比例することから擬態することへ

自然を模倣する美術は、やがて巧妙な擬態に移行するが、それはダリによって過去のアール・ヌーボーに接ぎ木されるだろう。
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Takuma Ishikawa @ishitakuma

「あなたがニームでごらんになられたはずの美しい娘たちは、メーゾン・カレの美しい円柱に劣らずあなたの精神を歓ばせたにちがいありません。というのもこの神殿の円柱はその昔娘たちをコピーしたものにほかならないのですから」ニコラ・プッサン pic.twitter.com/LeTudLzJN1

2015-03-08 18:47:13
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ここでプッサンがいっているのは比例への信仰と現れといえる。一方アール・ヌーボーが、新しい素材と新しい加工技術によって自然を模倣するのは、比例よりも、マテリアルの可塑性の技術にあるだろう。固いものが柔らかく、無機質なものが有機的なものへの変質する。この技術がプロダクトや建築で、

2015-03-08 19:03:01
Takuma Ishikawa @ishitakuma

様式的に提案された。だから、花に擬態するハナカマキリと、エミール・ガレのガラス工芸に類似性があるのは、不思議ではないということだ。アール・ヌーボが、モリスのようなユートピア思想から、資本主義的な市場に参入し、そこで自然に擬態の可能性を pic.twitter.com/OCCq7iLA7H

2015-03-08 19:11:46
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構築していくこと。花に擬態したハナカマキリは、性的なイメージを露骨に含み、自らは「相手を食べる」捕食という事実が持っている。相手のセンサーに主張しつつ隠れている状況としての擬態。消費者の欲望を誘引する商品と比喩的なレベルで結びつく。ところで、この擬態と対比できるのが、

2015-03-08 19:23:20
Takuma Ishikawa @ishitakuma

キュビズムとカモフラージュの技術だろう。ピカソが迷彩という一つの軍事的なテクノロジーを先取りする理解を持っていたのは、有名なエピソードである。背景の中に消えていく人体と、戦車。そして、そのピカソを近くで見ていたのがダリは、 pic.twitter.com/ATPpuCSR7e

2015-03-08 19:35:03
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視覚的な擬態ではなく、心理的な擬態を構築すると考えた。その一つの形がダブル・イメージになっていく。ダリは、その意味では、キュビズムではなく、ガウディやアール・ヌーボーのマテリアルの加工技術からの展開と結びついている。 pic.twitter.com/v0RHL9A0oJ

2015-03-08 19:40:14
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ミレーの『晩鐘』に性的なイメージを見出し、さらにカマキリは、雌が雄を交尾の後に食べてしまうことに着目する。だから妻の像が大きい。ピカソとダリが捉えた技術的な問題とその解釈について、ハナカマキリを見てたらとふと思った次第。 pic.twitter.com/0QWVQ2QLoS

2015-03-08 19:50:11
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ところで、カマキリってホントSF的だ。そしてほかのどの虫よりも、頭が良さそうに見えて、怖いんだよな。頭が良さそうと感じさせる理由とは一体なんだろうか。子どもの時はよく捕まえてたけれど。 pic.twitter.com/LnKUr0YOsW

2015-03-08 19:59:23
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