Togetter/min.tを安心してお使い頂くためのガイドラインを公開しました。
2015年1月15日

二刀流剣術の歴史(戦国~江戸時代初め)

宮本武蔵が代表する、みんなが大好きな二刀流の剣術、その歴史はどうだったのか、限られた知識でまとめてみました。間違い、指摘等ありましたらよろしくお願いします。 現在伝わる古武道の二刀流の動画はこちら http://togetter.com/li/528045 二天一流の動画はこちら 続きを読む
26
みんみんぜみ @inuchochin

ちょっと以前から考えてた、二刀流の歴史について書いてみる。Twitter用に書いたからブツ切れだけど…

2015-01-14 17:30:29
みんみんぜみ @inuchochin

はじまり) 二刀流についての解説はWEB上に二天一流武蔵会の[二刀流の歴史と現状]musashikai.jp/content04/page… などがあります。剣道の二刀流へいたる歴史については詳しいですが、戦国時代~江戸時代初期の二刀流については概要のみです

2015-01-14 17:31:30
みんみんぜみ @inuchochin

そこで、WEB上で見られる資料等を参考に、二刀流の歴史について私が理解している範囲で書いてみます。知識も体験も足りないので、間違い勘違い等は多いと思います。色々批判等ありましたらぜひお願いします。

2015-01-14 17:32:18
みんみんぜみ @inuchochin

江戸時代から明治にかけて、日本各地に二刀(両刀)を使う流派がありました。(武術流派では”二刀流”とは言わず”二刀””両刀”と言う場合が多いです。ただ、一般的には”二刀流”が使われているので、以下二刀流と表記します)

2015-01-14 17:32:54
みんみんぜみ @inuchochin

特に場合によっては二刀流の開祖とされることもある宮本武蔵にかかわる流派が有名ですが、他にも多くの流派がありました。幕末頃に二刀流を専門・中心に教えていたと思われる流派は、

2015-01-14 17:33:28
みんみんぜみ @inuchochin

・新潟・福岡・熊本に宮本武蔵の晩年の流派である『二天一流』 ・愛知・長崎に宮本武蔵初期の流派である『円明流』、愛知には由比正雪も学んだ『武蔵流』もあった。 ・小倉には武蔵の初期の技術を伝えたと思われる『二天流』 ・佐賀には武蔵・無二斎から学んだ?青木鉄人の『二刀流』

2015-01-14 17:33:50
みんみんぜみ @inuchochin

・新潟には前記、「鉄人流」の関連流派の『両剣時中流』 ・茨城県古河には上記の分派の『神明武信流』 ・鳥取に宮本武蔵政名を祖とする『武蔵円明流』 ・熊本に武蔵の影響を受けたともいわれる『四天流』 などの宮本武蔵関係の二刀流の流派がありました。

2015-01-14 17:34:47
みんみんぜみ @inuchochin

また、武蔵と関係ない二刀流の流派では。 ・愛媛の『田宮神剣流』 ・岡山の『奥村二刀流』 などもありました。

2015-01-14 17:35:08
みんみんぜみ @inuchochin

他にも広く各地で学ばれた剣術流派にも二刀流や対二刀流の技がありました。通常の剣術以外に多くの二刀流の技があった流派は ・伊庭八郎で有名な『心形刀流』とその分派で脛切りで有名な『柳剛流』 ・江戸三大道場の一つ『鏡新明智流』 ・剣術三大源流の一つ『香取神道流』 などがあります

2015-01-14 17:35:59
みんみんぜみ @inuchochin

幕末にそれなりの数があった二刀流ですが、江戸時代より剣術が実用されていただろう、江戸時代以前~江戸時代初期はどうだったのでしょうか。ちょうど二刀流としては一番有名な宮本武蔵が活躍しはじめた頃までをみてみます。

2015-01-14 17:36:34
みんみんぜみ @inuchochin

武蔵が生まれる以前、古い資料では永禄9年(1567)に新陰流開祖上泉信綱が柳生宗厳(後の石舟斎)に伝授した『影目録』と呼ばれる四巻の巻物に「獅子奮迅」という、打太刀(敵)が二刀を構えた技の図が描かれています。出典:柳生厳長,正伝新陰流 pic.twitter.com/AheavYe5sC

2015-01-14 17:38:26
拡大
みんみんぜみ @inuchochin

また、天正頃の新當流の巻物に二刀を構える絵図があり、同じく天正年間に愛洲陰流四代目が出した絵目録には獅子奮迅・清眼等の敵が二刀を構える多数の図があります。image.tnm.jp/image/1024/C00… pic.twitter.com/i3dDMi6u59

