった兵隊のために、そこで希望を持って生きていくための物語を描いた。それは、戦争肯定のためというより、そこで生き抜くしかなくなった兵隊の実存を救済するための物語だった。

2010-12-06 22:09:59
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