イデオロギーとしての後期クイーン的問題

ギリシア棺論争における笠井の誤解に絡めた、フェア・プレイ原則と後期クイーン的問題との関係についての論考まとめ
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@quantumspin

「一般設計学と後期クイーン的問題」をトゥギャりました。 togetter.com/li/780106

2015-02-08 10:58:23
@quantumspin

『初期クイーン論』で法月は、『クイーンにとって<フェアプレイの原則>が意味するものは、「作者の恣意性」の禁止にほかならない』とした上で、『『ギリシア棺の謎』のようなメタ犯人(…)の出現は、「本格探偵小説」のスタティックな構造をあやうくするものである。』と述べている。

2015-02-20 09:53:32
@quantumspin

『メタ犯人による証拠の偽造を容認するなら、メタ犯人を指名するメタ証拠を偽造するメタ・メタ犯人が事件の背後に存在する可能性をも否定できなくなる(…)こうしたメタレベルの無限階梯化を切断する為には、別の証拠(…)が必要だが、その証拠(…)の真偽を同じ系の中で判断(…)できない』からだ

2015-02-20 09:58:56
@quantumspin

そして、『この時点で再び「作者」の恣意性が出現し、しかもそれを避ける方法はない』とする。この指摘に対し、笠井は『探偵小説と二〇世紀精神』で、結論を『ひっくり返す手がかり」を新たに提出することなく、そこで物語を終わらせてしまうことは、「『作者』の恣意」』と、法月の考えを支持する。

2015-02-20 10:07:36
@quantumspin

これに対し飯城勇三は『エラリー・クイーン論』で、『法月の言う「『ギリシア棺』における無限階梯化を切断するための〈作者の恣意性〉」とは、作者クイーンが挑戦文の中で「これからエラリーが披露する推理こそが、事件の真相です。作者がそれを保証します」と語るようなことを指す』と認識している。

2015-02-20 10:15:28
@quantumspin

その上で『エラリーが最初に推理した(…)説が偽の解決であることに気づいた時、何が起こっただろうか? ここで、「真犯人は(…)〈偽の手がかり〉をばらまくことができた人物である」という、〈真の手がかり〉が見つかったのだ。これが〈真の手がかり〉であることに、疑問の余地はない』と反論する

2015-02-20 10:23:34
@quantumspin

これがいわゆる『ギリシア棺論争』である。笠井は『この論争の賭金は探偵小説形式の運命である。法月説に従えば、探偵小説形式は無底性を露わにして自壊せざるをえない。反対にEQⅢ氏による法月説の批判が妥当であれば、探偵小説形式の危機や「後期クイーン的問題」はそもそも存在しない』としている

2015-02-20 10:36:48
@quantumspin

しかし笠井のまとめは的を射ているだろうか。当論争は『ギリシア棺の謎』という、エラリー・クイーンの探偵小説に関する論争である。しかし笠井は、これを探偵小説形式に関する論争と一般化して捉えてしまった。この誤解は、笠井に限らず、後期クイーン的問題を論じる際によくある誤解と思われる。

2015-02-20 11:33:55
@quantumspin

この事を理解する為には、探偵小説形式一般において、結論を『ひっくり返す手がかり」を新たに提出することなく、そこで物語を終わらせてしまうことは、「『作者』の恣意」』かどうかを考察するだけで良い。言うまでもなく、探偵小説形式一般において、物語を終わらせる事は『作者の恣意』に当たらない

2015-02-20 11:40:50
@quantumspin

例えば現実に殺人事件が起こり、作者はこれを題材に探偵小説を書いたとする。この作品で示した手掛かりから推理すれば、だれでも現実に起きた殺人事件と同じ真相に辿りつけたとする。この手掛かりに偽手掛りが混じっていた時、作者は結論をひっくり返す手がかりを新たに提出する必要があるだろうか。

2015-02-20 11:47:43
@quantumspin

当然ながらその必要はない。作者は、偽の手掛りと、それを偽の手掛かりと見破れるだけの真の手掛かりを配置するだけでよい。現実の殺人事件において、メタレベルの無限階梯構造など存在しない。現実の殺人事件において発生するのは、メタレベルの有限階梯構造であり、作者はこれを作品にすれば良いのだ

2015-02-20 12:01:17
@quantumspin

ではなぜ、法月は『ギリシア棺の謎』でメタレベルの無限階梯化を考え、これを切断する事が作者の恣意と判断してしまったのか。これは、当該作品の作者が、探偵であるエラリー・クイーンと同一人物であるという事実と密接に関係している。当作品で作者エラリー・クイーンは、自身の推理を作品化している

2015-02-20 12:12:47
@quantumspin

『ギリシア棺』においては、作者は神ではなく探偵と等しい。そして、神でない探偵はメタレベルの無現階梯を認識する立場に在る。法月が指摘しているのはまさにこの点である。『ギリシア棺』においては、作中探偵が認識するメタレベルの無限階梯構造が、探偵=作者を通じて、作品全体に影を落とすのだ。

2015-02-20 12:23:33
@quantumspin

この事実を理解できれば、笠井の誤解は明らかであろう。笠井はメタレベルの無現階梯を、探偵小説形式一般に関する問題に拡張した。そして、作者の恣意=フェア・プレイ原則の不成立性を、探偵小説形式一般の問題と誤解した。しかし実際に当問題が生じるのは、作者=探偵である探偵小説に限定されるのだ

2015-02-20 12:29:58
@quantumspin

作者=神である探偵小説では、無現階梯の切断は作者の恣意ではない。神である作者は、偽の手掛かりを配置した真犯人をあらかじめ知っているからだ。神である作者は、真の手掛かりを配置し、探偵と読者の前に提示する。この手掛かりが完全かつ無矛盾ならば、探偵小説におけるフェア・プレイは成立する。

2015-02-20 17:20:06
@quantumspin

作者=神である探偵小説は、作者=探偵である探偵小説よりも多くの作例が既存する。従って、作者=探偵である探偵小説においてフェア・プレイ原則が成立しなかったとしても、それをもって『探偵小説形式は無底性を露わにして自壊せざるをえない』と結論付けるのはいささか早計であると言わねばならない

2015-02-20 17:35:04
@quantumspin

探偵の認識する、手掛かりに関するメタレベルの無限階梯は、神である作者にとっては無限ではない。実は作者クイーンが後期クイーン的問題に苦悩する一因は、作者=探偵という形式を採用した事にあると思われる。一連のクイーン作品において、作者は探偵の苦悩を自らの問題として捉えざるを得ないのだ。

2015-02-20 17:47:21
@quantumspin

それは恐らく、作者=探偵という、特殊な設定を採用した為生じた局所的な問題であって、探偵小説一般に該当する問題では決してない。探偵小説におけるゲーデル問題は偽手掛りとは無関係であるから、探偵の懐疑は不可避である。そして、ゲーデル的不安とフェア・プレイ原則の成立性とは別の問題である。

2015-02-20 18:03:16
@quantumspin

まとめを更新しました。「イデオロギーとしての後期クイーン的問題」 togetter.com/li/785903

2015-06-07 11:16:46