諸国珍談奇談 第三集

明治大正昭和の新聞記事等を漁りながら見つけた日本各地の珍談奇談を集めてみました。2014.5-2015.1分の虫干し。
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松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】明治12年4月25日大阪日報。「今の代には珍らしと人も云ふなる男色の物語」。巡査を志す田舎士族の少年、つてを探すうち街で金持ちとよい仲に。さて願書提出という段で、まず裸での身体検査があると聞かされ顔色が変わる。「もはやこれまでなり」。断念した少年は痔だったという。

2014-05-10 17:19:57
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】明治31年4月18日、日出新聞「透明焼事件の審決」。磁器の技法を巡る特許紛争に宮川香山の名前を発見。「佐賀県の樋口治実氏」が明治19年に特許を得た「磁器に透明紋様を顕はす」との発明に対し「以前より右同様の磁器を製造販売し居る」と香山が請求した特許取消は認められず。

2014-09-13 15:29:49
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】明治33年5月4日都新聞「妾(わたし)や天狗の妾ですよ」。「一昨夜七時頃赤坂の溜池を髪振り乱した四十前後の女が妾や天狗の娘ですよと怒鳴りながら歩き来るを巡査が認め警察署へ連れ行きて取調べしに…狂女にて懐中に剃刀二挺を所持したるが昨日一と先づ巣鴨へ送らる」テング熱…

2014-09-13 12:52:41
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】明治33年5月4日都新聞「麦酒馬車小児を轢く」。天狗の娘の記事の横には横浜山下町海岸通りで起きた馬車によるひき逃げの記事。馬車は「横浜山手町百廿二番館キリンビール本店」のもの。「一散に走せ去りしを巡査が認め後追馳けて」馭者を捕まえたという事件であった。

2014-09-13 13:01:59
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】新奇な見世物を途切れなく揃え続けた力量は史上最強。浅草珍世界。明治34年12月5日の毎日新聞はボルネオ産「大猩々」登場を予告。二週後の20日にはX線による「昼夜数回人身及び諸動物の内臓骨格を示し又は箱の中の隠れたる金石等を外部より見透さしめ」が始まったことを紹介。

2014-09-13 18:34:44
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】明治34年12月19日、毎日新聞。市ヶ谷監獄の絞首台に因果は巡る。「此の邢台は五月女松五郎と云ふ大工が造らへたのださうだが其松五郎自身が大罪を犯して近々此邢台に昇るやうになつて居るとの事である 丁度彼の江藤新平が法を造つて其法に死せし事と好一対の話ではないか」。

2014-09-13 18:07:36
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】明治35.3.18都新聞。その男、酒乱につき。鮭の頭の黒焼を諸病に効くと売り歩く行者の樋口定海。大酒飲みで、酩酊の末、石油を浴び石油缶片手に民家へ押しかけ、「鮭の頭の黒焼より行者の黒焼、飲めば治らない難病はない。いざ!」とマッチを擦ったからたまらない。無惨に焼死。

2014-10-04 17:26:34
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】明治35.3.21都新聞。「感動のお便り」商法は既に明治から。東京の安川晃栄堂は「痔退丸」の広告に薬効の証として北海道から届いた実名の礼状を掲げた。効能の顕著なる実に驚入るの外無く誠に古今の妙薬と奉存候。世間に尻丸出し状態の柏崎由二郎氏、彼は実在したのだろうか。

2014-10-04 18:31:29
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】明治35年7月24日、東京朝日新聞。八甲田山雪中行軍遭難事件の遭難者を収容した衛戌病院にて。凍傷で切断を余儀なくされた手足、「齢皆二十二年二十三年、行末長き血気の兵士を空しく白雪と共に消えしめたるアルコール漬の尽きせぬ名残、其長へに保存せらるヽと共に恨みも絶えじ」

2014-09-13 18:49:13
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】明治36年3月5日、中京新報「渋沢栄一方へ生腕を贈る」。東京深川区の渋沢栄一方へ「工業案内見本」として届いた新聞の包み。何気なく開けると、人間の腕が出てきた!石川島造船所の職工が大怪我で右腕を切断、会社が手当を出さなかったことで仲間が激怒し社長へ送りつけたという。

2014-09-06 17:58:27
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】明治36年3月11日、中京新報「異形の牛児」。但馬国朝来郡竹田村(現兵庫県朝来市)で牝牛が「胴体一にして頭二ッ足八本と尾二本を有」する仔牛を出産。しかしおよそ三時間で死んでしまった。死体は五十円で山師が買っていったという。こうして「クダン」は供給されたのだろうか。

2014-09-06 18:11:02
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】明治39年6月1日、東京朝日新聞。板垣退助は世間に伝わる西郷隆盛の肖像がどれも実像と異なるのを遺憾に思い、自ら洋画家を使って肖像画を描かせた。まず自身の記憶を頼りに、次いで西郷未亡人ら生前を知る関係者の意見を汲み「漸く故翁の真相に近きまでのもの出来上りたりと云ふ」

2014-10-21 00:22:55
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】大正7年4月11日付九州日報。奉天や旅順にあった満鉄の附属病院について九大総長が語った奇なる話。「旅順の病院にては凍死者の死体を鋸にて切り之に鉋(かんな)をかけたる酒精漬の標本あり蓋し天下一品なるべし」。

2014-09-04 20:39:42
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】昭和24年4月26日神奈川新聞、横浜で開催中の日本貿易博覧会に25日熊沢天皇が来訪。野毛山会場に現れた熊沢天皇曰く「皇統の直系はこのワシであることをこれを機会に公衆に宣布したい、どうか会場を会場を貸していただきたい」 係員曰く「どうも、どこも空きがありませんので」

2014-08-24 23:03:23
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】昭和29年12月20日日立市報。門松の自粛。「戦后の巨大な復興資材の需要のために森林資源は次第に減少(…)国土緑化推進委員会を中心に正月用門松やクリスマス・ツリーの使用をお互いに自粛し、またそれらに代る新しい風習を培おうとする運動が全国的に展開されることに(…)」

2014-06-07 20:20:54
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】週刊東京、昭和31年11月24日号。元日本橋消防署長が語る白木屋火災秘話。火災発生は昭和7年12月16日。白木屋では実は11月から火事展覧会という催事を企画していたという。協力する地元消防が名称に難色を示すも、「防火」等ではなく「火事」でいきたいと押し切った。(続

2015-01-26 00:33:50
松崎貴之 @gelcyz

【諸国珍談奇談】承前)その上「火事の時にしか持ち出さないものだから縁起が悪い」と消防が断ったマトイの展示も、白木屋の熱意で実施が決まってしまった。そうして12月25日から1月6日まで、出初式の日までを期間として開催を待っていた矢先、火災が起こったのだとか。不吉な予感はしたという。

2015-01-26 00:47:13