中世フランスの農業の変遷 【中世パン図鑑別冊】

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 シャリヴァリとは「儀礼的懲罰」とも言われ、結婚以外にも共同体のモラルを破った者に対してしばしば行われたと考えられている。

 近世に入って政治的な色合いが濃くなるが、それまでは共同体の意思を代弁し、異質な者を受け入れる上で重要な働きをしていたと考えられる。

参考文献
堀越宏一「中世ヨーロッパの農村世界」p69-70
J.ギース「中世ヨーロッパの農村の生活」第六章結婚と家族

Medieval Marriage Noblewomen vs Peasants

シャリヴァリの実態とその衰退

落日の中世

tenpurasoba @tenpurasoba4

中世パン図鑑 落日の中世 ①危機の世紀 14世紀にあらゆる災厄が起きる。生産力低下による大飢饉の頻発。ペストの大流行。百年戦争と農民反乱。多くの人が死に村が荒廃した。その中で農業は集約・効率化され、多様な商品作物を作るようになった。 pic.twitter.com/4y8bcILICQ

2015-01-27 00:47:53
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by Roger_Zenner CC BY-SA 3.0

 14世紀は危機の世紀と呼ばれている。1枚目の絵は「黙示録の四騎士」の絵で勝利の上の勝利、戦乱、飢饉、疫病、死を象徴しており14世紀の危機を象徴するのにふさわしいと考え選んだ。

 一連の危機により人口は急激に減った。下図は中世イングランドの人口動態で盛期に増え続けた人口が14世紀に一気に減っている事がわかる。

via http://faculty.history.wisc.edu/sommerville/123/123 13 Society.htm

飢饉

 急激な人口増加に食糧生産が追いつかず、更に中世温暖期の終焉、森林の急激な減少、堆肥の不足等から農業生産力も落ち大飢饉が頻発する。

疫病

 麦角菌やらい病など中世を通して様々な疫病の流行があったが、黒死病によって大量死が発生する。黒死病はペストだったと考えられている。
 
 1347年から1353年にヨーロッパ全土に瞬く間に広まった黒死病により全人口の三分の一が死んだと言われている。
 
 一説にはモンゴル帝国により東西の交易路が整備されたことで、先に中国で発生したペストが宿主のクマネズミとともにヨーロッパに伝わってしまった事が大流行の原因とも考えられている。

第 4 回「ペスト」−中世ヨーロッパを揺るがせた大災禍

 黒死病は、近代でも度々大流行しその度に多くの人命を奪ってきた。

相次ぐ戦乱

 1337年からイギリス、フランス間の王位継承権を巡る一連の政治闘争及び戦争を百年戦争というが、これによりフランスの多くの農村が荒廃する事となる。

 1358年、農民に溜まりに溜まった不満は「ジャックリーの乱」として噴出するが結果的に鎮圧されてしまう。

価値の上がった農民

 一連の人口減少及び荒廃は、食糧供給をますます困難にさせた。その事が逆に農民の労働力の価値を上げることになる。

 また、働き手の居なくなった農地が残った農民に集約され、高まるばかりの食料需要から、農業の集約化効率化が図られる。その中でひよこ豆やメロン、キュウリなどのいわゆる「商品作物」の栽培が盛んになる。

tenpurasoba @tenpurasoba4

中世パン図鑑 落日の中世 ②新時代の胎動 大航海の果ての「発見」は世界とヨーロッパの歴史を否応無く繋げた。社会変容の中でドイツ農民戦争が起き鎮圧される。しかしそれは宗教改革という大運動の前哨でしかなかった。中世は幕を引き近世が始まる。 pic.twitter.com/hqRL8V47Iq

2015-01-28 01:16:23
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大航海時代

 1492年、クリストファー・コロンブスは本人はインド信じて疑わなかったアメリカに到達する。
 
 その前後から始まった大航海時代は、アラブを介してとてつもない高値で取引される「香辛料」の独自交易路を模索して始まったと言われている。

 いわゆるインド航路の発見により、インドや東南アジアの香辛料は直輸入されるようになる。

 また「新大陸」からは、イタリアの食を激変させるトマト、ドイツやアイルランドの命綱となったジャガイモなど様々な新種の作物や、お菓子の代名詞になるチョコレートの原型が持ち込まれる。
 
 これらの「新種」の作物が普及するにはさらに数百年かかった。

 また植民地経営やテンサイの栽培により、中世には高級品だった砂糖が近世に普及しはじめる。

 大航海以来始まった、世界とヨーロッパとの直接交易は、食卓やパンの世界をも次第に大きく変えていくことになる。

中世の終焉

 中世の終わりをいつにするかは、それを語る論点などにより変わってくる。

 しかし中世フランス及び西欧の農業において既存のシステムが解体され始めるのは、この時期かもしれない。

 1493年から始まったブンドシューの叛乱、いわゆるドイツ農民戦争は、ルターによってもたらされた宗教改革がきっかけともいえる。

 カトリック対プロテスタントの一連の争いの中で、ローマ・カトリックによる統一、領邦国家という地方自治、農村の自治という独立性は次第に解体されていき、各「国」の王権の強化に向かっていく。

 こうして「中世」は終わり「近世」が始まった。

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