「フランス」と「風刺」と「ヘイト」と「オタク」と「日本」を繋ぐもの
パリ風刺新聞社銃撃事件から
@hitononaka @CasMudde: Remember that #CharlieHebdo criticized ALL religions and people, not just #Islam and #Muslims pic.twitter.com/pYyksf5Rub”
2015-01-07 23:15:10One of #Iran’s best cartoonists on #ChalieHebdo @LadaneNasseri: by @ManaNeyestani pic.twitter.com/06ZTrlWxGF #IamCharlie
2015-01-08 04:02:55A terrible day for all cartoonists. #JeSuisCharlie pic.twitter.com/Ksbl89WLsE
2015-01-08 01:51:46Thursday's UK newspaper front pages #tomorrowspaperstoday #bbcpapers #CharlieHebdo #JeSuisCharlie pic.twitter.com/dDA2UfVScd
2015-01-08 08:11:18仏北東部ランスに対テロ部隊、パリ銃撃犯追跡で ift.tt/1HPuZUs 世界の最新ニュースはこちらから→ ift.tt/1yk8O3X pic.twitter.com/hoqth52GqJ
2015-01-08 08:04:32FBでフランスの方たちがこぞってプロフィール画像を変えているので何事かと思い、調べてみると、このcharlieとは今回、襲撃された風刺画で有名な週刊紙「シャルリ エブド」のことみたいです。私がシャルリだと犯人に対抗しているようです。 pic.twitter.com/qDZeTS5HZi
2015-01-08 09:14:21各国の漫画家達が連帯を示す漫画を描き、それが世界を駆け巡っている。 >Charlie Hebdo Shooting: How Cartoonists Are Reacting - ABC News abcn.ws/14wYT1F #JeSuisCharlie
2015-01-08 09:36:00銃撃事件の後で世界中の表現者が「チャーリーは私だ」と表明するのは、つまり「私を撃つなら撃て」と言う、”覚悟”の表明。
2015-01-08 09:39:32「スパルタカスに死刑を宣する!スパルタカスはお前たちの中の誰か」 「私がスパルタカスだ」 「いや、私がスパルタカスだ」「待て、私だ」「俺だ」「僕だ」 「ここにいる全員が、スパルタカスだ」
2015-01-08 09:44:41【没有幽默,我们全都死了】周三,巴黎《查理周刊》编辑部遭枪击,造成12人死亡,其中包括四名该周刊知名的漫画家。《纽约时报》漫画家Patrick Chappatte以他的方式纪念。cn.nytimes.com/world/20150107… pic.twitter.com/PfM4LJAZJ3
2015-01-08 10:48:13”ユーモアを消せば、我々は1人10人でなく、全員が死ぬ”。 twitter.com/tmagazinecn/st…
2015-01-08 10:52:14“@sohbunshu: オランド大統領:「俺も同じか」…「週間チャーリー」 pic.twitter.com/3tG3ZlXE9W” シャーリー・エブドは確かに過激❗️ 安倍もオランドみたいに、丸出しで描かれたら、恫喝じゃすまないかも❗️
2015-01-08 07:37:50フランスの風刺画は革命以前からの、いわば江戸の浮世絵を今に続ける様な「伝統芸能」に近い面が。尻を出す、脱糞と言った下ネタは言わば「基本」で、日本の下ネタ表現も元はそう言うもの…明治期に入った「パンチ」の表現の様なところからの影響があるかも。”教科書で知ってる”ビゴーもフランス人。
2015-01-08 08:53:46「表現の自由」は実践しなければその”外郭”の形が見えない。世の人の反応(例えば今回のフランス風刺漫画への現代日本人的反応)からも”証明”される様に、危険を冒して外郭に近づく実践をしなければ知らぬ間に「しぼむ」ものだ。しぼんだ自由の中で暮らす人々の心は表現に対し「脆く」なる。
2015-01-08 09:03:44続)表現の自由がしぼむ=”萎縮”した社会で暮らす人は、表現享受機会損失のため表現への「免疫」「抵抗力」が得られない。風刺とは一種の「ワクチン」。これを受けていないと簡単に風邪を引く=”ハラスメント”と傷つきやすくなる。「風刺漫画」は”この漫画を笑い飛ばす”「知の体力」を作るもの。
2015-01-08 09:09:59日本での創作表現への直接テロの代表は深沢七郎「風流夢譚」を掲載した中央公論社長宅への襲撃事件(1960年)。以降戦後の「菊タブー」は強固なものとなり現在に。日本の表現に於ける「天皇」の扱いは預言者ムハンマドのそれに近い、とも言える。 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B6%8B…
2015-01-08 10:18:22一度風刺を始めれば全員をフェアに傷つける「つとめ」が生まれる。それが社会の自由のための茨の道。
.@setsumori 作品を見た印象としては自国のキリスト教を含め「すべての宗教を揶揄している」と言う事ですね。キリスト教を笑って他の宗教を笑わらなければアンフェア、”他の宗教への加担”ともなります。他民族多宗教を国内に”内包”する中で長年考えられた結果の表現だと思います。
2015-01-08 17:47:16「政治漫画と世論:その役割と限界を考える」 講師:ロナルド・スチュワート jfsribbon.org/2014/03/blog-p…
2015-01-08 14:09:04(RT)フランスは自ら創った「自由・平等・博愛」の近代人権概念を、以降も何度も行きつ戻りつした”血みどろ”の中で骨肉化している、とも言える。「自分の権利」はそれ自体に「他者全員の同等権利の尊重」と言う非常に重い”義務”を含む。「権利→わがまま」と考えるのはまだ”分かっていない”。
2015-01-08 13:16:10"原発事故風刺画"のあり方
海外の【原発事故風刺画】。例えばそこで描かれている「3本足」「顔の崩れた」人、子供。そう言う子供は”放射能と関係なくても”一定に生まれる。つまり「世界にいる人」。「既にある現実」。事故はそう言う子供を「無から生む」から問題なのではなく、「確率を増やす可能性がある」のが問題。(続
2015-01-11 16:43:19続)何が「問題」か。死亡率が高く、社会生活に大きな不便を蒙り、生涯を自分の自由に全うしにくい。生まれるのは「運命」だが、生まれる確率を人為的に上げる様な事は避けたい。社会から見ればそうなる。「不幸だから」ではない。「不幸」かどうかはその人の「内心の自由」。外からは決められない。
2015-01-11 16:49:32続)「不幸」と同様、「安心」も「内心の自由」に関わる言葉だから、”外から決めてはいけない”のに、今の政治や企業はをこれを「使いまくる」。人の内心に「無自覚に」入って来る。こう言う”日本性”も、国民が「自他」「物語と現実」の区別が分からなくなりやすい理由の一つだろう。(続
2015-01-11 16:55:16