明治期の"博物館の能舞台"-名古屋・金沢・大阪

まとめました。
歴史 大阪 能楽 能狂言 名古屋 金沢 博物館
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奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara
先夜の、なおさん(@gasenetta )のツイートに始まる、明治期の“博物館の能舞台”のお話。 興味は尽きないので、勝手ながらリピートします…
なお @gasenetta
名古屋能楽堂の展示スペース手前の年表から。明治27年、愛知県博物館に能舞台ができたとな。 pic.twitter.com/vMvWF53XKn
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なお @gasenetta
この情報今まで見落としてたのかそれとも知ってたけど記憶が抜け落ちてるのか(悩)。愛知県博物館?能舞台?今の複合施設たる愛知芸術文化センターみたいな最新施設だったのかしら。以前話題になった鶴舞公園美術館は昭和に入ってからだったけど→ nga.or.jp/park/tsuru/tsu…
なお @gasenetta
愛知県博物館、写真もあります pic.twitter.com/OEtnH8ZTEG
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Tapkaara @Tapkara
@gasenetta 恐れ入ります。ググリましたらこんなのが出てきました。「同館の前身は、明治11年4月に創立した工藝博物館(明治14年に公立名古屋博物館、明治16年に愛知縣博物館と改称)」。愛知県商品陳列館の前身のようです。nagoya-cci.or.jp/history/meiji/…
リンク www.nagoya-cci.or.jp 愛知縣商品陳列館の開館 - 名古屋商工会議所のあゆみ | 名古屋商工会議所の沿革・歴史を紹介する「名古屋商工会議所のあゆみ」 「名古屋商工会議所のあゆみ」は名古屋商工会議所の沿革・歴史をご紹介するサイトです。
リンク コンテンツ投稿 明治時代の名古屋「商品陳列館」 : Network2010.org 名古屋100km圏内の街道・歴史・文化・祭・イベント・観光情報など地域の魅力を独自に取材し、動画・写真でたっぷり紹介!
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さうび @mme_hardy000
@gasenetta @tamuto 大須にこんな洒落た建物があったのですねー!猿面の茶席があったなら能舞台もありですね。
カスホ @kasuho
愛知県博物館、近デジで尾張名所図絵該当頁が。「博物館は門前町に在り愛知縣下の地方税を以て経営するものに係り毎年春秋両度に之を開館す凡そ本館に陳列する処の物品は天産人造に係る物品にして苟くも諸人の縦覧に供し以て知識開発の利益となり」云々。kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…
なお @gasenetta
Network2010.org network2010.org/article/688 「愛知県商品陳列館は明治末期に商工業の振興を目的として大須門前町に建てられたルネサンス様式の堂々たる建物。」の前身が愛知県博物館と判明。
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara
「明治27年(1894)、大須赤門付近にあった門前町総見寺境内の愛知県博物館内に舞台が建設されます。発起人が寄付を募って舞台が建設されたという点が博物館舞台の特徴であり、那古野神社の神楽殿が完成するまで使用されたようです。」名古屋市博『狂言でござる』展図録
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara
@gasenetta 金沢でも明治期の演能の中心は、博物館の舞台だった時期がありますね。藩政の崩壊後、「能舞台」ってものの占める場所が、博物館の一画にしかなかった…ということなのかもしれません。”
なお @gasenetta
@KatsuoOkuhara 金沢もですか。明治~昭和における能舞台の変遷の激しさは苦難の時代の表れなのかなと思っていたところでした。博物館が場を提供していたというのは新しい、とても興味深い発見です。
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara
@gasenetta 「能舞台/能楽」の位置づけが定まらなかったのだと思います。名古屋も金沢も、ですが、その「能舞台」に立つ人も観る人も、藩政期とは大きく違ってきている時期なわけで…「能舞台/能楽」が完全に民間のものになってゆく過渡的な状態ですよね、きっと。”
なお @gasenetta
@KatsuoOkuhara なるほど、そこにお上が持ってきた外来の博物館なる、これも位置付けの定まらないものが登場してきて、一時場を同じくしていたわけですね。めちゃくちゃ面白いです。
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara
明治期の、「博物館」「能舞台」それぞれの位置づけ。地理的、物理的な意味だけではなく、それぞれの社会的、文化的な位置づけが、どのように定まってゆくのか?その変動の過程で、どのように交差したのか?…というあたり興味深く。  名古屋と金沢、個別には知っていたが並べてみると、また色々…。
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara
明治期の初期の「博物館」て、「展覧会」「博覧会」という名のいわば物産展のようなものの延長として、それがきっかけになって常設会場ができた、(云い方は悪いが)文明開化を前面に出した「見世物」会場の趣があるわけで、先の“愛知県博物館”の大須という立地は、まさにその辺を表しているだろう。
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara
金沢も、兼六園内で“金沢博覧会”が開かれたのが、明治7年。その後、園内の巽御殿(現・成巽閣)を利用して“金沢博物館”が設置されるのが、明治10年。明治11年に“勧業博物館”と改称、明治13年に県に移管され“石川県勧業博物館”となる。  …名古屋と同時期ですね。
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara
金沢の“博物館の能舞台”については… 「『石川新聞』の明治十一年六月十二日の記事によると、このころ成巽閣は博物館であったが、その博物館の社員一同が醵金をして、旧館内に能舞台を建設しようと着手して来たのが、出来上がるので六月十六日舞台開き…(略)…という記事がある。」『金澤の能楽』
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara
名古屋の“博物館の能舞台”について、「発起人が寄付を募って舞台が建設された」とあったのとあわせ、藩政崩壊後、拠り所を失った「能楽/能舞台」の、近代における新たな位置づけが定まる以前の過渡的な状態が伺われて興味深い。
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara
藩政期の常設の能舞台は、(個人宅の稽古舞台を別とすれば)城中の舞台か、寺社の祭礼のための能舞台(神楽殿)のいずれかだろう。(※一定の留保は必要だが…)  明治期にも、もちろん寺社の能舞台はあるし、祭礼の神事能などは催されていたわけだが…新たに演者も観客も藩政期とは大きく異なる…
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara
…民間の興行としての「能楽」が定着し、そのための能舞台が生まれることになる。  金沢では、能楽師一個人の手による“佐野能楽堂”の建設は明治33年。明治41年まで存在した「成巽閣の舞台は、佐野の能楽堂が出来るまで、能楽復興のよりどころとなった大切な舞台であった。」『金澤の能楽』
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コメント

なお @gasenetta 2015年3月7日
まとめを更新しました。
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