2015-01-14 17:39:14
拡大
みんみんぜみ @inuchochin

こちらが陰流の『獅子奮迅』の絵図です。(国立東京博物館) 新陰流が二刀を下段に下げているのと違い、陰流では二刀を上段に振りかぶっています。image.tnm.jp/image/1024/E00… pic.twitter.com/3F7wls3Rgw

2015-01-16 17:15:58
拡大
みんみんぜみ @inuchochin

また、陰流には自分が二刀を構えている絵図もあります。(国立東京博物館) image.tnm.jp/image/1024/E00… pic.twitter.com/G1g7AkBxci

2015-01-16 17:16:34
拡大
みんみんぜみ @inuchochin

陰流、新陰流に同じ名前の対二刀流の技があるという事は、おそらく陰流開祖愛洲移香久忠(1452〜1538)の頃から対二刀の技が必要とされていた、という事でしょう。

2015-01-14 17:42:13
みんみんぜみ @inuchochin

また宮本武蔵が20代になり活躍を始める慶長年間にもいくつかの二刀流の古文書があります。新陰流四天王の一人、疋田豊五郎が慶長年間に出した「小太刀虎乱」の絵目録には八本の二刀流の技があります。出展:赤羽根龍夫,新陰流(疋田伝)の研究 pic.twitter.com/86KCgM0xFb

2015-01-14 17:44:31
拡大
みんみんぜみ @inuchochin

また、慶長17年(1613)には疋田豊五郎の弟子、猪多伊折佐が に出した「小太刀虎乱」の絵目録には「十當截」以下七本の技の絵図が描かれています。(出典:今村嘉雄,図説 日本剣豪史) pic.twitter.com/4u6A5IRaWH

2015-01-14 17:45:17
拡大
みんみんぜみ @inuchochin

この頃宮本武蔵の父(義父)とされる宮本無二介も活躍していたようで、慶長年間に出された無二の伝書巻物がいくつか残っています。また宮本武蔵の二刀(円明流)の解説書「兵道鏡」も慶長10年、11年(1606~1607)に書かれており、多田家に伝わったものと山内文庫に写本などがありました。

2015-01-14 17:46:31
みんみんぜみ @inuchochin

宮本武蔵の養父と言われる、「本無ニ助藤原一真」の伝書。奈良の生駒宝山寺に伝わったものがこちらです。mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y01/heihousyo/… 慶長2年(1597年)に細川家の家臣に出されたそうです。(奈良女子大学学術センターより引用)

2015-01-15 21:08:14
みんみんぜみ @inuchochin

(宮本武蔵研究者の中には宮本無二斎の伝書や宮本武蔵の円明流の伝書はすべて偽書とする考えもあるようです)

2015-01-14 17:47:08
みんみんぜみ @inuchochin

「青年宮本武蔵の技」 以下に宮本武蔵が20代前半に書いたと思われる円明流の解説書『兵道鏡』に書かれている二刀流の技を注を入れつつ書き写します。

2015-01-14 17:48:58
みんみんぜみ @inuchochin

指合切(さしあいきり・しごうせつ)は、太刀(※「太刀」は大小の大の事)をくみ合、太刀の鍔際より六寸先に刀(※「刀」は大小の小の事)の切先五寸出して構え候也。

2015-01-14 17:49:33
みんみんぜみ @inuchochin

まず太刀おっとりと太刀先にて敵の右の目をさし、過(※「過」は太刀先五寸の事)と過に付く時、敵(が)「(太刀を)打おとさん」とする所を手首・肘(が)屈まざるように、肩にて頭の上へ抜き、

2015-01-14 17:50:10
みんみんぜみ @inuchochin

引きたる太刀をまた元の所へなおし、また同じく引いて、さて太刀の鍔の元(が)我が膝へ当るほど下げて、敵の打、太刀にて敵の首をはさみ、左の方(※左半身?左肩)を敵に競り懸けて伸びあがりてうけへし(受けるべし)

2015-01-14 17:50:47
みんみんぜみ @inuchochin

足づかいは太刀を上げて右足を出し、さて左足をつき、また上げざまに右足をしたたかにふみ出し、受ける時左足を敵の股へ踏みこむようにしてうけへし(受けるべし)。 いかほども突き付けて敵を乗らせたるが良く候なり。 敵我が手にとりつきてあらば左の足にて胸を踏むべし。

2015-01-14 17:51:28
残りを読む(10)

コメント

みんみんぜみ @inuchochin 2015年1月16日
まとめを更新しました。愛洲陰流の二刀と魚住先生による宮本武蔵と歴史的事件の略年表
0