- Golden_hamster
- 3216
- 0
- 7
- 0
曹操が死ぬ直前の段階で、魏は蜀以外の地域を基本的に従えることに成功した。全国の9割がた抑えたようなものであり、「やはり曹氏こそ天下を平定し新たな天子になるべき運命だったのぢゃ!」と思わせるのに十分な成果である。
2010-12-14 21:13:05だから曹操が死んでも曹丕が天子になるのは、とうぜんの成り行きだった。そして、今に蜀も滅ぼし呉も完全に支配に組み込み天下を完全制圧するに違いない、だって天が認めた聖なる天子様だもの、というのが当時のぼんやりとした認識だったはずである。
2010-12-14 21:16:30しかし転機が訪れる。呉は魏に逆らい、魏もまた呉を攻めようとする。魏が先にちょっかい出したのかもしれないが、どっちが先かは大した問題ではない。問題は、「聖天子様なら裏切り者の呉をひねりつぶすに違いないよ!」という目で見られたであろうということだ。
2010-12-14 21:18:41ある者は真剣に、またある者は「失敗しろ!」とメシウマを期待したかもしれない。とにかく、魏は頂点を極めたがゆえに失敗しにくい立場になっていたのである。横綱は8勝7敗では勝ち越し扱いされないようなものであろう。
2010-12-14 21:20:00漢の高祖の支配は魏のそれよりもさらに緩やかなものであったと言えるが、たてついた者や反乱の芽がちょっとでも出てきた者は全力で潰した。それができて初めて統一王朝、天子なのである。
2010-12-14 21:22:13そして魏は呉を潰すどころか一泡吹かせることすら成功しなかった。優勢だったかもしれないが、結局相手を屈服させられなかったら意味はないのである。
2010-12-14 21:23:34さて、呉の反乱を鎮圧できなかったため、曹丕が皇帝になった瞬間とくらべて反抗勢力が増えてしまったことになる。これはいけない。「あれ?なんで漢だった時代よりも敵が増えてるの・・・?」これは誰でも思う疑問であろう。「魏にならなかった方が良かったんじゃね?」
2010-12-14 21:25:48この疑問を、曹丕もその子曹叡も解消できない。呉はその後一度たりとも魏の下につかない。蜀も相変わらず魏を認めない。それどころか、諸葛亮は1郡のみとはいえ魏より領土を奪っているのである。これは軍事的にはほとんど意味を持たないのかもしれないが、正統性と言う点ではなかなかのボディブローだ
2010-12-14 21:29:03もしここで、今度こそマジで天下統一できちゃいそうで徳も高い大人物が現れたらどうなるか。そう、「この人こそ本物の聖天子じゃないか!」となる。
2010-12-14 21:33:49魏の官僚から民にいたるまで、多くの者はこう感じたはずなのだ。「魏は天から認められた聖天子ではないのではないか?漢の後継ではなく、秦や新の仲間なのではないか?」と。。
2010-12-14 21:32:07公孫氏の乱をあっさり鎮圧した将。専権者曹爽を排除した人物。独裁権力や封国を固辞した謙虚な有徳の士。次々起こる鎮将の反乱をすべて平らげた大将。暗愚な皇帝、反逆の皇帝を更迭した朝廷の重鎮。そして蜀をついに滅ぼした。司馬氏が支持されたのは、単に軍事的に朝廷を制圧していたからだけではない
2010-12-14 21:37:30