中世フランスの農業の変遷 【中世パン図鑑別冊】

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tenpurasoba @tenpurasoba4

中世パン図鑑 中世の農業の変遷  パン中心の食生活に至るまで農業に幾つもの革新があった。牧畜中心だったガリアの地に麦作をもたらし鉄器農具、有輪鋤、労働家畜の飼育に馬具、三圃制、水車、農民身分への変化など。明日より一つづつ紹介する。 pic.twitter.com/IqgeG4C4SU

2014-12-03 00:10:53
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構成

中世前夜
 ローマ帝国時代における現在の東西ヨーロッパがどのような状況だったか、どのような農業を行っていたかについて解説する。

黎明の中世 
 民族大移動を通して中世初期のフランスの農業や麦作りに関する状況がどのようなものであったか解説する。

パンの時代
 中世初期の混沌とした状況からどのような技術革新が起き、生産量及び人口が増える状況を作ってきたかについて解説する。

 また「パンの時代」における麦の生産者である農民達の生活の様子についても解説する。

落日の中世
 中世がどのように終わったか、どのような変化が生まれつつあったか駆け足で解説する。

中世前夜

ローマ帝国と辺境

by Hannes KarnoefelCC BY-SA 3.0

 ローマ帝国は、その版図を地中海沿岸のみならず現在のスペイン、フランス、イギリスまで伸ばしていた。

 ゲルマニアにもその手を伸ばそうと何度も挑戦したものの最終的にあきらめライン川沿いに国境線を形成した。

tenpurasoba @tenpurasoba4

中世パン図鑑 中世前夜① ローマのガリア 中世以前フランス一帯はガリアと呼ばれローマ帝国の一部となっていた。アルプス以北は原生林が極めて多く、樹海の中にヴィラ(荘園)が点在しブドウや小麦を生産していた。道路網も含め後に引き継がれていく pic.twitter.com/PRYLdbOP5E

2014-12-04 00:46:35
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by Feitscherg CC BY-SA 3.0

ガリア戦争

 辺境であったガリアに遠征しローマ帝国に組み入れたのはユリウス・カエサルである。紀元前58年から51年に行ったガリア遠征によって版図を広げた。

 対抗するため全ガリアの部族をまとめあげたウェルキンゲトリクスの軍を紀元前52年のアレシアの戦いで破った。ウェルキンゲトリクスは処刑され、ローマによるガリア支配を決定づけた。

深き森の古代ヨーロッパ

by Snežana Trifunović CC BY-SA 3.0

 様々な調査から、古代ヨーロッパは深い森に覆われていた事が分かっている。

 ヨーロッパの発展と共に森は切り開かれてきた。その後植樹などを行い森林面積をある程度確保した。

 現在フランスの森林面積は23%となっている。

ローマ帝国の荘園ウィラ

by Boksi CC BY-SA 3.0

 ウィラは帝国上流階級が建てた邸宅である。

 特に田舎に建てられたウィラには広大な荘園があり完全に自給自足できるのが特徴だった。

 畑から取れる麦でパンを焼き、ブドウ園からはワイン、オリーブ園からはオリーブ油を供給できた。

採石場をそなえたウィラもあった。

tenpurasoba @tenpurasoba4

中世パン図鑑 中世前夜② 辺境のゲルマニア ガリア東方のゲルマニアも深い森で、ビール用に麦栽培がされていたが何年も休耕しその間家畜を放牧していた。森の収穫物と家畜が主な食料で、木炭を豊富に使い冶金術にすぐれ良質な鉄器を生産していた。 pic.twitter.com/xX7OJT3eJG

2014-12-05 00:33:44
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 ゲルマン諸部族の集落は2,3世帯程度の小さなものが散在し、麦からビールを作ってはいたが収穫が終わった耕作地を長く放置し家畜の放牧場にする事が多かった。

 森は共有していたが隣の集落との境界は曖昧だった。

ガリア民族?ゲルマン民族?

 どちらもローマ帝国がその地域をガリア、ゲルマニアと呼んでいたのであり、元々統一された民族がそこに住んでいたわけではない。

1世紀の頃のゲルマン諸部族の居住領域

by Electionworld CC BY-SA 3.0

 東から沿岸部にゴート族、その南にヴァンダル族、その西の小さい領域にブルグンド族が見える。

西に後にフランク族に合流するフリーセン族、シャマーヴィ族が見える。ゲルマン諸部族には部族間の交流や融合が見られた。

この頃はまだ「フランク族」は存在しない。

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