「東京を考える、語る」川俣正 × 吉見俊哉

TOKYO ART SCHOOL 特別企画 川俣正 東京トークシリーズ「東京を考える、語る」 3月3日(水)14:00-16:00 川俣正 × 吉見俊哉 @TSAKUTAさんの実況まとめ
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@TSAKUTA

14時から川俣正東京トークシリーズ「東京を考える、語る」今日は14時が吉見俊哉さん、18時が高山明(@akirat16)さんです。秋葉原3331にてスタンバイ中。http://bit.ly/d4WqPu

2010-03-03 13:48:50
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川俣「昨日は今福さんにヴェンダースの東京画やソフィア・コッポラのロストイントランスレーションを見せてもらいながら話をしてもらったが、今日は、東京の特定の地域ではない話を吉見さんと話す中でキーワードが出てきたらと思っている」

2010-03-03 14:17:02
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吉見「かつて駒場小劇場で演劇をやっていた。演劇は役者も客もスタッフも、毎回違う人達が集まってそこで脚本を超えたドラマが生まれてくる。そこに自分が巻き込まれて行くことを考えたくて、都市のことをやる学者になった」

2010-03-03 14:18:53
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吉見「修論の「都市のドラマトゥルギー」では、東京が関東大震災を境に浅草から銀座に盛り場が移った、また70年代から80年代にかけて若者の集まる場が新宿から渋谷・原宿に変わった。この2つに相似的なものを感じ、それを考えた」

2010-03-03 14:20:38
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吉見「東京の2つの力。まず色々な地方から集まってきて最初にできる場としての浅草、また若者が最初に出てきた場としての新宿。その後、都市の装置を通じて、集まった人々は都会人になって、その結果、銀座、原宿、渋谷に移った」

2010-03-03 14:23:28
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吉見「研究のテーマはその後博覧会や展覧会に移った。80年代は東京論ブームだったが90年代はそうでもなかった。しかし90年代を通じて東京は変わり続けていた。そこで若林幹夫さんらと総ざらいしてみようとして作ったのが『東京スタディーズ』」

2010-03-03 14:25:06
@TSAKUTA

吉見「東京について気になること、ひとつは皇居。東京はネーションステート/国民国家としての日本の最後の残骸。だから東京とは何かを考えるときに天皇を考えるのは抜かせない。もうひとつは米軍。1945以前はアジアに進出して行った日本帝国の中心であり、戦後はアメリカにテークオーバーされた」

2010-03-03 14:27:40
@TSAKUTA

吉見「戦後アメリカの軍事力の傘の下で東京は快適だった。典型的な盛り場になっていく六本木、原宿は、かつて日本軍の基地→米軍基地や居留地だったところ。沖縄で問題になっていることと東京で問題になっていないことは表裏の関係にある。」

2010-03-03 14:29:43
@TSAKUTA

吉見「あとは都市における移動、トランジットーイントランジットの問題。まとめると、外から入ってくる人、溜まる場、盛り場の移動、皇居、アメリカ、そういったことが気になっている」

2010-03-03 14:31:51
@TSAKUTA

川俣「吉見さんが演劇青年だったというのは知らなかった。そこから人が集まる都市というところにつながったことがわかった」吉見「川俣さんの"通路"にも関心がある。文化政治学というか、人が集まる場のポリティクス、ダイナミズムということを考えている。」

2010-03-03 14:33:50
@TSAKUTA

川俣「このあと若い演出家でツアーパフォーマンスをやっているの高山明さんが来るが、僕らの世代では寺山さんとか野田さんが、当時は「ゲリラ」でやっていた。新宿だったら紀伊国屋の裏とか、あと僕らは何かやるときはよく歩行者天国でやっていた」

2010-03-03 14:35:43
@TSAKUTA

川俣「フランスでは、突如通りの中にいろんなものが出てくるパフォーマンスが根付いている。箱の中に人が集まる場所というより、人が集まる仕掛けをつくっていくという感じ。吉見さんが演劇をしていたときはどうだったか」

