戦国期の剣術は本当に「介者剣術」だったのか?

るろ剣の飛天御剣流を考証するまとめが、途中から介者剣術についての話になったので、その辺りからの派生の話です。戦国期の剣術は、「甲冑着用を前提にした剣術」である「介者剣術」とされていますが、実際のところどうなのか、という話になります。
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大元はこちらのまとめから

まとめ ところで、飛天御剣流は本当に古流剣術なのだろうか… まとめてみました。 247374 pv 1720 314 users 133

まず「介者剣術」は当時の言葉ではない件

神無月久音 @k_hisane

【ところで、飛天御剣流は本当に古流剣術なのだろうか…】 togetter.com/li/786103 「古流は鎧着用を前提にした介者剣法」って話自体、近現代からの俯瞰的な視点で編纂された武術史による産物じゃなかろうか、と思ってるのですけど、この辺、また調べてみましょうか喃。

2015-02-22 18:42:59
神無月久音 @k_hisane

つまり、「兵法は戦場で使うものだ」という意識から、「実際に戦があった戦国時代では、兵法は鎧を着て使うものだったのだろう」「江戸期以降は戦が無くなったから、平服で用いる兵法に変わったのではないだろうか」という塩梅の推論から、介者剣術と素肌剣術って用語が作られたんじゃないのかなーと。

2015-02-22 18:49:54
神無月久音 @k_hisane

そもそも「介者剣術」「素肌剣術」って単語自体、いつから発生したのか当方もはっきりとは調べてないのでアレですけど、「御恩と奉公」「鎖国令」みたいな「説明のために作られた」歴史用語の類であって、当時そういう言葉が使われてた訳でもないですし。

2015-02-22 18:55:50
神無月久音 @k_hisane

中世の平時における物騒さを考えると、むしろ兵法って戦以外での使用を重視してたんじゃなかろうか、という気がするのですけどねー。石舟斎も「兵法の達者になっても、別にそれで功名をあげられる訳でもないしなー。うーんこの(超訳)」とか言ってますし。

2015-02-22 19:00:21
kanou @kanou1

@k_hisane 兵法は戦場で使う物って意識じたいが既になんだかなーなんですよね、こっちとしては

2015-02-22 19:01:38
神無月久音 @k_hisane

ですね。この辺、武術史の見直しが要るんじゃないのかなーと思うところ@kanou1 兵法は戦場で使う物って意識じたいが既になんだかなーなんですよね、こっちとしては。

2015-02-22 19:03:24
kanou @kanou1

@k_hisane あと戦後になって武術がハレとケみたいに日常と非日常に分断されたこともあるんだろなーとか最近思います

2015-02-22 19:42:59
神無月久音 @k_hisane

明確に分断された、というより、徐々に日常と距離が離れていって、気が付いたら、という感じですね。敗戦時のあれこれはその中でもインパクト強かったでしょうし。 @kanou1 あと戦後になって武術がハレとケみたいに日常と非日常に分断されたこともあるんだろなーとか最近思います

2015-02-22 19:47:25
我乱堂 @SagamiNoriaki

@k_hisane そこらはコメ欄でソードフィッシュさんとかが突っ込んでたと思いますが、まあ…ぼちぼちと議論を進めたいところですわ

2015-02-22 18:58:05
神無月久音 @k_hisane

ですです。あのコメ見て、そもそも「介者剣術」「素肌剣術」って言うけど、あの辺の用語を使って語るのってちと微妙だなーと思ったので。 @SagamiNoriaki そこらはコメ欄でソードフィッシュさんとかが突っ込んでたと思いますが、まあ…ぼちぼちと議論を進めたいところですわ

2015-02-22 19:02:22
神無月久音 @k_hisane

あと、戦国期の流派に一子相伝って考えがあったかどうかも割と微妙ですし喃。「一人の弟子に正統を継がせる」って逸話で一番古いのは、一刀斎が典膳と善鬼に「お前ら真剣で立ち合え。勝った方に極意と瓶割刀やる」って言った話かしらん。三祖伝に載ってるから16世紀後半には成立してたでしょうし。

2015-02-22 19:33:18
神無月久音 @k_hisane

無論、一子相伝の概念自体は存在してたし、石舟斎も「これ教えるのはお前だけじゃよー」とか伝書に書いたりしてますけど、実際には他の奴にも教えてる訳で、少なくとも戦国期では装飾程度のものだったんじゃなかろうか。大体、いつ相伝した奴が死ぬかわからんのに一子相伝とかリスキーなことするかね?

