"巫女の日"に考えた、近代神社と巫女と浦安の舞

サブカルチャー界隈で3月5日は巫女の日って騒がしかったから、巫女についてまじめに考えてみましたよ
人文 神道 神楽 巫女 神社
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みたま(まじめな方) @mitama_majime
明治維新以前の巫女とは、今の想起されるそれとは違って、いわば広義では「尼さん以外の女性宗教者一般」であり、狭義では市子(イチコ)、傀儡女(くぐつめ)、梓弓(あずさゆみ)といった、託宣を述べる類の女性宗教者を指していたと思われる。 神社にやっては、託宣はいい資金源だったらしい。

(誤)神社にやっては
(正)神社にとっては 

託宣の形態、神社の財政状況との関係は千差万別なのだが、際立った例だと日吉大社の場合、境内に鎮座する神社ごとに託宣巫女がいて、よく当たる巫女は評判だったとか、託宣によって神社ごとに収益が違ったとか、そんな話を聞いたことがあった。(伝聞)

みたま(まじめな方) @mitama_majime
明治維新・万機"御"一新によって、神社神道も再編成、再定義が為されるようになった。その際、巫女(旧来のもの)に関しては「淫祠邪教と変わりない如何わしい存在であり、新時代の神社には不要の物」という扱いを受けた。託宣や占いといった行為は前近代的、という理解だったのである。
みたま(まじめな方) @mitama_majime
公的に"巫女"による託宣や占いは御制禁となり、神社において巫女の居場所は無くなった。ネガティヴな表現では、通称巫女禁断令と呼ばれるものである。
みたま(まじめな方) @mitama_majime
以降、しばらく神社から巫女の存在が消えた時期があったが、神事芸能の観点・補助職員的な立場で神社に勤務する巫女の必要性が出てきたので、復活に至る。 前近代的な託宣や占いの類は"禁断令"以降、近代的な神社の体制が整われていく過程で、神社からは自然と無くなっていった。
みたま(まじめな方) @mitama_majime
神社に仕える巫女は近代化によって託宣や占いといった神秘主義敵側面が失われ、神事芸能・神職補助にシフトしていった。やはり政府による禁止というのは効果は絶大だった…以上に、神社を取り巻く社会的な視点も近代化によって変わっていったと考えるのが妥当と思われる。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
神社によっては「巫女による託宣や占いの類を禁止」を拡大解釈してしまい、神社から巫女を排除してしまった結果社伝の神楽舞が失われ…面白いことに、江戸時代に伝授したよその神社には残っていて、伝授した先に習いに行ったというエピソードが残っている。 何處かは内緒だ。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
ここでやはり、多忠朝(おおの ただとも)に触れなければならない。多家は神八井耳命を始祖とする官人の家であり、この国の始まりからずっと朝廷に仕えてきた家である。 戦前・戦後を通じて楽師として勤務した多忠朝は、その研究成果として神楽舞の重要性を訴えていた。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
日本の神話の上で神楽舞の始まりは、天の岩戸開きにおける天宇受売命の舞踊とされ、古事記には笹を持って舞ったとある。 また、この際の天宇受売命の採物は「オガタマ」であったという説もある。オガタマは丸い実が複数生る樹木であり、形状的に神楽鈴の原型とも言われるものである。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
多忠朝は神社祭祀における神楽舞の意義を御祭神の魂を振り(振魂)、また力を増した状態で鎮める(鎮魂)ことに求め、宮中に伝承される国風歌舞を基礎に新たな神楽舞を作曲作舞し、精力的に普及に努めた。 そして、それが公的に認められたのが「浦安の舞」である。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
西暦1940年(昭和15年)が神武天皇の即位から2600年に当たる事から、政府は昭和10年に紀元二千六百年祝典準備委員会を発足させ、官民挙げての奉祝企画が進められた。1940年11月10日、宮城前広場において内閣主催の「紀元二千六百年式典」が盛大に開催された。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
11月10日の紀元二千六百年式典に合わせ、全国の神社では奉祝祭が執り行われた。当時神社は行政の管理下にあり、奉祝祭では浦安の舞を舞うことが制定された式次第の中に含まれていた。 浦安の舞に男舞は無い。正に明治以来、初めて巫女が公的な役割を得たのである。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
全国の神社で浦安の舞が正しく舞われるべく、関係者達は指導に奔走した。国内だけではなく…当時は海外にも複数の神社が鎮座していた。もちろん舞指導者達は海外にまで出向き、現地の少女に浦安の舞を指導した。 浦安の舞は、普及を前提に最小は舞姫・歌方・笛方の3名で構成された。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
