『夕張再生市長』の説く責任倫理

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1.鈴木直道『夕張再生市長』引用よりのあれこれ

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iPatrioticmom @iPatrioticmom

「夕張再生市長」ー新しいリーダーシップ pic.twitter.com/DlChtGNfOI

2015-01-03 09:29:21
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iPatrioticmom @iPatrioticmom

「かりに100人乗ったボートが転覆して、99人の命を守るためにはどうしても1人を犠牲にしなければならない状況になったとする。その決断を下すのが政治家のリーダーシップだと言われる。」

2015-01-03 09:31:41
iPatrioticmom @iPatrioticmom

「どうしても一人の犠牲を出さなければいけな状況であるならば、残りの99人の知恵を借りて、ひとりの犠牲も出さない解決策を考えるーいまはそういう時代だと思う。」

2015-01-03 09:32:12
iPatrioticmom @iPatrioticmom

「本当にこの人を犠牲にしなければいけないのか、ひとりの犠牲も出さないで済む方法がまだあるのではないかーそれを99人の知恵を借りて考え、解決する。それこそがこれからの政治家の仕事だと私は思う。」

2015-01-03 09:33:24
iPatrioticmom @iPatrioticmom

この人はもともと能力あったんだろうけど、家庭不和で中学時代は勉強しなくて、高卒で都庁入って夜間通ったという経歴。自分が切り捨てられる側になったことがあるわけで。 そういう人、今は増えてるわけだから、若い世代は共感する人多いんじゃないのかな。

2015-01-03 09:35:04
もうれつ先生 @discusao

togetter.com/li/765631 99人を助けるため1人を犠牲にせにゃならん判断をしないといけないこともあるのがリーダー ↑玄妙さんこないだtwilog.org/drsteppenwolf/…へんな知恵つけちゃったからなぁ… pic.twitter.com/EZuU4aHrHM

2015-01-03 23:22:47
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もうれつ先生 @discusao

責任倫理の話のつづきになるが、リーダーが心情倫理ではなく責任倫理を持つべきであるというヴェーバーの話は、結果オーライとか「落としどころ」を念頭にコトを進めるべきだ、という話ではなく、「こういう理念・コンセプトで始めたんだから結果が異なってしまってもワシの責任はない」へのダメ出し。

2015-01-03 23:32:20
もうれつ先生 @discusao

twitter.com/iPatrioticmom/… これは、市長が自分の言葉で「責任倫理」について述べているもの。続く「残りの99人の知恵を借りて云々」はその責任を負うことを表明した言葉だろう。 「責任倫理」については↓ twitter.com/discusao/statu…

2015-01-03 23:42:04
もうれつ先生 @discusao

“道草クー太郎の説明する「心情倫理・責任倫理」の理解” - @discusaotwitter.com/discusao/timel…

2015-01-03 23:35:07
もうれつ先生 @discusao

togetter.com/li/765631 ちゃんと読んだけど、市長はトロッコ問題ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88…を話しているわけで、まとめ本文及びコメントしてる人全員はトロッコ問題に出てくるキーワードを厳密に吟味することでトロッコ問題から逸脱しようとしている。

2015-01-04 00:26:09
もうれつ先生 @discusao

端的に表現すると principle of charity を欠いているとはいえそう。

2015-01-04 00:33:08
もうれつ先生 @discusao

principle of charity は「善意解釈の原理」と訳される。「一方的な善性の強制を解釈側に要求するのは不当だ!」という話ではない。解釈側の恣意性に理解を委ねて論点が逸脱するよりも、不一致を最小化するように相手の言い分の辻褄を合せることが議論・批判の原則であるという話

2015-01-04 10:01:13

2.心情倫理と責任倫理

もうれつ先生 @discusao

心情倫理:結果はどうあれ、目的自体の価値、手段それ自体に内包されている価値にのみ重要性を置く(価値論的検討) 責任倫理:自分の行為から生じるだろう経験的な諸結果に対し自己の責任を認める(目的論的検討)

