1912年のパリで撮影された柔道(柔術)の映画?最初の演武は戸張滝三郎と三宅太郎だそうです。後半は柔道を使った護身術?昔の柔術っぽくて面白い。さっきの無拍子流の動画と違って、突き的な攻撃に対する技は一つしかないみたい。youtube.com/watch?v=HAVyBQ…
2015-01-12 01:30:41この頃の欧州での柔術、攻めも受けも当身が本当に少ないんですよねー。求められたものがそうだったのか、柔術側の考えた住み分け戦略なのかわかんないですけど。でもそのわりにボクシングと試合してたりするしw RT @inuchochin: 突き的な攻撃に対する技は一つしかないみたい。
2015-01-12 02:14:54@baritsu そもそも明治以前の柔術形の受、捕の突き技の割合ってものすごく低い気がします。柳生心眼流の受けの突きも元々は帯だったか袖だったかを掴みに来る動作らしいですし。
2015-01-12 02:17:48掴み→突きという変形はありそうですね。でも明治期には突くというのが形には無くとも当身解説などで多く見るのはなぜと言う疑問も @inuchochin
2015-01-12 02:34:17@baritsu 形で取りが突く技は結構あるんですが、下から突くような、間合いが近い突きの場合が多いようですね。私が習った技も掴まれてる間合いで突く技でしたし。 神道ヨウシン流や天神ミョウシン流なんかには飛び込み突きもあったようですが、やはりあまりそんな攻撃する人いなかったのかも
2015-01-12 02:56:54@baritsu 明治大正くらいから突きや当身が広まりだしたのかな?という気はしてます。神道六合流なんか色々当身技解説してありましたし、ようしんこりゅうも相手の突きに対して受け流して突き返す技が載ってましたし。初期の空手師範に当身技を学ぶために空手を習った柔術家が多いのも
2015-01-12 03:01:20@baritsu 当時、当身に対して関心が強かったのかな?という気がします。 あと、江戸時代の逸話を読むと案外当身が多いので、当身、突きは形の外で稽古していたのかも、という気もしなくもないです。
2015-01-12 03:03:42甲を下にした突は見ますね、水月に効き易いと教わりましたが。手刀も間合いが近い技ですしやっぱその辺の兼ね合いですかね。極の形で受けの攻撃でワンツー(的なw)が入ってて対拳闘だとありますがこの頃から対打撃が俎上に上がりだし、同時に空手含め取り入れたのかもですね@inuchochin
2015-01-12 03:29:47昨日の明治大正の当身拡散話、ひとつ思うのは扱い方の変遷なんだろな。例えば明38の「柔道大意」では「初学の士には授けざるの技なるを以て、本書には之を省略せり」これが大正2年の「柔道教範」では「今日では少しも秘密にする必要のない許りでなく、広く世人の之を研究して一層其の進歩発達を…」
2015-01-13 01:30:59明治44年の「柔術独習書」これは四心多久間流の人だけど「古昔より秘法と称して秘密にしておきましたものですが之を秘密にする程の害はありませんのです。ただ単に一時の呼吸を留るのみ」とし、でも先人が秘密にしてた物だからそれを敬って軽々しく扱っちゃダメよと
2015-01-13 01:37:13明治21年の警視流も各署から集めた人16流から抜した技に修正した実際に応用できるものとされてるが、形のの19手の内で突きで攻撃してくるのは1手。上から撃ち掛けてくるのが5手。分類に困るが当身使うのが3手あって、結構当身登場率が高い
2015-01-13 01:53:33こういうの見ると昔よく言われた「日本では突く殴るより上から撃つのが…」という説を思い出してしまうが、未確認だけどさらに後に突きが目立つようになるとしたらやはり間合い感覚が帯刀前提から無手前提に変わったとか、ボクシング空手等で突きというものを再認識したとかそんな関係もありそうだな
2015-01-13 02:02:40@baritsu @h_rokuyou @inuchochin 手の甲を下にした突きと言ったら下突きですね。国際式で言うと俗にボディブロー、アッパー、レバーブローかな。あとギドニーブロー。
2015-01-13 06:27:48空手風の正拳突きって古流柔術に無い、とはいいませんが古くからある形ではまだ見たこと無いです。RT“@baritsu: 甲を下にした突は見ますね、水月に効き易いと教わりましたが。手刀も間合いが近い技ですしやっぱその辺の兼ね合いですかね(略
2015-01-13 12:16:58