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トアルツイッタラーの『進撃の巨人』評…ガラパゴス島国「日本」と、それを覆う『壁』

キャラクター論から、進撃の巨人を見ている人もいます;http://togetter.com/li/84063
進撃の巨人 SF 講談社 別マガ 雷句誠 このマンガがすごい 別冊少年マガジン ファンタジー マンガ 宝島社
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y2k000 @y2k000
さて、進撃の巨人について。この作品がまずどこからモチーフを得ているか、といえば、それはもうエヴァンゲリオンである。エレンはシンジくんの内罰な側面をひっくりかえしている姿であり、ミカサは綾波だ。あの不気味な巨人は、むろん使徒だし、エレンの父ちゃんはゲンドウさんだ。
y2k000 @y2k000
というか、進撃の巨人とは、全般的にひっくりかえったエヴァンゲリオンであるといえる。この「ひっくりかえり」を最も理解しやすいのは、進撃の巨人における「壁の外」とエヴァのセントラルドグマの差異である。ともに作中のドラマ/サスペンス/ミステリーが集約される接点=異界との境界線であり
y2k000 @y2k000
進撃の巨人では、作品自体を象徴的に示す「壁」を中心に常にドラマが展開されるように、エヴァにあってはセントラルドグマ(に収容されたリリスとアダム)を中心にドラマが展開されている。両者を対照として考えるとき、この似て非なるモノの差異について考える必要が在る。
y2k000 @y2k000
エヴァにおけるセントラルドグマというのは、一個のウロである。ウロというのは率直に言えば女性器のことであり、そこに挿入する/したい/還元される/されたいモノたちの象徴である。セントラルドグマという穴は、いわばエヴァの母性についての物語を規定しさえしているわけだ。
y2k000 @y2k000
一方、進撃の巨人は、セントラルドグマ=母胎にすでにいる人間達のドラマなわけである。その壁=母胎を通って、産みの苦しみに直面しているモノたちの話なわけだ。あるいは、もっと対比的に捉えるならば、丸く囲った壁=睾丸の中にいる精子たちともいえるかもしれない。
y2k000 @y2k000
睾丸←→子宮の着眼点において重要なのは、母胎に回帰することが謎の終着点であったエヴァの意匠立てが、なぜああも科学的かつオカルトじみていたか、といえば、それはすなわち一度生まれて育ったモノが膣を通って、母胎に還ることのあまりの不自然さに由来しているといえる
y2k000 @y2k000
一方で、進撃の巨人において、敵=巨人に対してあまりにもちっぽけな自らの身体とむきだしになった命を描けるでしか戦えない人間の荒々しい姿と、それを強調するような巨人の観念的な姿は、科学の粋を集めたような仕組みでもって不測に備えようとして、つねに科学が敗北するエヴァの姿とやはり対応する
y2k000 @y2k000
その自然な(というにはすでに歪んでいるが、それだからこそ死がむき出しになった原初の闘争に身を置く極限状況を不自然なまでに、自然というならば)有様は、すなわち、卵子との結合のイスを争奪するための精子たちの闘争だといえる。その自然主義的な姿は、エヴァの母胎回帰に比べて実に分かり易い
y2k000 @y2k000
そして、その分かりやすさゆえに進撃の巨人は、壁を踏破していくことのミーニングそれ自体にカタルシスを感じられる構造となっている。これは少年漫画である。
y2k000 @y2k000
マンガの、ことに少年漫画にはある絶対的な教義がある。それは主人公の向かうのは絶対に危険な未知な場所であるということだ。これは言葉にしてみるとごく当たり前の話だけど、そこに含まれる意味を少し面白く感じて欲しい。
y2k000 @y2k000
すなわち、絶対に危険な未知の場所に、主人公が、なぜ? どうして? どのようにして? なにを求めていくのか? というわけだ。典型的な5W1Hだが、「いつ」が失効しやすいのはマンガ、というか創作物の常だが、(なぜなら、読者が接する物語には常に「いま」しかないから、後述)、進撃の巨人は
y2k000 @y2k000
実はメタ的に見ると「いつ」についても射程に入れている。この作品の主人公のアクションのミーニング(意味づけ)の非常な鋭さが分かる点で、なんの「いつ」なのか? といえば、実は読者の「いつ」についてなのだ。
@chikarakobu
@y2k000 進撃は単純化というか抽象化に成功してますよね。首の後ろ削ぎ落としたら勝てるっていうルールもそうだし、戦闘のたびにガスを補充するとか穴をふさぐとかみたいに単純な勝利条件が与えられている。
y2k000 @y2k000
