私家版ハイデガースタディー01 罪に問わない我々

ハイデガーをめぐる雑読メモのログ。 黒ノート以上にハイデガー全集のいわば無意識を開らき、ハイデガーの罪を赦してしまうようなレヴィナスの弟子マルレーヌザラデルの名著『ハイデガーとヘブライの遺産』から、そうした断罪の問題に依存せずとも、ハイデガーの理路の必然性を言い当てる丸山文隆など、昨今の日本のハイデガー研究まで、感心しながら乱読しているあたりのログ(とはいえ、ツイートは何かきっかけがあるときの巷話なので、肝心なことは何もメモっていないのだが)。 彼らがハイデガーに罪を問うような問題、それらをすべて無意識の問題と放免できてしまう我々。非常に素晴らしい構図なのだが、それはハイデガーが何を言い当てているからか?
人文 哲学 ハイデガー
2
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
丸山さんのカント書にかんする被投性テーゼ、わかりやすかった。予算50万の研究なのか。【研究課題データ】マルティン・ハイデッガーの「自然」をめぐる思考に関する研究(KAKEN) - 日本の研究.com research-er.jp/projects/view/…
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
丸山文隆さんの被投性テーゼとしてのカント書の読解、「~と同時に」のテクスト読解で私がずっと考えてたことを立論していて面白かった。カント書の第二章ややこしいので、2~3回徹底的に分解しながら読んでいたのだが、もう一度やりたくなった。heideggerforum.main.jp/ej8data/maruya…
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
被投性というのは平たくいえば、存在者=宇宙の総体は、外から眺められないだろ、という意味。ところが専門科学は客観視で真理に辿り着こうとしてしまう。宇宙の外部があるなら、それは被造物の外部の創造主の関係だが、カントにそれがあったから、ハイデガーはそれを克服できた、という話。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
この考えてみればあまりに当然のことが忘却されていることを、存在と時間の冒頭の存在忘却が語っていて、当然、被投性が前提されていると、丸山氏が指摘するのがよいのだが、問題はなぜ当然のことを前提として、それを忘却として語り出せたのか、というところが一番面白い。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
丸山文隆氏のカント書論heideggerforum.main.jp/ej8data/maruya… で引用された論文、3本ネットにあったl.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf… l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf… l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf… が一本は現象学会年報でネット非公開か。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ハイデガーはカントの被制作性を切り取るtwitter.com/sunamajiri/sta… わけだが、丸山正隆氏のl.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf… 、『現象学の根本諸問題』が全自然の眼前性を解消していない、という議論は説得的。 pic.twitter.com/aOEzitWT7J
拡大
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ハイデガーはカントの被制作性を切り取るtwitter.com/sunamajiri/sta… わけだが、丸山正隆氏のl.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf… 、『現象学の根本諸問題』が全自然の眼前性を解消していない、という議論は説得的。 pic.twitter.com/qOB0w5n8sN
拡大
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
現存在や存在者はカント用語で、勿論それは人間と人間以外とか、主体と客体と言わないためだが、ハイデガーはそれを徹底的に排撃していくね。それでは、手許性が明らかにならないからだが、丸山氏は、現存在が手許的ではないがために解消されない眼前性という問題をハイデガーが洞察したとしているね。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ここ極めて秀逸。『存在と時間』の挫折は、被投的現存在が自然を時間へ帰投として言明するのは「越権」だったということだが、それによって有限性という『カント書』が明確化されてるね。 pic.twitter.com/GahRzL5P6t
拡大
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ところで、創文社が『カント書』を増刷しないものだから、理想社旧版の古本が高騰し、創文社版に至っては古書市場にすら在庫がない。なんで重版しないんだ? このレビューはどうかしらね。amzn.to/1wZvOXb
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
思考についての思考twitter.com/R_Steiner_jp/s… 、ゲーテではまだそこにいるのね。ゲーテ全集がヤフオクで廉価になってたが、ハイデガー全集が未だに解決されない付加価値として高止まりなわけねー。(^-^)/
