偕楽園東門・見晴亭なう! 今日は城下町マップを使った街歩き「ぶらり城下町みと」の2回目ということで、お手伝いに来ました。 マップを製作した茨城大学の小野寺淳先生と一緒に歩きます。ヽ(^v^)ノ fb.me/6rdg46vYa
2015-02-28 12:32:34城下町マップでの街歩き、「ぶらり城下町みと」スタートしました。 スタッフを含めて約40名が参加。まずは常磐神社に移動して今日の概要について。 pic.twitter.com/EuvP6Du9Lv
2015-02-28 13:09:36水戸城は実測図が作られなかった。小野寺先生が授業の合間に実際に歩いて、確かめていきながら作ったのが城下町マップ。しかし、まだ正しくないところがあるかもしれない。
2015-02-28 13:25:10神崎寺前。西の谷の説明。大工町の付近は西の谷から続く堀だった。茨城大学のところにあった軍隊の需要によって、埋め立てた後盛り場になった。なお、元々の大工町はトモスみとのところ。 pic.twitter.com/pNDXeHKOsx
2015-02-28 13:34:24「弘道館で解散」との説明に、「まさか、スタートの場所ではないところで解散とは…」という参加者の声。このあたりは、移動手段を明確にしたり、事前にゴール地点をお知らせするなど、改善できるはず。
2015-02-28 13:39:20水戸の台地上には武家屋敷が450戸、台地の下には300戸、町人は上下合わせて1,000戸超。世帯当たり6人ぐらいだったので、約15,000人が水戸城に住んでいた。
2015-02-28 13:46:19「金魚坂のところに大きい金魚池があったのに、今は駐車場なんて…」と言っていた方は、かつて金魚坂の脇を常磐町から二高まで通っていた参加者の方。
2015-02-28 13:51:12裡信願寺町の石碑脇、中川楼の前。前の道路を挟んで大通り側は町人地なので細長い区割り。中川楼側は元武家屋敷なので正方形に近い区割り。区割りを見ると、元々の武家屋敷か町人地かがわかる。 pic.twitter.com/HojNHL1Mvb
2015-02-28 13:57:59中山備前守と山野邉氏(『水戸黄門』の中で、ご老公が旅に出ようとすると止めていた人。)は水戸藩の家老でも2万石の録。ほとんど大名と同じ。ちなみに、山野邉氏は戦国大名だった最上氏の子孫。
2015-02-28 14:05:29三菱銀行水戸支店は元々川崎銀行。川崎銀行を作った川崎財閥は茨城町海老澤の出で、付近の流通を押さえて豪商になった。この付近は豪商がいたために、区割りも大きくなっている。 pic.twitter.com/3C11vYxS3V
2015-02-28 14:11:47穴とら屋前。メジャーを取り出して間口の広さを測る先生。水戸は6間の店が一番多かった。ちなみに、穴とら屋とサトー通は合わせて5間。間口が狭く奥行きが長いのは町人地の特徴で、これはヨーロッパでも同じ。 pic.twitter.com/Z44mpwSWyY
2015-02-28 14:16:18穴とら屋の中へ。北西の角には神様を祀り、奥は隠居部屋というのがデフォルト。奥は5間の幅だったので、サトー通のところは切り売りされたということ。 pic.twitter.com/EjWQ0ZT4Jh
2015-02-28 14:22:08文化学院前。紀州堀の説明。梅香トンネルのラインは実は新たに削った部分が含まれていて、実際にはもう少し西寄りが堀を埋め立てた部分になる。
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