- seikai_m10
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節の分け目とかいて節分にございまする。古くは厄年の方が「鬼大豆」を撒き、厄をはらったことが豆まきの起源だとかなんとか。某も物心ついた時にはオラァと撒いておりましたな、それで歳の数の豆を食べておりました。ところで、今食べると四百粒以上…
2015-02-02 23:31:24ちなみに、恵方巻というものは、某らは食べたことありませぬなあ。一つの話には、某の同僚にて清水宗治殿の最期を見届けた堀尾殿が、恵方巻っぽいのを食べて出陣したら勝っちゃった!ってところから縁起を担いで…というのもありまする。一応、こちらは江戸の末に始まったそうにございまする。
2015-02-02 23:36:12そういえば、蜂須賀虎徹は現在個人の方が持たれているそうでございます。ちなみに、蜂須賀の刀は虎徹だけではなく海部の刀なども有名です。岩切海部は三好殿がお持ちになられていたものですが…美しいですぞ。たまーに博物館で展示されまするので、機会あれば是非ご覧になられて下され!
2015-02-02 23:40:18またどうでもいい話ですが、あの弁慶殿がお持ちされていた岩融でございまするか。あれを本丸に置いておくと、「がはは主は小さいのう!」と言われるのですがうっせえな俺ァ平均身長だこの野郎レスラーじゃねえよ!摺り上げて短刀にすっぞコラァ
2015-02-02 23:42:56岩切海部は、現在の阿波南部、土佐との国境付近にございまする海部郡で生まれた刀。海部刀と呼ばれ、趣は分かりませぬが、幅広にて実践向きの刀でございました。戦国時代、三好に仕えていた海部友光殿が、恐らく三好長慶殿に献上したものと思われまする。
2015-02-02 23:56:19この海部殿は、長宗我部殿の弟殿を討ったとのことで攻められてしまい、居城であった海部城は落城。海部殿も行方知れず…ここから、長宗我部殿の阿波侵攻は始まったのでございまする。……数年の後、我らが阿波を拝領し、海部には、信頼のおける某の盟友、中村右近大夫が入ることと相成りました。
2015-02-03 00:00:44@yomi_temae 「(ギリィ)…三好サマ…長宗我部…ッ」 「(家;´д`)志摩ーもう寝なよー明日も早いんでしょ?」
2015-02-03 00:14:49望み、希い、書き換えた歴史も、いずれは繰り返されるもの。一時的な望みを叶えたとこで、決して、貴方は楽にはなれませんよって。ふふふっ。
2015-02-03 00:22:09若者は、家を守るのに必死でした。そのために、元々仕えていた家を見限り、敵対していた家へと鞍替えをしました。元々仕えていた家から嫁を貰っていたにも関わらず、です。仕方ない仕方ない、世のならひ。
2015-02-03 00:30:00若者は、元の家を裏切ったこと以外は、清廉潔白の人間でした。元の主を攻めたときも、その他の部下は助けたりと、情の厚いところもみせたのです。未練が、あったのかもしれませんねえ。
2015-02-03 00:36:51もしかすると…若者は死ぬ直前悟ったのかもしれません。自分が元々裏切ったからだ、と。しかし、自分は家を守るためにやったのだ、と。仕方のないことだ、と。自分に言い聞かせ続けたのでしょう。納得ができなかったのでしょう。
2015-02-03 00:40:22