2015-01-04 09:54:04

また、別の対比の仕方を探すと、価値論的検討とは「価値判断を非経験的理念として設定する規範科学(規範)」であり、目的論的検討とは「価値判断を経験的な目的として設定した経験科学(科学)」というふうに説明しているものもある。
目的論の場合、次の二つのケースの場合が修正を必要とされる問題となる。
1.目的を実現するにふさわしい手段がなく、目的の実現が不可能であるような場合
2.最初に意図しなかったような副次的結果の発生の可能性が明らかにされ、それが最初の目的の遂行をためらわせるような種類のものである場合
こうした場合、事実認識が価値判断に「役立つ」(必要)ということができる。
しかしながら、価値判断がこのように経験的知識によって影響を受けるということは、決して自明のことではない(経験科学によって規範科学を代替することはできない)。ここで「心情倫理」「経験倫理」というヴェーバーの提案が出てくる。

もうれつ先生 @discusao

twitter.com/KutaroMichikus… 脱被曝、甲状腺問題、沖縄、それぞれを巡ってご活躍されている「正義の人々」は自らの心情倫理が突出していないかどうか、時々振り返りましょう ↑政治家の資質の話を、正義一般に適用してない? pic.twitter.com/EBXf9R4kDu

2014-12-10 00:08:25
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

心情倫理と責任倫理についてのどなたかのメモ。脱被曝、甲状腺問題、沖縄、それぞれを巡ってご活躍されている「正義の人々」は自らの心情倫理が突出していないかどうか、時々振り返りましょう。 syaosu.blog40.fc2.com/blog-entry-4.h… pic.twitter.com/L2fZifAeK7

2014-12-09 21:55:02
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もうれつ先生 @discusao

homepage3.nifty.com/tanemura/re3_i… 熊野純彦「心情倫理/責任倫理」: ことに政治の領域にあっては、善き目的の実現は、倫理的に疑わしい手段をも要求し、副次的な悪しき結果を招来しうる。

2014-12-10 00:46:40
もうれつ先生 @discusao

政治が権力を伴い、権力の背後には暴力が存在する以上、政治にとって決定的な手段は暴力そのものであるからである、とウェーバーはいう。問題のこの場面で、心情倫理は無力となる。心情倫理的に行為しようとする者は、なべて、この世界の倫理的非合理性に耐えることができない。

2014-12-10 00:47:53
もうれつ先生 @discusao

心情倫理が求めるものが魂の救済である限り、それは政治によっては満たされず、他方、暴力によってのみ解決しうる類の政治的課題を前に、魂の救済は危うくなるからである。 心情倫理が安易な免責、安価なロマン主義と結びあうとき、ひとはむしろ心情的には動かされない。

2014-12-10 00:49:44
もうれつ先生 @discusao

しかし、だからといって、政治に心情が不要であるわけではない。ひとが心情的に動かされるのは、かえって責任倫理に従って行為する者が、「我ここに立つ、他なす能わず」と語るときである。それは結果に対する責任を心底から引き受け、しかもその心情において純粋であるからである。

2014-12-10 00:50:34
もうれつ先生 @discusao

そのとき、心情倫理と責任倫理は結合し、補完しあって、政治を天職とする真正の人間を構成することになる、とウェーバーは説く。>

2014-12-10 00:51:13
もうれつ先生 @discusao

中野敏男「責任倫理/心情倫理」: もちろんこの二つの格率(注:心情倫理と責任倫理)は絶対的に対立するわけではなく、むしろ心情倫理性をそなえた責任ある態度こそ、結果さえ良ければという単なる結果倫理に堕すことのない、真の責任倫理性だということができる。

2014-12-10 00:59:57
もうれつ先生 @discusao

とはいえ、ある目的を成就するために道徳的には疑わしい手段を不可欠とするような場合に、この二つの格率の対立は深刻なものとなる。そして現世の実相はつねにこの緊張を強いるのである。>

2014-12-10 01:00:40