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
その点でも、フランスのマルレーヌザラデルの『ハイデガーとヘブライの遺産』ほど、レヴィナス、リクールなんか怖くないほど、ハイデガーがキリストに見えてくるからね。御本(聖典)というのは、聖書のように廉価でないとこまるのだが、ハイデガー全集に付加価値がある裡は思考が止ってるね。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
マルレーヌザラデルの転回後のハイデガー論は大変読みやすい書物で、新約聖書みたいなのだが、ハイデガーの思考=忘却が、フロイトの忘却と殆ど重なって、旧約に対峙する一者に思えてくるのであった。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
さて、ハイデガーの転回、存在者の全体への企投=学、に対する全体としての存在者への被投という、カントの有限性を批判した、無の問題系twitter.com/sunamajiri/sta… に戻るのであった。クリスマスイヴにふさわしい思考だなww(^-^)/
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
丸山文隆氏の『ハイデガーの存在一般の意味への問いと超越も問題系』l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf… 読了。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
眼前存在者が現存在に依存せずに存在するという先学問的な存在了解を、手許性において学的企投(対象化)するという『存在と時間』の挫折から、『現象学の根本諸問題』における先・投としての時間性=超越=世界の発見=転回まで鮮やか。もはや神的認識=客観の廃棄まで一歩。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
@LitoSnowfield さんが、主観がなくてもモノはあるんでは?と、以前ハイデガーに素朴な疑問を呈していたことが、問題になっている。モノは人間の客観によらずとも「ある」ということがなかなか言えない。 pic.twitter.com/PD6IdLvjoR
拡大
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ご明察。したがってハイデガーの「無」はheideggerforum.main.jp/ej8data/maruya… のように単なる対立項としてしかないのだが、何が問題なのかというと、客観=企投する前から、ある気がする、という現存在の存在了解なのだ。それがないと病気なのだが。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
それがないと現存在じゃなく機械か何かなのだ。人間なら世界があると客観する前から存在を了解している、その気分が問題にされているのだ。ハイデガーが言う存在というのはそのことで、それを学問の対象(学的企投)にできるかと思ったができなかった、というのが転回。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf… は、存在了解という先学問的な気分を学問(企投)しようとして挫折した『存在と時間』を、直後の『現象学の根本諸問題』講義で、先・投という時間性の問題に分解し、学的でない企投への転回を予告するとしてるよ。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
丸山氏の一連の論文みてね。ハイデガー読了者でも新学説に感じると思うが、言ってることは単純で、人間なら病気でもなければ、自然があると先学問性として存在了解=気分があるが、それを学的企投することはできないという確定までの変遷が跡づけられてるだけだよ。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
このtwitter.com/sunamajiri/sta… の最初の論文が最新だが一番読みやすい。というのはハイデガーは『カント書』で、やっとまともになるからなんだが。しかしその変遷でカントの被制作性(創造主を前提としていること)を暴露したのがよいわけだが。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
丸山文隆氏のl.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf… 読了、一連の「全体における存在者」論で、ハイデガーの未完~転回の内実に、「合理的な必然性がない」とする従来知見への反論となっており、つまり自然の先行的実存というハイデガーの困難に肉薄していて読み応えがあった。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
企投では順序=被制作性や「存在者の全体」を引き起こすのだが、そうしたカント的企投を、カント書で克服するまでの理路が、従来知見では短絡されていたと批判する。余談だが、先日の黒ノートシンポでも針のむしろだった轟氏が脚注で論難されていた。 pic.twitter.com/21xOltVubT
拡大
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
企投と被投の2つの順序が、『存在と時間』を未完化し、続く『現象学講義』では順序のまま被投性を取り出すもこれも中断、『ライプニッツ講義』は順序なのかと疑うことを、補論でメタ存在論と呼び、やっと『カント書』で順序性そのもの、被制作性そのものが取り払われる。
残りを読む(145)

コメント

ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする