都名所図会巻之三 4頁 「夫木 二月や けふ 初午の しるし とて いなりの 杉は もとつ 葉も なし 光俊」 nichibun.ac.jp/meisyozue/kyot…
2015-02-18 10:31:01都名所図会巻之三 5頁 「三(みつ) 之(の) 峰(みね) 稲(い) 荷(なり) 社(やしろ) 後拾遺 いなり山 三の玉かき うちたたき 我祢き ことを 神も こたへよ 惠慶法師」 nichibun.ac.jp/meisyozue/kyot…
2015-02-18 12:37:46都名所図会巻之三 6頁 「三(みつ)の峰(みね)稲荷大明神(いなりだいみやうしん)のやしろ」 nichibun.ac.jp/meisyozue/kyot…
2015-02-18 10:36:28「三(みつ)の峰(みね)稲荷大明神(いなりだいみょうじん)のやしろは、大和大路(やまとおおじ)[伏見街道] の南にある。往昔(そのむかし)人皇(にんこう)四十三代元明帝(げんみょうてい)の御宇(ぎょう)、…」 RT @kandemo
2015-02-18 11:25:10「… 和銅(わどう)四年二月十一日午(むま)の日に、此山(このやま)に出現(しゅつげん)された。本社(ほんしゃは)第一宇賀御魂神(うがのみたまのしん)第二素盞烏尊(すさのをのみこと)第三大市姫(おほいちひめ)[已上]である。 …」 RT @kandemo
2015-02-18 11:26:15「… 田中社(たなかのやしろ)四大神(しだいしん)この二神(にじん)を併(あわ)せて、五座(ござ)と称(しょう)する。弘長(こうちょう)三年にお告(つげ)があって、文永(ぶんゑい)年間に、併(ならべ)奉(たてまつ)った。[神祇拾遺] …」 RT @kandemo
2015-02-18 11:26:56「… 又(また)、田中社の客人神(まろうどのしん)大歳神(おほとしのかみ)は、鶴(つる)と化(け)して稲(いね)の實(み)を含(ふく)んで来現(らいげん)される。このゆへに一切(いっさい)の鳥(とり)を献(たてまつ)ることを忌(いむ)という。…」 RT @kandemo
2015-02-18 11:28:03「… 延喜(ゑんぎ)八年、故(こ)贈(ぞう)太政大臣(たいじょうだいしん)藤原朝臣(ふじわらのあつそん)時平(しへい)が三箇社(かのやしろ)を修造(しゅうぞう)した。又、永享(ゑいきょう)十年に社(やしろ)を三の峯(みね)から今の地(ち)に移された。…」 RT @kandemo
2015-02-18 11:29:26「… 上(うえ)の社(やしろ)は、宇賀(うがの)御魂(みたま)伊弉諾(いざなぎ)伊弉冊(いざなみの)尊(みこと)を崇(あがめ)奉る。二月の初午参(はつむままい)りは、和銅(わどう)年間に、二月初めの午(むま)の日に出現(しゅつげん)されたことから…」 RT @kandemo
2015-02-18 11:30:38「… 恒例(こうれい)の祭事(さいじ)となった。倉稲(そうとう)の縁(ゑん)によって、土器(つちさい)黍(きび)粟(あは)等(とう)を土産(みやげ)とする。古へは、神木(しんぼく)の杉(すぎ)の枝(えだ)を折って帰り家(いゑ)に収(をさめ)たという。…」 RT @kandemo
2015-02-18 11:31:46「初午(はつむま)をよめる 堀川法 稲荷(いなり)山しるしの杉(すぎ)を尋(たづね)きてあまねく人のかさすけふ哉 顕仲朝臣」 RT @kandemo
2015-02-18 11:32:28「三の峯(みね)の御注連張(みしめはり)は毎年正月五日である。古山(いにしへやま)の半腹(はんぷく)に瀧(たき)がある。今は、水(みづ)は涸(かれ)て、小水が流(なが)れているが、麓(ふもと)に至(いた)って祓(はらひ)川と呼ばれる] …」RT @kandemo