この「いつ」という該当部分だが、マアマアめんどくさい読み替えなのだが、進撃の巨人の「高い壁をぐるりと囲ってとりあえず平和に生きていた人間、ある日、巨人たちにより壁を崩されて、領土を失い、平和を失うことに」という部分だ。
y2k000 @y2k000
この読み替えを高い壁=ガラパゴス的に市場成長を行った島国とすると、まんま現代日本の話にできるわけだ。大部分、内需で平和に食ってきたが、年月を経るにつれ恐怖を忘れながら潜在的には外意をおびえている。あるとき、ついにグローバリズムという名前の外国資本が乗り込んできて、えらいこっちゃ。
y2k000 @y2k000
とすると、壁の外に飛び出そうとする進撃の巨人のキャラたちというのは、世界市場に打って出る日本人なわけだ。だから、エレンやミカサが、共感を覚えやすいように黒髪なのだ。そうすると、暴力担当の彼らのそばに、アルミンというひ弱な金髪白人男子が控えているのも面白くなる。
y2k000 @y2k000
進撃の巨人の「壁の外」に向かうモチベーションに対する我々読者の共感しやすさというのは、実は幾重にも張り巡らされている作劇に支えられているわけなのだ。まだいくつかあるのだけど、もうひとつ、主人公達が危険に向かうことについてのメタ的なミーニングについて言っておくと、
y2k000 @y2k000
主人公達が向かう場所が絶対に危険で未知であるということを予見的に知っているのは、本来、読者だけなのだ。そりゃそうだ。普通はそうだ。だが、進撃の巨人が、ここでも強いエンパシーを覚えるように用意周到に設計されているリクツがあって、それは「兵隊の命は有事の際は紙くず同然」というもの。
y2k000 @y2k000
そして、その紙くず同然というのを兵隊はみんな受け入れて居るわけだ。つまり、進撃の巨人における兵隊さんというのは、本質的に特攻隊なわけである。そこにあるのは初手から敗者の美学である。これが日本人の心性になかなかピタっとハマってくるわけだ。見事なまでに間違った武士道っぷりである。
y2k000 @y2k000
@chikarakobu ガス補充はエヴァのアンビリカブルケーブルだし、カッターみたいなナイフは弐号機のプログレッシブナイフですよね、 首筋は使徒のコアだし、弱点やられると形象崩壊するし、とか言うと嫌らしいですね(笑)
y2k000 @y2k000
もっとも、エヴァの企画書には、こうした弱点設定というのはゲーム的であるとしてウリにしてましたから、着眼点は同じなのでしょう。似たようなゲーム的なモデル化は、あちこちで見る。
y2k000 @y2k000
さて、進撃の巨人が持っている極限状況、その中の悲愴な覚悟、巨人の跋扈する未知への挑戦が、「大局的に負け」を好みがちな日本人の心性に迫ってくるのは、実はこの作品が大ヒットすることを保証している。例えば、このテのモチーフで最も優れている先行作品といえば、
y2k000 @y2k000
「風の谷のナウシカ」である。あれも実はかなり第二次世界大戦による敗戦のトラウマについて戦後日本の心性に迫っている作品なのだ。環境保全冒険活劇なダケじゃないんですよ。あれは。トルメキア=巨人=アメリカで、巨神兵=エレンの巨人=アメリカをやっつけることのできる空想科学兵器
y2k000 @y2k000
で、巨神兵がすぐさま腐ったように、空想科学兵器が、おおむね戦術的勝利でしかないように、とにかく運用できなかったわけ。巨神兵のラインでいえば、エヴァも旧エヴァ劇場版は、退路を断たれて、継続的かつ執拗、徹底的に攻撃を喰らったネルフやエヴァ弐号機(弐号機は運用面でシステムの範疇にある)
y2k000 @y2k000
も結局、物量の前に敗れ去っているわけだ。これがほんとに今までの日本の作劇における一種の様式としての限界で、だから、押井守のインナースペースが評価されたんだけど、そう考えると、今、進撃の巨人のようにエレンの巨人=巨神兵=エヴァを運用しながら、巨人=アメリカ(を中心に据えた世界)から
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コメント

五代雄介 @Eric_Ridel 2010年12月11日
つぶやきさらに追加。
五代雄介 @Eric_Ridel 2010年12月11日
@y2k000さんの、進撃の巨人レヴューを追加中。@y2k000さん、どうですか?
五代雄介 @Eric_Ridel 2010年12月11日
タイトルを、トアルツイッタラーの『進撃の巨人』評…ガラパゴス島国「日本」と、それを覆う『壁』に変更しました。
ええな@手を洗うネコ🐽 @WATERMAN1996 2011年2月5日
「閉じられた世界」を明示的に、それはもう明示的に描いた作品は、長谷川裕一の「マップス」がある。風の谷のナウシカに匹敵する程エポックな作品なんだけど、この手の話に際してはなかなか分析に使われないね。