- southmtmonk
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ちょっと外れる話で申し訳ないですが、例えば戒律上、梵唄とか声明の類はOKなんですか?戒律無知なのですいません RT @kstigarbha: 戒律で歌舞音曲は禁止されていますから、いずれにしろ褒められたものではない・・・
2010-12-05 19:01:50テーラワーダで聞いたことないですから、しないんじゃないでしょうか。 QT @suhamma ちょっと外れる話で申し訳ないですが、例えば戒律上、梵唄とか声明の類はOKなんですか?戒律無知なのですいません RT @kstigarbha: 戒律で歌舞音曲は禁止されていますから
2010-12-05 19:04:00ありがとうございます RT @kstigarbha: テーラワーダで聞いたことないですから、しないんじゃないでしょうか。 QT @suhamma …例えば戒律上、梵唄とか声明の類はOKなんですか?・・・
2010-12-05 19:07:26@kstigarbha 真言宗ので行われる受戒の式では梵唄を唄師が歌うパートがあるのですが(高野山真言宗は有部律に依る)、あれは初期の宗団ではなかったことなのかもしれませんね。いつ頃からなのだろう。 @suhamma
2010-12-06 09:06:26@southmtmonk @kstigarbha という事は有部律では取り立てて僧侶の音曲が問題とされてないのかも知れないですね。研究ありそうですが、今手元に何もなくて調べられません。
2010-12-06 10:12:06@suhamma グレゴリー・ショペン著, 小谷信千代訳『大乗仏教興起時代インドの僧院生活』東京: 春秋社, 2000, pp.285--288に、「抑揚の整った口調の練習は[歌や声楽と混同されるので]隔離した(人目につかぬ)場所で行わなければならない」という話が出てきます。
2010-12-06 18:35:36@suhamma 「仏を讃える歌舞音曲が認められるのがずっと後代の事」ということが論じられているらしい(佐々木閑『出家とはなにか』p.110)ですが・・・確認されたら御教示下さい(こういう時、田舎のハンデを感じます)。
2010-12-06 21:58:17昨日の話の続き。佐々木閑「比丘と伎楽」『仏教史学研究』34-1, 1991, pp.1-24,は所謂平川説の検証の一環として、比丘が(主に仏塔供養における)伎楽を鑑賞してよいかどうかを律文献を中心に検証するものであった。(続く)
2010-12-07 15:50:07『根本説一切有部尼陀那目得迦』(T24 p.434b)「諸?芻彩畫其寺以諸香泥花鬘燒香末香 奏諸鼓樂廣設供養」そして、こういった演奏をする際は、日中は門を開けて夜になってから閉めるようにして、在家が生天の為の福徳を積めるようにしなければならないのだそう。
2010-12-07 15:56:00もう一つ:『毘尼母經』 (T24 p.828b)「比丘若爲佛供養若爲佛塔聲聞塔供養故作伎不犯」。以上、佐々木先生のご指摘でした。
2010-12-07 15:58:55@BuneiOtokawa 既にツイートしましたが、時諸苾芻彩畫其寺、以諸香泥花鬘燒香末香、奏諸鼓樂廣設供養」(『根本説一切有部尼陀那目得迦』(T24 p.434b))と、「比丘若爲佛供養若爲佛塔聲聞塔供養故作伎不犯」(『毘尼母經』 (T24 p.828b))の事のようです。
2010-12-07 19:23:46@suhamma 御教示ありがとうございました。仏塔への歌舞供養については、下田正弘『涅槃経の研究: 大乗経典の研究方法試論』東京: 春秋社, 1997, pp.107-108にも論及がありました。
2010-12-07 23:22:09@suhamma ところで(というかそもそもこの話題の元ですが)、声明(梵唄を含む)って「歌舞伎楽」にあたるんでしょうか。
2010-12-07 23:25:27@suhamma ただの印象です。しかも、漢訳より蔵訳の印象です。漢訳の有部律はかなりよみずらい印象があります。確か国訳者もそんなことをおっしゃってた記憶があります。
2010-12-08 06:18:38@BuneiOtokawa 言われてみれば、確かにそうですね。>声明(梵唄を含む)って「歌舞伎楽」にあたるのか 私はあれを「音楽」と捉えていましたが、それを実践していた方々は、音曲と捉えていなかったかもしれないですね。うーん。
2010-12-08 07:54:34