ジャイナ教の自殺容認(ジャイナ教説話集『カターコーシャ』より)
- southmtmonk
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『カターコーシャ』というジャイナ説話集の第89話で、王様殺害現場に居合わせてしまったジャイナ僧が、濡れ衣を着せられてはたまらんと割腹自殺を遂げて天界に再生しとる。何だこの話・・・
2010-12-08 17:48:09ちなみに濡れ衣を着せようとした真犯人は、アヒマーラカ(訳せば「蛇殺し」)という佛教の優婆塞。何なんだろう、マジでこの説話。
2010-12-08 17:51:15@nossau 基本的に、自殺は自己愛に基づいて自らを「殺す」ことで不殺生の意義に反しますので、禁止されます(断食死を suicide と言われる事を、ですので彼らはものすごく嫌います)。だからこの説話は不思議なんですよね。。。
2010-12-08 17:53:00@suhamma なるほどー。「雑宝蔵経」の「沙弥守戒自殺品」では、托鉢中に若い女の子から迫られた沙弥が、困った末に自決しています。この場合は不邪淫戒を守るために自殺したワケですが、『カターコーシャ』の場合はどうなんでしょう?他に優先すべき戒があったのでしょうか?
2010-12-08 17:57:09因みに、自殺した沙弥の遺骸は国王によって厚葬され、立塔&顕彰されている。原因となった女の子も、その因縁から、同様に顕彰されている。まあ「雑宝蔵経」だし。
2010-12-08 18:00:21@nossau 『雑宝蔵経』のお話、ありがとうございます。それも興味深いですね。『カターコーシャ』では、そういう優先すべき戒というのは何も書かれていないですね。
2010-12-08 18:00:54@nossau あー、佛教をdisる、というのはあるでしょうねえ。あと予想では、「自殺は禁止されてるけど、マジ死ぬしかない時は自殺しても教義に反しないよ!」という妥協策を言いたいような気がしてます。そういう妥協はジャイナ教、大好きなので。
2010-12-08 18:07:05@suhamma なるほど、ジャイナ教でもそういう妥協はアリなんですね。ブッダが事実上、比丘の自殺を消極的に黙認していた態度も、「自殺は良くないけど、しちゃったモンはしょうがないよネー」という意味で、現実に対する妥協と言えますから。
2010-12-08 18:12:55@nossau はい、ジャイナ教は妥協の積み重ねで今までマイナーなままヒンドゥー社会で生き残った宗教ですねー。釈尊の自殺黙認も、そういわれてみると確かに、妥協の産物と言えますね。興味深いです。
2010-12-08 18:17:10@suhamma 妥協を重ねて地元で生き残るか、地元を飛び出して変容を重ねるか。人間の進路と似ていますねw ありがとうございました。
2010-12-08 18:25:00