@nied_inok さんの阪神淡路大震災の被災状況

@nied_inok さんが20年前の阪神淡路大震災発生直後の被災状況について写真付きでつぶやかれているので、連続してまとめを作成ちう。 ご本人の弁【20年前に撮った写真ですが、死蔵させていても仕方ないので、このような機会にその一部を披露させていただきました。】 ※現在進行形につき、編集可能としました。
震災 被災 阪神・淡路大震災
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明日で阪神淡路大震災から20年になるのを前に、震災の記録を

T.INOKUCHI / 井口 隆 @nied_inok
阪神淡路大震災が起きてもう20年か。早いものだが、特に10年目から20年まであっという間だった。震災後数年ほどではないが、今回もTVや新聞でも取り上げられ、いろんなことを思い出す。が、この震災のことを知らない世代も増えてきた。どこまでできるか分からんが、撮った写真など紹介したい。
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震災当時、両親は芦屋に住んでいて、被災した。これは実家の書斎で倒れた本棚の様子。家の中は滅茶苦茶だったが、賃貸していた住宅は木造から鉄筋に建て替えたばかりで大丈夫だった。震災当日は安否が分からず、翌日の早朝3時に電話が通じた。 pic.twitter.com/xbuTxtXFLZ
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これは震災から8年後、両親とも亡くなったあと、実家を撤収する前に思い出に撮った写真。母の証言では震災当日、写真の箪笥の上に置かれていた木製の人形ケースが部屋の反対側まで宙を飛んだそうだ。母は箪笥の前に寝ていたが、体の上を飛び越えた。 pic.twitter.com/HE3ryche6v
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一つ前の書斎の写真は、震災4日後の土曜日に実家の手伝いに帰省した折に私が撮ったもの。どうして震災直後のままだったかというと、本棚がドアの前に倒れていたため、中に入れなかったため。私がドアのガラス部分を割って、手を入れて棚を退かせた。 pic.twitter.com/5LoEoTN0TK
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震災から4日後、難渋しているだろう両親の手伝いをするために、4日後の土日、つくばからの高速バスの始発に乗って向かった。そのバスには荷物と服装から私と同じ目的で向かう人が2-3人乗っていた。これは阪神電車甲子園で降りて最初に撮った写真。 pic.twitter.com/Jxp06xoiGz
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阪神甲子園駅を降りて、最初は国道43号線を西に向かったのだが、そこは歩く人が多く、そこを避けて南の住宅街の中を歩いた。写真は地震で倒壊した住宅。後で分かったのだが、こんな状態の家は、下敷きになった人を救出するために掘りかえしたため。 pic.twitter.com/s8wLFDsv5q
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実家で昼食を食べたあと、父の案内で市内の被災状況の調査に向かった。最初に行ったのは埋め立て作った造成地。写真は宮川に架かった歩道橋だが、最初からこのように架けた訳ではない。驚くことに埋立地の地面が速報流動して川幅が狭くなったためらしい pic.twitter.com/Z8ZF2M342B
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そして次に向かったのはやはり阪神高速道路の倒壊現場。こういう被災状況 を撮るには最適のパノラマカメラFUJIの617での撮影。これが当時のままで災害遺構として残っていたら、と思うが、実際にはこの被災4日目から解体工事が開始された。 pic.twitter.com/7Yyjkrjqed
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さすが建設省。私の目の前で大型の重機がバリバリとコンクリートの壁を食いちぎり始めた。 pic.twitter.com/rQIR7YKH0m
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確か翌日は西宮市仁川の地すべり災害地を、自転車で向かった。土に埋まった住宅の中にはまだくすぶっている状況で、近くには十数本の消火器の残骸が積み上げられていた。気持ちが落ち込んで何とも言えない思いだった。 pic.twitter.com/8ekBGtqhji
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仁川地すべりの末端部の状況。そうかこの時は雨だったのか。屑ぶっていたというのは記憶違いかもしれないが、地すべり土砂に埋まって、さらに火災が起きた悲惨な状況はまだ生々しかった。 pic.twitter.com/QfIoM8Uofw
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大量の消火器や散水用のホースなど、近所の方が駆けつけて、必死で消火と救出活動に参加したのだろう。 pic.twitter.com/ADlf5JOy4a
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大量の消火器や散水用のホースなど、近所の方が駆けつけて、必死で消火と救出活動に参加したのだろう。先日の朝日新聞の「レンズの記憶」の記事の現場だったのか。 pic.twitter.com/pll48bB1oy
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私の母校だった中学校は避難所になっていて、人であふれかえっていた。ここの敷地は周りより1mほど高いが、これは昭和13年の阪神大水害の時に出てきた土砂を集めたと伝え聞いている。 pic.twitter.com/77yClSf01W
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22日の夕闇せまるなか、つくばへの帰途についた。途中、崩落した高速道路上で、間一髪で停止した観光バスと思われる車体を見つけた。すでに地上に降ろされていた。 pic.twitter.com/EtYkBEApGF
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木造住宅の倒壊の写真は災害直後から多数出回っているので、見飽きているかもしれないが、若い方の中には見たことのない人がいるかもしれないので、いくつか紹介したい。 pic.twitter.com/fAMQYIzTKa
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この写真、私の記憶が間違っていなければ、このお宅は地質学者の藤田和夫先生の自宅。この左隣りは関東震災も体験された池辺展生先生の自宅だが、倒壊していなかった。小さい頃に遊びに行ったが、関東地震の体験から丈夫な家を建てたのかも知れない。 pic.twitter.com/wiCVbHSdnW
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震災後最初の帰省の写真はとりあえずこれまで。余裕があればまた続きを書くかも知れない。 pic.twitter.com/AmIupzXQMt
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さて追加

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20年前の「阪神淡路大震災の被災状況」写真の続編。昨日は震災後、4日後と5日後だったが、今回はその翌週に行った時に撮った写真。翌週はJRで芦屋駅まで行けた。芦屋駅前の様子。最初見た時、被災したようには見えなかった建物がなんか変だった。 pic.twitter.com/hkFqRx8guQ
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この時は神戸市内にも行った。三宮の駅前の様子。いくつかのビルは一つの階が丸ごと押しつぶされていた。 pic.twitter.com/M5x9LYhlkP
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その後、調査で淡路島に渡った。写真は野島断層。 pic.twitter.com/rYeCZk0mF0
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野島断層の実体視ペア写真。今は出先なので平行法のみです。 pic.twitter.com/tjWXHI1FPW
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コメント

angel as ㌵㌤の猫 @angel_p_57 2015年1月17日
芦屋か…。路線復旧前、自転車で神戸入りするために芦屋を通りかかった時、割と変わってない山の手と壊滅状態の下町の違いに愕然とした記憶が…。
angel as ㌵㌤の猫 @angel_p_57 2015年1月17日
まあ、その。一応補足すると、芦屋の山の手は高級住宅街として知られていて (確かKinKi Kidsが「芦屋のお坊ちゃん」)。生臭い話ながら、ああ…って納得してしまった。
angel as ㌵㌤の猫 @angel_p_57 2015年1月17日
なお、神戸についたら某氏にこっぴどく叱られた。こんな所に来るよりも、もっと大事な、今やることがあるだろうと。当に。年バレするため詳らかとはしないけど。
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