近世の欧州の交易について自分の勉強したことまとめ
フランドルの諸都市が発展し始めるのは15世紀後半から16世紀の話。ブリテン島は羊毛の良質な生産地なのだが、その輸出先としてちょうどその対岸にあるフランドルの毛織物工業が発展する。フランドル諸都市は既存の通称特権にこだわった勢力もあったけどアントウェルペンが出し抜き受け入れ突出
2014-12-11 21:54:04アントウェルペンはさらに仕上げの作業の先鋭化と高級品製造による付加価値の高さとブランド力の獲得でイニシアチブを手に入れる。ここでポルトガルが香辛料を新大陸から持ってきていた影響が出てくる、それはリスボンで荷揚げされた香辛料がアントウェルペンの市場で取引されるようになるのである。
2014-12-11 21:57:54フランドールの諸都市はライン地方の通商圏とも結び付きがあるので南ドイツの鉱産物とも交易の流れがあり、それゆえにポルトガルが欧州市場で販路を広げるのにフランドールが都合がよく、その中で当時は一番勢いがあったアントウェルペンが妥当だったというわけ。従来の中心だったブルージュの衰えよ。
2014-12-11 22:14:20で、ここまでの話の流れで理解ってもらえると思いますは欧州の海上交易の中心が地中海ではなくて完全に大西洋に移ってしまっている。ヴェネツィアあたりの衰退はもうちょっと前に起きてるんだけどいろいろ頑張ってたのがもう大勢を覆すにはお切らなかったと。
2014-12-11 22:21:20しかしアントウェルペンもオランダ独立戦争においてその発展に一時の終焉を迎えてしまうのであります。1585年にアントウェルペンは陥落しスペインに略奪され破壊されてしまったのです。そして商人はアムステルダムに逃れ、欧州の商業中心もまたアムステルダムへ移転してしまうという結末です。
2014-12-11 22:38:38ところでこの時期に交易にもうひとつ大きなイベントが発生します、1571年のレパントの海戦により東地中海をオスマン・トルコが支配することになるわけです。すると重要な穀物の供給地だったエジプトと南ロシアとの交易路が一気に絞られてしまった。そこでそのかわり東欧が新たにその役割を担う。
2014-12-11 22:49:10さっきのツイートでレパントの海戦でオスマン・トルコの制海権が取られたとか書いてしまったけど、海戦で例に上げるならここは普通は1538年のプレヴェザの海戦だよな・・・これはちょっといただけなかった
2014-12-11 23:07:05まあ恥ずかしいこと言っちゃったけどいいや。プレヴェザの海戦などで地中海でオスマンの影響力が強まって東欧やドイツなどが新たな穀倉地帯としての役割を期待されるようになるとこの地域で経済的な変革が起きます。それは貴族の土地経営の変化、農奴制の強化とも言われる農場領主制への移行です。
2014-12-11 23:18:11そうやって東欧の穀物がどこを経由するかというと、ここでバルト海の海上交易路が重要になってくるわけです。それまでは実は北海からバルト海になかなか入っていけなかったのですね、そこをネーデルラント商人が航海技術でどうにか直通できるようになってしまった。
2014-12-11 23:53:07これにより、東欧→バルト海→アムステルダム→南ヨーロッパという大きな海上交易路が凄い力を持つようになるわけです。その煽りを食らってユトランド半島の付け根で北海とバルト海を陸路でつないでいたハンザ同盟が完全にオワコンとかしてしまうのですがご愛嬌。で、力を持ったネーデルラントは独立
2014-12-11 23:56:10まあアムステルダムもアントウェルペンもどっちも低地地域なわけで、これまでのとおりにあの地域が当時の欧州交易の中心となっていくのですが、ここでその影響を受けて地道に力を蓄えていたのが海峡を挟んですぐ対岸のイングランドなわけです。
2014-12-11 23:59:03そうやってアントウェルペンに羊毛を輸出して稼いで力を蓄えていたイングランドに一つの転機が、それは17世紀の30年戦争で御存知の通り欧州が偉いことになるので毛織物産業の市場規模そのものが収縮してしまったのですな。だからこのままじゃやっていけないので独自の販路を築いて市場を開拓する
2014-12-12 00:02:36それ故に17世紀の繁栄を全盛期を遂げていたオランダに対しイングランドが挑戦をしなければならなかったのですね。その挑戦は武力での衝突という形にもなり英蘭戦争が何度か続き、次第にイングランドがオランダからその地位を奪ってしまうのです。
2014-12-12 00:06:47