2015-02-18 11:33:31「拾遺 瀧(たき)の水(みつ)かへりてすまは稲荷(いなり)山七日のほりししるしと思はん 讀人しらす 稲荷(いなり)行幸(ぎやうかう)の時 夫木 いなり山杉(すぎ)まの紅葉(もみぢ)きてみれはたたあを地(ち)なる錦(にしき)なりけり 周防内侍」 RT @kandemo
2015-02-18 11:34:33「例祭(れいさい)は、四月上(か)の卯(う)の日である。神輿(しんよ)五基(ごき)が、九条(くじょう)の御旅所(おたびしょ)より東寺(とうじ)の南(みなみ)の大門(だいもん)を掻入(かきいれ)て、金堂(こんどう)の前(まえ)に神輿(しんよ)をすえ、…」 RT @kandemo
2015-02-18 11:35:41「… 産子(うぶこ)は、神供(じんく)を頭(かしら)に戴(いただい)て持って運(はこ)んで献(けん)じ、僧侶(そうりょ)は、かわるがわる出(で)て法施(ほっせ)をし、東寺(とうじ)寺務(じむ)の僧正(そうじょう)をはじめ、…」 RT @kandemo
2015-02-18 11:36:27「… 一山(いっさん)の衆僧(しゅそう)が、東西(とうざい)に烈(れつ)し、弦(つる)を召(め)す人たちは、東(ひがし)のかたで警備をする。その厳重(げんじゅう)な粧(よそほ)い、他(た)にならぶものがない。これを東寺(とうじ)の神供(しんぐ)という。…」 RT @kandemo
2015-02-18 11:37:18「… 近年(きんねん)安永(あんゑい)三[甲午]年より祭礼(さいれい)の式(しき)が再興(さいこう)され、行烈(ぎょうれつ)の首(はじめ)には、勅裁(ちょくさいの)綸旨(りんし)弓(ゆみ)楯(たて)の神具(しんぐ)など、かずかずのものが烈(つらな)り、…」 RT @kandemo
2015-02-18 11:38:09「… 神輿(しんよ)の前後(せんご)には、社司(しゃし)のめんめんが騎馬(きば)で供奉(くぶ)し、唐鞍(からくら)の神馬(しんめ)三疋(ひき)、その外(ほか)大幤(おほへい)榊(さかき)翳(ゑひ)菅蓋(くわんかい)錦蓋(きんかい)等(とう)も、…」 RT @kandemo
2015-02-18 11:38:56「… 雲(くも)のごとくつらなって、巍巍(ぎぎ)滔々(たうたう)とした壮麗(そうれい)な祭式(さいしき)である。」 RT @kandemo
2015-02-18 11:39:21都名所図会巻之三 8頁 「東福寺北門(とうふくじきたのもん) 萬壽寺(まんじゆじ) 三聖寺(さんしやうじ)」 nichibun.ac.jp/meisyozue/kyot…
2015-02-19 22:00:27「惠日山(ゑにちさん)東福寺(とうふくじ)は、五山(ござん)の第四(だいし)である。大和大路(やまとおおじ)一(いち)の橋(はし)の南(みなみ)にある。當寺(とうじ)の開山(かいざん)は、聖一国師(しょういちこくし)、…」 RT @kandemo
2015-02-19 22:01:46「… 諱(いみな)は辨圓(べんゑん)で、駿州(しゅんしゅう)藁科(わらしな)の人である。十歳(さい)にして、天台宗(てんだいしゅう)を学(まな)び、十五才で三大部(さんだいぶ)を終(おわ)り、十八才で園城寺(をんじょうじ)にて髪(かみ)を剃(そり)、…」 RT @kandemo
2015-02-19 22:02:26「… 東大寺(とうだいじ)の戒壇(かいだん)にのぼって受戒(じゅかい)した。あるとき、三井(ゐ)を出(いで)て、野州(やしゅう)[=下野(しもつけ)国]長樂寺(ちょうらくじ)に行って、栄朝(ゑいちやう)に随(したが)い、…」 RT @kandemo
2015-02-19 22:06:12「… 別伝(べつでん)の道(みち)をまなび、さらにその奥旨(おうし)を極(きわめ)ん事を欲(ほっ)し、人皇(にんこう)八十六代四条院(じょうのゐん)の御宇(ぎょう)、嘉禎(かてい)元年に入唐(にっとう)し、…」 RT @kandemo
2015-02-19 22:07:07