2010-03-03 14:36:47
@TSAKUTA

吉見「日本の60〜70年代は政治運動を含めて都市を劇場化するということがあったが、その後は下火だった。最近また出てきている。今は演劇というよりアート、パフォーマンスという形で、都市を散逸する形でアクティベートして行く。昔と今はどこが違うか興味がある。」

2010-03-03 14:38:01
@TSAKUTA

川俣「通り、ストリートという場所で違法にやっていくという過激性があった。自分は、新宿の歩行者天国から渋谷パルコ/公園通りに移っていったとき、ズレを感じた」

2010-03-03 14:41:23
@TSAKUTA

川俣「この3331のように、新しい場所を開拓して行く、使和れてない場所をリノベーションをして行くというのが最近は多いように思う」

2010-03-03 14:42:13
@TSAKUTA

吉見「60,70年代は都市が拡大して行く中で、若者たちがたむろしていく動きがぶつかりあって、歩行者天国や花園神社があった。しかしそこで若者は新宿西口広場の出来事が消長するようにシステムに負けた。そして代替物としてコマーシャルな空間が作られ、移動して行った」

2010-03-03 14:44:03
@TSAKUTA

吉見「今や日本は衰退していて、すでにアジアの中で周縁化していて、どこで下げ止まるか、という段階。空洞化が進み、東京でも地方でもどんどん廃校になったりしている。今はかつてと異なり、膨張したものとぶつかりあっていたのが、あ、すき間があるじゃない、という状態」

2010-03-03 14:46:00
@TSAKUTA

吉見「一方で今はケータイなど、メディアテクノロジーが豊富になり、都市の作られ方が変わっている。また、パブリックとプライベートの境界線が徐々にはっきりしなくなり、かつてあったような劇的なものが難しくなっている。サウンドデモを見ていてもかつての若者のデモと全然違う」

2010-03-03 14:47:51
@TSAKUTA

川俣「北京ではかつての若者を見ているよう。若者がわーっとあつまってきて体でぶつかりあっている感じ。彼らは場所がなくて、一番効率の良いところで作品を作りたくて、倉庫など改造して作ってしまう」

2010-03-03 14:49:41
@TSAKUTA

川俣「ここ(3331)は、場所はもうある。先に隙間があるという状況は、経済的に安価に借りることができる。昔と違い、今の東京で表現者が場所がなくて何かができないということはありえないと思ってしまう」

2010-03-03 14:50:26
@TSAKUTA

川俣「今の東京は空間的にも「薄まっている」と感じる。そこにある種のコントロールというか、場所としてのものが見えなくなっていて、全部がポリティカルになっているように感じる。ロンドンなんかでも街全体が監視カメラのようなところがあり、世界中そうなってきているが、東京もそうなっている」

2010-03-03 14:52:28
@TSAKUTA

吉見「ここのように、空いていて、何かそこでやってください、といった場所が日本中にできているけれど、見えない檻、見えない規制、ここはこうしなければいけないという制度的な枠があり、また監視カメラーウェブカメラ的な視線もあり、見えない制度のフレームがあるのではないか」

2010-03-03 14:53:44
@TSAKUTA

吉見「例えば川俣さんの作品を皇居の中でできるか、横田基地や厚木基地のような米軍基地の中でどこまで川俣正のプロジェクトをやるか。たぶん皇居が一番難しい(笑)あるいはオウム事件以降不審物の通報のアナウンスが流れ続ける地下鉄や高速の下のようなエッジ的な空間でどこまで展開できるか」

2010-03-03 14:55:53
@TSAKUTA

川俣「皇居も、こないだ天皇誕生日で歌ったEXILEのような入り込み方はあるかもしれない(笑)。米軍基地もジャズの人と入るとか。ただ、ポリティカルな場所に入って何かをやると、逆にピエロになってしまい、ポリティカルなことが見えなくなってしまうことがあるのではないかと思う」

2010-03-03 14:57:32
@TSAKUTA

川俣「だから、そういう場所に向かっていくというよりも、そこで問題になっていることを経由して丁寧に考えるということがあるのではないか」

2010-03-03 15:00:09