【ゼーガペイン】カミナギ・リョーコにみるゼーガペインの主張

こんにちは。つい最近知人のすすめで『ゼーガペイン』を視聴しました。ヒロインのカミナギ・リョーコちゃんが大変可愛らしいのみならず、作品のテーマを担う重要なキャラクターであるように見えたので、簡単にまとめてみたいと思います(^^) *一部ツイートの再投稿のため時系列はバラバラです。お気になさらず。
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あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

本作のテーマは「選択」だと考えられる。すなわち、仮想と現実、実体と虚構のどちらが、あるいはどれが「本物」と言えるのか?という問いを設定し、主人公キョウとヒロインカミナギの二人が、別ルートから同じ回答を導く。

2015-03-14 14:06:56
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

結論から言ってしまえば、キョウもカミナギも「問いを発しない」、つまり「どれが(真に存在価値を有するという意味で)本物であり、どれが(存続するに値しないという意味で)偽物なのか?そんなことはどうだっていいのだ」というのが二人の答えである。これを端的に表すのが「胡蝶の夢」である。

2015-03-14 14:11:24
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

「胡蝶の夢」とは次の通りである。ある時、人間・荘周は夢の中で蝶となりひらひらと空を舞っていた。目が覚めた時、荘周は今の自分が現実の荘周なのか、それとも蝶の見る夢に過ぎないのかを疑問に思う。この故事の辞書的な意味は「夢と現実の区別がつかないさま」である。

2015-03-14 14:15:40
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

しかし、この故事の真意は別のところにある。夢と現実、人間と蝶のどちらが真実の姿か?そんなことは問題ではなく、蝶である時は悠々と空を飛び、人間である時は力強い大地を踏み歩けばよい。どちらも己であることに変わりはなく、人がかくあるごとに事象に区別をつけたがるのは馬鹿らしいと説く。

2015-03-14 14:24:21
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

ゼーガペインでは、この教えが序盤でミズサワの口から語られる。「夢でも現実でも、どっちでもいいと思うの」。この答えは「本当の自分」を求めたがる高校生の少年少女への等身大のメッセージでもある。そして、このメッセージを補強するのがカミナギである。

2015-03-14 15:30:50
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

世界の真実を知った時のキョウとカミナギの反応を見比べてみよう。キョウは自らの生きる仮想世界を否定し、自分は本当に生きているのか?本当に自分はソゴル・キョウなのか?と自問自答する。対してカミナギは事実をすんなりと「受け入れる」。「了子」という名前にはその意味が掛けられている。

2015-03-14 14:32:29
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

カミナギはキョウのような自問自答に陥ることなく、舞浜サーバー内でのデートを満喫し、オケアノスの面々とも打ち解け、現実世界の風景に心躍らせる。このカミナギの「了子」性は、世界の選択に限らない。彼女は敵であり、他のセレブラントからは怪物と断じられていた復元者・シンとも和解する。

2015-03-14 14:37:28
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

すなわち、カミナギにとっては「どれが真に価値あるものか?」という問いの土台すら用意されていない。本物と偽物、敵と味方という区別に拘らず、全てを肯定する。これぞ「了子」の示す「胡蝶の夢」の教えと言えよう。

2015-03-14 14:40:24
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

本編終盤での回転寿司店での各登場人物の行動を見てみよう。回るレーンはループする仮想世界、姿のない板前はナーガ、そして一つひとつの皿は幻体や復元者などの様々な存在様式のメタファーである。ナーガはシャリとして全ての皿に存在する。そして客はループから外れ、皿を選べるセレブラントである。

2015-06-04 09:00:53
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

キョウは赤身を取り続ける。赤身は血の通った部位であり、命や生身の生の象徴と考えられる。対してクロシオは、一度目には赤身を選ぶが、二度目に流れてきた時には見送る。この時の彼にはデータとしての安定した生の方が魅力的だったからだ。

2015-06-04 09:06:28
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

そしてカミナギは、あらゆる皿を選り好みせず片っ端から取り続ける。彼女にとっては、幻体も復元者もAIも、もちろん普通の人間も、同じように価値がある、という答えの表れである。

2015-06-04 09:11:51
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

では、彼女はキョウをどう変えていったのか?ここで二人の関係を見直してみる。中盤で彼女は突如昏倒し、ゼーガペイン搭乗時だけ十全に行動できる。安全で閉ざされた世界(病室)と、危険で限られた自由な世界(アルティール)。この対比はちょうど「仮想世界 対 現実世界」の縮図と解釈できる。

2015-03-14 14:47:07
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

幻体たちの暮らす世界は機械によって維持された閉ざされた世界だ。自分の意志で外に出ることはできず、外から呼びかけても返事はない。彼女の名前が貼られた病室の中、呼吸器やチューブで生命を保つ様子は「Maihama」と記された箱の中の世界を髣髴とさせる。

2015-05-15 10:27:22
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

続いてカミナギはシンによる復元を経て、舞浜サーバー内でも自力で動けるが、感情を欠くようになる。他方、ゼーガペイン搭乗時には感情も含め十全だが、やはり時間は限られている。

2015-03-14 14:49:31
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

復元者は己の想いを忘れ、無機質な永遠を受容した者。そして幻体たちの暮らす量子サーバー世界は、味気ない1と0の羅列で表現される。生きてはいても、活きてはいない。無表情なカミナギは視聴者に、たとえ限られた間でも喜怒哀楽に溢れ、悪戯っぽく微笑む初期の彼女を志向させる。

2015-05-11 23:05:06
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

すなわち「安定したデータ人間 対 不安定な人間らしい人間」が対比される。かくして中盤以降のカミナギは二つの世界、二種類の人間の象徴となる。これを端的に「両子」と呼ぶことにしよう。この「両子」のどちらをキョウは取るのか?という問いが、世界と人間の選択とリンクする。

2015-03-14 15:37:52
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

ではキョウは「両子」のうちどちらを(あるいは、どれを)本物の「カミナギ」と定めたのか?答えは「選ばない」である。病室で眠る彼女を心配し、舞浜サーバー内の彼女に明るく話しかけ、コックピット内でのキスの誘いに赤面する。どれもが「カミナギ」であることに変わりはないという答えである。

2015-03-14 15:09:36
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

かくして、キョウは「どれが本物か?」という問いを引っ込め、ただそこにいる「カミナギ」を受け入れていく。「カミナギ、舞浜の空は青いか」の台詞は、真贋の区別を超えた世界と人間の在り様の肯定を象徴する。その上で前に進み、痛みを感じられる現実を取る。

2015-03-14 15:14:28
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

かくしてゼーガペインは「カミナギ・リョーコ」を通して「胡蝶の夢」の教えーー「正解にこだわらず、自由に生きよ」を説く。これこそが視聴者へのメッセージだと考えられる。最終回、二人の「人間」ーー実体のキョウと幻体のカミナギが笑い合う場面の心地よさは、この世界と人間の肯定あってこそ。

2015-03-14 15:23:30
あるにゃん(2024冬まで生きる) @Arnicat_38

ひとまず以上でこの考察は終わりです。カミナギは本当に素晴らしいキャラクターであり素敵なヒロインだと思いますので、是非ともゼーガペインを観てみてください(^O^) ありがとうございました! pic.twitter.com/ROf6O3FCcA

2015-03-14 16:35:33
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