「試合稽古」形稽古と試合稽古から見る、日本の剣術剣道の歴史2
- inuchochin
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「袋シナイ」形稽古と試合稽古から見る、日本の剣術剣道の歴史1
現在、創作作品や一般のイメージにある、「木刀を使う形稽古しかしない剣術流派」というのは、江戸時代半ばの18世紀後半には既に珍しい存在になっていたようです。この時期に書かれた全国の諸流について書かれた「撃剣叢談」でもそういう流派はわざわざ「木刀しか使わない」と特に書かれています。
2015-02-14 13:45:54時代が戻りますが戦国時代の流派の新陰流の技法について、江戸初期に書かれた書に、形について「クダキ三づつあり」(変化技が三つある)や「よく砕けば変化は限りない」というような事が書かれています。また「積、身位、勝口、悪しければ則ち当る」(構や技が悪ければ敵の攻撃が当る)ともあります
2015-02-14 13:48:37形稽古は手順を追う踊りのようなもの、と思われている方が武道家の中にもいますが、本来形稽古はもっと自由なもので理にかなわない動きをすれば成立しない(勝つはずの側が負ける)ものです。また打太刀も、必ず同じ攻撃をするわけではなく、必然性があってその攻撃をするように組立てられています
2015-02-14 13:50:45たとえば、仕太刀(勝つ側)が構えに隙を見せるのでそこを打つ、とか、仕太刀に詰め寄られてどうしようもなくなり打つ、とか色々理由があってその攻撃をするように組み立てられています。
2015-02-14 13:51:24つまり、稽古における制限を大きければ形稽古になり、小さければ試合稽古になるというイメージです。制限大⇔制限小形 ⇔試合ですから、一言「試合」といっても色々な形式があり、剣道的格闘技的な試合をイメージすると剣術の稽古やその発展についてについて理解しがたいかもしれません
2015-02-14 13:52:55・まとめ形稽古と(剣道的な)試合稽古はデジタルに分けられる二つのものではなく、その間に数限りない稽古の形式がある。袋シナイを使用した、なんらかの試合稽古は江戸時代初期にはすでにほとんどの流派で行われていたと思われる。
2015-02-14 13:53:38続きはこちら
日本剣術剣道の歴史その3