
私家版ハイデガースタディー01 罪に問わない我々
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sunamajiri
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とはいえ、中田光雄氏がフッサールのゾルゲというように、現代思想というのは、コギトからゾルゲへの大転換のことなので、『存在と時間』がいわば聖典なのよね。一番分かりやすく書いてあるのは確かだし。@LitoSnowfield
2015-01-17 14:08:20
気に掛かるというのは正確にどういうことなのか、ということなんだけどね。しかも、気分だけが問いになるのだし。循環というものなのだが。ハイデガー読本お持ちなら、気分がどういうものかは、瀧将之氏の『メタ存在論、不安と退屈、自由』が分かりやすいと思うが。@LitoSnowfield
2015-01-17 14:12:41
この前からハイデガーのパクリは、他の現代思想と違って旧約聖書の盗作ではなく、無意識のパクリだから発生的だという話twitter.com/sunamajiri/sta… ばかりしていたら、センター試験で、盗作を意識しないパクリの話がでるとはw pic.twitter.com/pVkvMA8RXn
2015-01-17 22:52:55
デリダが死後のハイデガーの降霊術を創作して、ヘブル語をしゃべらせてしまうのだが、それではハイデガーのパクリにならないとザラデルはデリダに反論する。ハイデガーは旧約聖書をパクったのだが、それが無意識のパクリだったから創作的なのだ。デリダは意識的だから創作的ではない。
2015-01-12 20:12:41

新約から転換するために旧約を盗作する現代思想は、ハイデガーの無意識のパクリの罪を問うけど(ザラデルはそれを現代思想の無力と指摘するわけだが)、我々は全く罪に問うつもりがないtogetter.com/li/769376 といっていたら。 pic.twitter.com/wOrtOymRsJ
2015-01-17 23:03:01

ここは完璧に、ザラデルのハイデガー論の論旨そのもの。ギリシャ語聖書しか知らないハイデガーは、知らず知らずに旧約を再生してしまったが、それによって旧約を意識的にパクろうとした現代思想を読めない読者が、オリジナルと勘違いする話。 pic.twitter.com/VR3qt7wqPe
2015-01-17 23:10:03

さすがにセンター評論は、日本の粋の国語抜粋力だな。思考力の高さがアッパレだ。その次の段落、年明けのパリのテロが、多様性が現代思想が突き詰めてきた新約だけではない旧約という歴史性をめぐる表現の自由といっていることを彷彿とさせる。 pic.twitter.com/Mjs8Hajd6H
2015-01-17 23:17:13

日本の国語テストが、言語テストの最高峰であるのも、モノとコトという日本語独特の言語感覚に対して、どういうコトかという現象学的な測定を行う、ということに尽きるのだが、今年のセンター評論はまさに歴史とはどういうコトか、と問うている。toshin.com/center/images/…
2015-01-17 23:19:26
次の段落、事象の背後の歴史で時間を捉えず、事象の時間そのものを取り出すという、現象学の模範的な文例。これがわからない、いわゆるネトウヨのようなリテラシーの持ち主は、大学に入学する資格が無いということ。 pic.twitter.com/dhtjWO5AnD
2015-01-17 23:26:20

次の9段落、ドラマの因果の積み重ねの物語より、時間はアプリオリだ、という『存在と時間』の模範的解説文のような文例。時間は物語因果とは異なる歴史性なのだ、ということなのだが。その現象学的ないわばセンスがないと、大学入学は覚束ない。 pic.twitter.com/c8j2hg5WaD
2015-01-17 23:32:37

センター評論10段落。このように時間のアプリオリ=事象性によって、物語ではなく純粋な系譜となることが、ネットの時代覚束ない、という段落。 pic.twitter.com/QLwGCuRa2r
2015-01-17 23:39:16

ちなみに、合田正人によるザラデル批判というのも、ハイデガーから系譜性を取り出すフーコーを度外視し、ハイデガーを非系譜性、旧約の固有名に差し戻している、というものだった。twitter.com/sunamajiri/sta…
2015-01-17 23:40:53
ザラデルによれば、ハイデガーの非系譜学というのは、旧約(の倫理性)を脱出自(脱選民)化するような思考なのだが、日本にある脱出自は正反対に、近代を新約の神学に閉じ込め、自然を取り逃がしてしまう。しかしそうした日本の脱選民性を新約が明らかにできるわけがないからこそ、彼らは書くのだ。
2015-01-07 16:00:57
twitter.com/cgsa794/status…→蓮實に'作者の死'だの、'脱構築'だの読み取るってのは、どういう読書なんだろ。。
2015-01-20 23:57:01
「作者の死」について、蓮實重彦の「物語批判序説」は読まれましたか? — 読みましたけど、一応言いますけど、蓮実の大体のテクストにとって、作者の死より脱構築が重要な概念になってると思うよ。非常に物語という制度的で退屈な代物を解... ask.fm/a/bqcg13gn
2015-01-20 22:57:51
それ言ってると今年のセンター評論の「教えてあげる君」が出てくるのは、例によって、私たちには西欧=キリスト教に見えてるけど、彼らにとってはとっくに死んでるからね神が。この下の「ベストアンサー以外の回答」が吉。detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_de… @mallarmean
2015-01-21 10:26:38
「蓮実が言っているのは西欧知識人の世界限定ですけれども、そのなかでは教会の力が弱まったためにフィクションが信じがたいものに変わったということです。ただフーコーやデリダは宗教の力が弱まったことが完全に前提になったあとの時代の人なので読んでもわかりにくいかと」@mallarmean
2015-01-21 10:29:39
蓮實はフィクションでそれをやるから晦渋なだけで、何が問題かは意外と単純。コペルニクス的転回で地動説になったけれど、フッサール論でメルロとデリダは、言葉の故郷=大地にこだわる(再転回させる)。なぜなら神に保証されたコギトなど、もう言葉を生まないからです。@mallarmean
2015-01-21 11:39:01
私たちが西欧=キリスト教圏というのは的確で、コギトでは神が要請されている。それによってカントのような主観性、コペルニクス的転回(地動説)から、代数学や宇宙論まで可能になった。ところが神が死んだので、どうするかという話をしてるんですよ、信じられないだろうけど。@mallarmean
2015-01-21 11:39:28
ハイデガーのナチズム結審の本を書いた中田光雄の去年のフッサール論は、コギト(地動説)に代わってハイデガーのゾルゲに目覚めた晩年のフッサールとデリダなどが対話する本だが、大地と方舟の概念は意外と重要。bit.ly/15sXXet @mallarmean
2015-01-21 11:40:08
コギトを却下するハイデガーのゾルゲに目覚めると、フッサールが「コペルニクス説の転覆」「科学上の地動説に哲学的に反立する」という意味論になり、それに呼応して後期メルロ、前期デリダが台頭してくる。いわば反地動説。@mallarmean pic.twitter.com/4hooga3VKh
2015-01-21 11:40:35

このように、存在論の問題を、物語論やフィクションの問題で片付けようとすると、晦渋どころか不可能になってしまう、というのはハイデガーが『存在と時間』の序論で論じているとおりなのです。だから物語論など、そんな郵便的にもならない話は、やめた方がいい。@mallarmean
2015-01-21 11:41:53
「私家版ハイデガースタディー02 神無き客観、反地動説的地平の共有」をトゥギャりました。 togetter.com/li/775805
2015-01-29 14:09:15