2015-02-22 19:37:24
神無月久音 @k_hisane

この辺は前に書いたのもあるので再掲をば。流派の正統とか相伝とかの話は後半に乗せてます。 【剣術指南の変遷 - 戦国時代と江戸時代の違い】 togetter.com/li/728992

2015-02-22 19:40:30
まとめ 剣術指南の変遷 - 戦国時代と江戸時代の違い 兵法(剣術)指南といえば、主なイメージは、「道場を構えた道場主が弟子たちに教授する」というものですが、では、実際のところはどうだったかについて、ざっくり書いたのをまとめてみたり。 追記:流派の相伝や正統についても追記しました。 21979 pv 59 3 users 1

「介者剣術」という単語の初出について

ちていのき @baritsu

介者剣術ってのは柳生厳長が本の中で使って広まった、みたいに書かれてるのだけど確かに戦前の本で使われてるのは見たことないな。一般レベルまで広まったのは津本陽あたりからっぽい気もするが

2015-02-22 19:57:48
神無月久音 @k_hisane

すると、「正傳新陰流」辺りが初出なんでしょうか喃。遡るともうちょい古くなるかもですけど。 @baritsu 介者剣術ってのは柳生厳長が本の中で使って広まった、みたいに書かれてるのだけど確かに戦前の本で使われてるのは見たことないな

2015-02-22 20:43:21
ちていのき @baritsu

その辺りなんでしょうね。早いとしても世に出たのは戦後からのような感じはしますけど、それ以前のはこまめに当たるしか調べようがないっぽいですねぇ @k_hisane

2015-02-22 21:13:55
神無月久音 @k_hisane

昭和14年の「北米剣道大鑑」での剣道史の「柳生家の人々」の項で、宗家は宗矩が継ぎ、流派の正統は兵庫助が継いだ、と書いてあったので、厳長先生が初出だとしたら、この辺にも介者/素肌の話が出てるかもですね@baritsu 早いとしても世に出たのは戦後からのような感じはしますけど

2015-02-22 21:21:15
みんみんぜみ @inuchochin

@k_hisane @baritsu 戦前に出版された厳長先生の「柳生流兵法剣道」(昭和7年)に「愛洲師の陰流時代(略)専ら甲冑武者の截合ひなる―介者剣道」「古式甲冑武者剣法」「素肌の截合」「介者剣法の原始剣道」という言葉が出てきてますね。

2015-02-22 23:51:11
神無月久音 @k_hisane

ありがとうございます。やはり正傳新陰流の前からそういう話が出てたんで砂。厳長先生が本を出し始めたのは戦前からなので、正傳より前に出てた本にもありそうかな、とは思ってましたが@inuchochin 戦前に出版された厳長先生の「柳生流兵法剣道」(昭和7年)に @baritsu

2015-02-22 23:59:42
みんみんぜみ @inuchochin

@k_hisane @baritsu 「介者剣法」や「介者剣道」「甲冑武者剣法」等、一冊の本の中で、同じ意味合いでいろいろな言い方をしているので、おそらく決まった名詞として存在したわけではなく、厳長先生が「鎧を着た状態での剣術」という意味で言い出した事かもしれませんね。

2015-02-22 23:57:52
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コメント

FeZn (m.sugiyama) @FeZn 2015年2月23日
一子相伝については、アレですよ。先代が必ず死ぬ極意伝授から見ても、飛天御剣流こそが日本で初めて一子相伝を本当に導入した剣術流儀であることは疑いないです!
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FeZn (m.sugiyama) @FeZn 2015年2月23日
つまり他の流派は飛天御剣流の真似。
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浅丼健一 @asai1920 2015年2月26日
どうでもいいけど、講釈師ほど見てきたような嘘をつくよね。
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余 疏涅 @amalilune 2019年10月22日
そう言えば野武士とか鎧兜を着込んでない奴の方が多そう。 合戦場対策はしてるのに軽装の忍や野武士への対策が無いってのもおかしな話。 「花の慶次」を読んでて思った事だが。 慶次は旅先で刺客や傾奇者にしょっちゅう襲われる訳だが(この漫画が史実に則してるかどうかは別問題としても)
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余 疏涅 @amalilune 2019年10月22日
そういった極限状況は戦国では珍しくも無いだろうし冷静に考えて「合戦が無い時期には全く決闘・私闘が無かった筈なので介者剣術が多分主流だった」と言う従来の結論がおかしかったのでは無いか? 鍛え抜かれた肉体を持つ前田慶次や水野勝成が「ふざけんな野武士共!俺介者しか使えねーのにお主ら卑怯なり!」とでも叫びながら野武士相手に逃げ回るんかね? 全く想像出来んしギャグ漫画だろそんなん(笑)
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