鍼灸院の繁盛如何

鍼灸師が鍼灸以外を考えてみるシリーズ。まずは鍼灸業界と鍼灸院の繁盛について。
2
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

うまくいかない鍼灸院を考えてみる。一般論を言うつもりで大多数が当てはまる業界。一説には1割の繁盛店と9割の閑古鳥という。国民の受療率は7%つまり100人に7人は鍼灸を受けたことがある。この7人は鍼灸だけじゃなく病院も接骨院も整体もカイロも湿布もサプリもお祓いさえ行く可能性がある。

2015-01-15 22:55:07
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

残りの93人は、まず鍼灸院に行かない。この層にアプローチしない(できない)段階でレッドオーシャン(パイの奪い合い、過当競争)ということになる。じゃ93人はどんな人か。鍼灸を知らない人、鍼灸に行く必要がないと思う人、怖がっている人、そもそも健康だと思っている人などでしょう。

2015-01-15 22:58:42
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

7人の層にアプローチするのは、鍼灸師が鍼灸をそういうものだと思っているから。つまり、「治れば患者がたくさん来る」ひいては繁盛すると思い込んでいる。鍼灸の優秀性は他では治せないものも効果的(早い・てきめんに、など)に対処できる(つまり治療できる)と思っているからだろう。

2015-01-15 23:04:29
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

現実に鍼灸雑誌や学会、伝統鍼灸でさえも難病奇病治験例に注目が集まる。西洋医学で治せないものが東洋医学で治れば存在意義を証明するのは簡単だからだろう。野心的ではあるけれど、西洋医学で難しいものは東洋医学でも難しい。優位性があったとしても少数のケースだろう。だから営業には関係ない。

2015-01-15 23:14:15
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

鍼灸師の側から鍼灸院の閑古鳥を考えると、治す実力がないから、という結論に至りがち。そして勉強会などは「すぐに」「簡単に」「確実に」と言って勧誘することが多い。ただ勉強会のトップは1日に何人も治療しているとしても会員はそうでもない場合が多い。果たしてこれは勉強が足りないせいなのか?

2015-01-15 23:21:35
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

勉強会や鍼灸学校が提供するのは技術です。テクニックです。勉強会まで出て身につけるのは、どこまで行っても技術なのです。同じ技術を提供してるのに営業成績に違いが出ます。(つまり閑古鳥状態になるのです)。同じ商品を売っていてもお店によって売り上げが違うのですから不思議ではありません。

2015-01-15 23:28:15
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

一般的に商売は何を売るかという側面と誰が売っているかという両面を見ているといいます。つまり信頼に重きをおいているのです。鍼灸が信頼を得ているかどうかは答えに難しいのですが現状を見れば鍼灸師が思っている以上に世間的に評価されていないでしょう。それが100人中7人の受療率なのでしょう

2015-01-15 23:35:11
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

東洋思想の根本は調和という考えがあります。治療においても独特な概念があります。気血、陰陽、五臓、それぞれ調和が取れた状態を良しとします。鍼灸師なら常識中の常識であり、疑いようのない大原則です。ですが、調和を取るのは治療方法だけで思想レベルで理解できているとは言い難いのです。

2015-01-15 23:42:01
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

人間が自然に働きかけることを技術と言います。人間が人間に働きかけることを仁術と言います。そして技術と仁術を合わせて医術と言うのです。しかし先述した通り鍼灸の勉強はどこまで行っても技術なのです。学校も勉強会も仁術は教えてくれません。仁術の勉強は気づくものなのでしょう。

2015-01-15 23:52:17
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

医は仁術と言いますが、そもそも仁術とは何かわからない医療関係者は多いのではないでしょうか。ある先生は易経を読め、ある先生は新聞を読め、ある先生は弟子入りしろと言いますが、いずれも世間を知れ、人を知れ、と言う事なのでしょう。人間の理解こそが仁術なのではないか、と。

2015-01-15 23:57:43
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

お腹が痛い人を治すことが目的であれば治療をすることが良いことでしょう。しかし、食べ過ぎで再び腹痛であれば、治療も大切ですが忠告して反省を促すことも大切でしょう。技術だけでとにかく治す事だけを考えていては判断が分かれるシチュエーションがあるのではないでしょう。当然営業成績も違います

2015-01-16 00:03:45
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

つまり鍼灸とは何か?という哲学的なものが実は大きな差になってしまうということなのです。鍼灸を単なる治療手段と見るか否か。本来鍼灸を含む医学は命、相、卜、仙学は5つで運命学を形成します。運命学は人をよりよく導くためにあるのです。ですから技術だけで向き合うのは運命学ではないのです。

2015-01-16 00:09:43
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

運命学ではない技術は医術とは言いにくいのです。そのような一方的な技術は東洋思想の根幹である調和を欠いているのです。術者だけの考えだけであり、受療者のよりよい人生を考えるのは対話であり、気付きを与える機会なのです。無言で治療することがいかに異常か。私は無言で影響を与えられません。

2015-01-16 00:17:16
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

もっと砕けた言い方をすれば、受療者が受けた感(満足、納得)と術者がやった感(技術、フィードバック)の調和が取れることが大切になるのです。この辺りはサービスとビヘイビアの違いのようなものです。やれと言ったら全部やるか、時と場合によるのか。この柔軟性こそ生命力であり陰陽の本質ですね。

2015-01-16 00:21:55
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

結局、治療法則だけでなく、人間関係から経営から勉強法まで運命学の範疇から逃れることはないので、一事が万事、1個できればすべてできる。神は細部に宿るとして、一部が全部を象徴していると考えるわけです。易経は元亨利貞、さらに元と集約できるように分化ではなく統一される方向に向かいます。

2015-01-16 00:27:31
松本コウイチ【選択肢に鍼灸を】 @koichi2jp

一芸に秀でれば多芸に通じるのも、そのような意味があるのでしょう。話を本題に戻すと、鍼灸院の閑古鳥の原因は鍼灸とは何か、医学とは何か、経営とは何か、人間とは何か、生きるとは何か、それらの答えを持ち合わせているかどうかなのではないでしょうか。誰よりも悩み、結論に近づけるといいですね。

2015-01-16 00:33:24