教養と階級・格差
教養という概念、わたしは大好きなのだけど、階級差が露骨に反映されるブツなので、平等が大好きな反知性主義者にはたいそう評判の悪い概念だったりする。教養とは何かの基準を決めるのはいつも上層階級。だから、反知性主義者とつきあうにはこの言葉の使用を控えるしかないのかも。
2015-03-04 22:22:07価値相対主義のエートスが濃厚な団塊の世代には「教養」が嫌いなひとが多く、わたしの周囲の団塊の世代の方々も声をそろえて「教養という言葉、ぼくは嫌いなんだよ」とおっしゃる。あれはなんなんだろうね。
2015-03-04 22:23:54@odg1967 金持ちが貧乏人との差を見せつけるためのものみたいで,私も若い頃は嫌ってましたね,教養という言葉.あと「文化」も.知性は好きなんですけど.
2015-03-04 22:31:42@myamadakg 教養とか文化には本人にはどうしようもない階級間格差があるけれど、知性は「この世のものでもっとも公平に分配されている」(『方法序説』)という認識を持っているひとは多いでしょうね。けれど、教養と呼ぶしかないものが不要かといえば、なかなかそうもいかない。
2015-03-05 10:35:00@myamadakg 以前も同じようなことをつぶやいたんですが、教養のありがたみを教養と無縁の生活をしているひとに説明することは難しいのです。古典を読んだことのないひとに、古典のありがたみを説明するのと同じぐらい。ユリイカの喜びはユリイカ経験者にしかわからないものですし。
2015-03-05 10:43:38@noharra いや、おっしゃる通りで、教養の魅力とか値打ちを体現しているようなインテリが自ら教養の価値を貶めているのをみると、こちらとしては当惑せざるをえないわけです。
2015-03-05 10:49:02@odg1967 なるほど。戦後世代には戦前の権威主義への反発があるわけだけれど、反発している人は自分が身につけた教養が持っている重さ、値打ちに気付けないわけですね。
2015-03-05 10:56:07@noharra いや、もう少しひねくれていて、自分たちが身につけた教養の重みは自覚しているくせに、それを自信をもって誇ることにひどく躊躇し、あろうことか、「わたしを含めインテリが身につけてる教養なんてみんなクズですよ」みたいなことを口走っているという印象があります。
2015-03-05 10:59:07@myamadakg 十九世紀以来の「教養教育」の「教養」に、そういう排他的な貴族趣味という含意がどのぐらいあったのですかね。
2015-03-05 11:06:13@odg1967 @myamadakg それ大正教養主義とか、団塊世代の反発した教養を理解する上ではけっこう重要ですよね。女子どもの読むものとされた書物が、いつ「教養」化されるのか。
2015-03-05 11:16:28@yeuxqui @myamadakg 小説は微妙ですが、もともと権力とか利害の対立に悩まないですんでいた上流階級の文化を、階級社会の中で激化する一方の権力とか利害の対立の中和剤として導入したものが十九世紀的な「教養」だったということはある程度言えると思います。
2015-03-05 11:24:05教養教育の公共性は、文化と階級の問題でもある。教養を身につけるかどうかを個人の趣味の問題にしてしまったら、相対的に裕福な人たちに「教養」は独占される。文化的なプチブル階級の形成と再生産を促進するだけになってしまう。それでいいのですか、という話。
2015-03-05 12:44:28@numida_meleagri それでいいと思っている人が相対的に裕福でない層にもかなりいそうですけどね.
2015-03-05 14:11:52@myamadakg そうなのです。いわゆる「新自由主義」をそういう層が支持するのと似たような話ですね。ですから、ポピュリズムと同義で「民主的」に決めようとすると、経済の格差も文化の格差も広がっていきますね。親を含む大人はそれでいいかもしれませんが、子どもに対してそれはまずいかと
2015-03-05 14:19:32教養教育は権力とか利害に囚われないで公平無私に(dis-interested に)ものを考える能力を身につけるためのもので、デモクラシーが健全に機能するためには誰もが受けておいた方がいいわけで、だから学校で教えないといけない。個人の趣味の問題にしてしまうと、階級差が悪化するだけ…
2015-03-05 14:36:20というようなことを考えるほど「教養」を「公平無私な知」として重視するかどうかでしょうなあ。ハーバーマスの「文芸的公共性」というのはまさにそういう期待の上に成り立ってる議論なのだけども。
2015-03-05 14:38:33やまだせんせいは「教養は階級を分断するもの」とおっしゃるのだけども、十九世紀以降の教養論の多くは「教養は、個別的な階級的利害に分断された人びとをつなぐもの」と捉えてきたわけで(この立場を現代においてもっとも熱心に唱えているひとりがヌスバウム)この辺り、どうしたもんかなと。
2015-03-05 14:44:54その一方で、ナショナルな Culture 論というのは、だいたい国内の貧困とか格差といった諸問題を隠蔽したまま、よくわからない「絆」みたいなもので無理矢理ネイションの一体性を賛美するイデオロギーなので、ネイションのレベルでの共通文化を語ることにも面倒な危うさががが
2015-03-05 14:50:49卒業生向けのスピーチか何かを求められた際には「わたしたちは学問でつながっているのです」みたいなことを言おうと思っていたのだけど、学問がひととひととをつなぐものなのか、それとも分断するものなのかもわかんないよな、特に実定法学と(以下自粛と思ってやっぱり草が生えた。
2015-03-05 16:45:58