秀忠による上田攻めに関する考察

聞きかじりの知ったかぶりなんであまり信じない方が…。妄想八割。言葉が変な所多々あり。
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ピートン @isupania

まずそもそも、秀忠の率いる軍の目的が信州平定であるのが前提なんだが、これがどうも正しい話らしい。濃尾国境への移動ではなく、『信濃表を平らげる』ために組織されたという説

2015-01-08 22:19:37
ピートン @isupania

なんでそうなったのかはわからないけども、まあ奥州と上方の連絡遮断が主な要因じゃねーかなと推測。現存してる書状にも三成が上杉宛の書状を昌幸に渡し、道案内を付けて会津に送ってくれと書いてあるものがある。東軍が東海道関東越後を押さえてる状況ではそれしか手段がなかったのだろう

2015-01-08 22:23:54
ピートン @isupania

んでまあ、秀忠は信州、主に上田城を降らせたいわけだ。率いるは三万八千、対する真田は三千弱の兵で上田城に籠る。ここまでの兵力差があってもまだ降伏しないのだから相手にはなんらかの奇策があるはず。多分ここまでは側に康政や忠隣ら歴戦の武将がいる辺り容易に思い至ったはず

2015-01-09 10:41:31
ピートン @isupania

ではその奇策だけど、思いもよらぬ方法だから奇策なわけで、地理的にも不利な秀忠側にわかるはずもない。でも相手の十倍以上の兵力差ってのはかなり大きい。大軍に兵法なしって言うけど、よく言ったもので。おそらく相手がどんな奇策を用意していても三万八千を壊滅させるのは相当難しい

2015-01-09 10:44:22
ピートン @isupania

だからよくあるのが総大将を狙って士気の面から崩壊に導くって話。成功すれば大きいがハイリスクハイリターンにも程がある。まあ、それは置いといて第二次上田合戦はどうにも損害がわからない。散々に打ち破られとは書いてあるが実際どれだけの死傷者が出たのか。そこが大きな問題になる。

2015-01-09 10:49:01
ピートン @isupania

真田全軍と同じだけの損害が出たとしても秀忠に取っては痛くも痒くもないはず。なんせまだ三万もいるのだから。ただ、ろくすっぽ戦場に出たことのない秀忠もまったくの完封という感じではない。身一つで小諸に逃げ帰ったりと予想外のことは多かった。しかし真田は手の内を晒したことになる。

2015-01-09 10:54:23
ピートン @isupania

この後、小諸に戻った秀忠が残りの軍勢をまとめて再度攻め寄せたとき、昌幸に対処法はあったのだろうか。そこが気になるところだが、小諸に戻った秀忠を待っていたのは家康からの軍勢督促状だった。9月9日までに岐阜に来いって、今9月8日なんですけど。これには相当イラッとしただろう。

2015-01-09 10:58:03
ピートン @isupania

仕方がないので秀忠は遠巻きの軍を残し急いで岐阜に向かうことに…。そんなわけで、再度のぶつかり合いはなく、果たして昌幸は追い込まれていたのか、それともまだまだ奥の手があったのかはわからずじまいのまま今日に至るわけだ。終わり、疲れた

2015-01-09 10:59:55
ピートン @isupania

えー、まず真田の位置取りの話。上田を中心とした数万石の少ない所領だけど、信濃の中でも上野にかなり近い所になる。中山道を外れてはいるものの、間に小諸(仙石秀久居城、東軍、秀忠下出仕)しかなくそこを抜ければすぐにも徳川所領に入ることになる。

2015-01-13 23:17:49
ピートン @isupania

また、中山道に所領を持つ東軍外様諸将は沼田一帯に所領を持つ真田信幸と秀久を除けば、日根野吉明(諏訪)、森忠政(川中島)、京極高知(飯田)など上田より遠方の所領が多い。そのため、もし西軍が濃尾国境にて戦線が膠着している隙をついて中山道を東上したら瞬く間に挟撃を受けることになる。

2015-01-13 23:29:32
ピートン @isupania

しかも、家康の脳裏には小牧長久手のことも過ったんじゃないだろうか。秀吉さえ失敗した本国中入りを(自称)豊臣の明日を担う三成が、あまつさえ再び家康相手に成功させる。心理的にも大きな衝撃を与えられるだろう。

2015-01-13 23:33:51
ピートン @isupania

南下した昌幸が小諸を押さえ徳川の救援を防ぐ間に、数万の西軍が信濃を席巻。その後小諸より打って出た昌幸と共に上野に乱入する。これが家康の考えうる限り最悪のシナリオかな…?しかも上野のなかで最大の所領を持つ井伊直政(箕輪12万石)は主力を率いて軍監として東海道筋を西上している。

2015-01-13 23:39:45