朝鮮神宮では、日本人居住者と現地朝鮮出身の少女たち8名による、最大規模の浦安の舞が皇紀二千六百年奉祝祭で舞われたとされている。 浦安の舞は最大4人舞で構成されていた為、それ以上の人数で舞われたのは極めて異例である。残念ながら朝鮮神宮の例は伝聞以外残っていない。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
浦安の舞は昭和天皇御製 あめつちの 神にぞ祈る あさなぎの 海のごとくに 波たたぬ世を を歌詞としている。浦安の舞が舞われた皇紀二千六百年奉祝祭以降…残念ながら戦火は拡大し、大東亜戦争勃発に至り…そして敗戦した。全く以て"やんぬるかな"という歴史である。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は占領政策として日本から国家主義・軍国主義の要素を徹底排除した。 特殊な歴史的経過によって行政による監督を受けていた神社神道は、国家主義・軍国主義を推進する悪しき宗教として、最も初期段階では廃止・排除の対象であった。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
GHQは占領政策に於ける宗教行政顧問として東京帝国大学助教授の岸本英夫博士を迎えており、日本の神社神道がいかなる儀礼を行っているかを調査する為、まずは靖國神社の秋季例大祭を視察した。 …GHQの評価は良くなかった。おそらく想像通りだったのだろう。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
(閑話休題) 巫女の話とは離れるが、GHQによる靖國神社秋季例大祭の視察を前にして、岸本博士は参列予定の軍人たちに「軍服を着て参列しないでくれ」と懇願している。 軍人たちは猛反対したが、岸本博士は神社を占領政策から救うためだと頼み込み…軍人たちは涙を飲んで聞き入れたとされる。
みたま(まじめな方) @mitama_majime
岸本博士はGHQの靖國神社秋季例大祭の視察結果を深く憂慮した。 (私見を述べるなら、戦死した軍人を祀る神社なのだから、どんな内容であれ占領軍の心象は良い訳がないのである) GHQは「地方の小規模神社の様子を見たい」と岸本博士に打診した。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
岸本博士が選んだのは浦安の舞を創作した多忠朝が疎開している神社だった。埼玉県に鎮座する…正に村の鎮守のイメージに相応しい規模の神社だった。11月23日の新嘗祭がGHQの視察対象となった。 多忠朝は地元の少女たちを舞姫とし、当日は浦安の舞を4人舞で行うこととなった。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
1945年11月23日の某神社新嘗祭はGHQの視察の下行われたが…結果は極めて良好だった。 視察に訪れていたダイク准将、バンス大尉は祭典後の直会にも出席し、村中かき集めて用意した御神酒をたいらげ、祭典の様子に満悦で帰っていったとされる。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
視察に訪れていたGHQ官員は、祭典の内容を確認しながらも、一番の興味は少女たちの舞う浦安の舞であり、牧歌的な環境下でほのぼのと行われる神社祭祀こそ大多数なのではないか、という結論に至ったとされる。 戦後の神社神道は浦安の舞が救った、とされる一つのエピソードである。 #巫女の日
みたま(まじめな方) @mitama_majime
今日は #巫女の日 だってんで、巫女の近代史を明治から戦後までたどってみた。当然、Twitterでやってる事だから漏れも多いし、一連のpostは資料なしで記憶を辿って書いてるから間違いがあるかも知れない。 そこん所は是非寛容的態度をお願いしたい…
みたま(まじめな方) @mitama_majime
今日書いたGHQと浦安の舞に関する エピソードは『戦後宗教回想録』所収の岸本英夫「嵐の中の神社神道」に詳述されています。検証したい方は探して下さい。都内の大学図書館だと青山学院大学の図書館に入ってます。何故か國學院にはありません。東大は…どうだったかな。
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コメント

Yazack @ares1984c 2015年3月6日
神社の巫女さんって、どうも実務的というかシャーマニック成分(?)薄めだな、と思ってたらそういうことだったのか…託宣や占いといった要素は明治以降に彼女らの手を離れ、個人の祈祷師やら霊媒師やらの領分になっていったのかも知れない。ウチの父方のばあ様もそういう人で、特定の神社とは縁もゆかりもないが、集落では大層頼りにされてたな。
みたま(まじめな方) @mitama_majime 2015年3月6日
ares1984c 中山太郎『日本巫女史』からも、旧来の巫女はいなくなった訳ではなく、ご指摘の通り神社を離れて個人の祈祷師や霊能者に移っていったとありました。
Yazack @ares1984c 2015年3月6日
やはりそうですか。そういったものは、たとえ前近代的で新時代の神社に不要とされようと、民間においては変わらず必要とされたのでしょうね。
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