- motonagajiro
- 11970
- 3
- 16
- 36
なぜスタンリー・キューブリックが私の周辺で「チュブリラ」と呼ばれるか?ここに言語学におけるdrift(偏流)、あるいは筆写による突然変異の誕生のドキュメントが刻まれている。その状況については、心ある学生がいつか説明するに違いない。(つづく)
2010-12-13 01:02:04当方の担当する西洋建築史・近代建築史の期末考査はテストでもレポートでもない。それはノート提出である。付記において引用元を記せば、wikipediaも使ってよいことを言明している。
2010-12-13 01:10:40140人前後のノートをチェックするのは大変のはずだ。わ、こんなかっこいいこと言ったんだといううれしい発見もあるし、侮蔑まじりの別の見解が入っていてもそれはそれで己の見解を広げるのに役に立つ。ノートをみるのはすばらしいフィードバック作業となっている。しかしそれはそれほど大変ではない
2010-12-13 01:14:02なぜならその約半数程度が写本、異本であるからだ。しかしそうであっても手で写されている限りよほどのことがない限り単位をあげないことはない。最低点だが単位は与える。歴史は写すことによって伝えられるのであるから。
2010-12-13 01:17:59しかし昨年度、私はゴシックからルネッサンスへの認識論的革命を説明するのに困って、『2001年宇宙の旅』のスターゲイト以降シーンを見せることにした。もう名作中の名作だからすいませんと行ったらほとんどがキューブリックを知らなかった。
2010-12-13 01:19:23アドリブ上映会であったため、「あの有名なキューブリックの」と口頭で言ったのみであったのであった。混乱が生じた。スタンリー・キューブリックの呼称にいくつものヴァリエーションが発生してしまった。その中でやや平均より上であるノートの作者が一人「チュブリラ」と聞き取ってしまったのであった
2010-12-13 01:23:03その作者はとても心の広い学生であったように思われる。そのノートは一つの原典として、なぜか強力な支流を形作ってしまったのだった。成績考査の時点で、私たちはノートにおける原典と写本、異本の発生過程を壮大な系統樹へと組み立てたのであった。
2010-12-13 01:25:39そしてそのもっとも強力な支流(ここではチュブリラ本系列という)を整理し終えたあとに、私は壮大な添削のプロセスに入ったのだった。誤字のみを指摘することにしたのである。途中でめんどくさくなってやめたが、学内ネットにおいてチュブリラ系列本の存在を発表し、その間違いをただしたのである。
2010-12-13 01:28:43だって、都の西北の大学の何十人かの学生が、将来、あああのチュブリラの映画ね、といって、インテリ異性にどんびかれるのだけは、職業的倫理がゆるせなかったからである(完)
2010-12-13 01:30:46