「明らかになるミンストレル・ショーの真実」という文章。 RamonのRaising Cainとかを引いてミンストレル・ショーの成立史をまとめているが、その母体となった「白人の下層階級」がユダヤ人だったという事のなぜ触れないのか疑問。 c-cross.cside2.com/html/b00a0002.…
2015-03-08 20:32:44これはアイリッシュよりもユダヤなんですか?QT @Sonopapa 「明らかになるミンストレル・ショーの真実」という文章〜ミンストレル・ショーの成立史をまとめているが、その母体となった「白人の下層階級」がユダヤ人だったという事のなぜ触れないのか疑問。
2015-03-09 02:19:37ロシア系ユダヤ人の波は20世紀以降なので、どちらかといえば衰退した後の話ではないかと。@kentarotakahash:これはアイリッシュよりもユダヤなんですか?QT @Sonopapa:…ミンストレル・ショーの成立史をまとめているが、その母体となった「白人の下層階級」がユダヤ人
2015-03-09 03:34:37始めアイリッシュで後からユダヤという感じみたいですね。移民が「白人化する」プロセスでもてはやされたようで、ユダヤ人の場合は、はじめはドイツ系移民、後で東欧・ロシア系へと移行した模様。@kentarotakahash:これはアイリッシュよりもユダヤなんですか? @Sonopapa
2015-03-09 03:45:18@royterek そうでした。言葉足らずで申し訳ありません。Blackfaceと言ったときにどうしてもAl JolsonとかGershwinとかIrving Berlinのような、20世紀のショービジネスに直結する流れを思い浮かべてしまうので。@kentarotakahash
2015-03-09 09:16:15スティーヴン・フォスターやヘンリー・クレイ・ワークはアイリッシュ系。ヴィクター・ハーバートもアイリッシュ。が、アーヴィン・バーリンやジョージ・ガーシュインはユダヤ系。と見ていくと、アメリカの作曲家の系譜もアイリッシュ→ユダヤと移行している。@Sonopapa @royterek
2015-03-09 09:41:50@kentarotakahash 健太郎さんには釈迦に説法ですが、アメリカ音楽史ではもう白人/黒人という単純な二項対立は機能しない、ということを大和田さんが『アメリカ音楽史』でも示されていたと思います。ニューオーリンズ音楽などはその意味でホントにおもしろいです。@royterek
2015-03-09 09:47:39ミンストレル・ショーの話で思い出したんだけど、アル・ジョルスンってアメリカのユダヤ人が黒塗りで黒人を演じてショーをやってたの、最近読んだユダヤ関係の本に写真が載ってて知った。全然詳しくないからわかんないんだけど、ミンストレル・ショーが下火になった少し後かな。
2015-03-09 02:50:53「素人の劇場以外ですべて死に絶えた時」(ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F…)以降で、しかも、ジョルスンの場合は、そのいわばパロディで白人社会を逆に風刺する作風だったみたいね。理不尽に扱われた黒人アーティストをことあるごとに助けてたようだし。@TriflingDoodle
2015-03-09 03:05:11ジョルスンの決まり役は「ガス」という「機知に富み冗談好きな黒人奴隷で、自分の白人の主人たちよりつねに賢く、彼らが自分自身で生み出した問題を解決するのを助けた」en.wikipedia.org/wiki/Al_Jolson… ミンストレル・ショーを逆手にとったわけねw。@TriflingDoodle
2015-03-09 03:11:29粗暴なポーランド人貴族とその下でこき使われていたユダヤ人の関係そのものやん(笑)。@royterek:ジョルスンの決まり役は「ガス」という「機知に富み冗談好きな黒人奴隷で、自分の白人の主人たちよりつねに賢く、彼らが自分自身で生み出した問題を解決するのを助けた」
2015-03-09 03:24:50"The Price of Whiteness: Jews, Race, and American Identity"という本に、ユダヤ人社会とミンストレル・ショーとの関係に関する記述が少しだけありました。以下に訳を提示します。@Sonopapa @kentarotakahash
2015-03-09 13:32:28「明確な白人至上主義者の地位にあった一部のユダヤ人の存在にもかかわらず、南部のユダヤ人は概して人種問題への目立った政治的関与は敬遠した。その代わりに彼らは、黒人と白人の社会・文化的な区別(distinction)を単に支持するといった形で、控えめに自らの白人性を主張しようとした」
2015-03-09 14:04:34「たとえば、ニューオリンズでは、ユダヤ人のローカル新聞は黒人を風刺する方言訛りの物語を掲載し、黒塗りのミンストレル・ショーやディクソンの『クランズマン』のような芝居の上演のレビューを定期的に載せた。」
2015-03-09 14:04:50「…世紀転換期には、地元のユダヤ人たちは、アトランタの最初のユダヤ人居住者の一人の娘であったキャロライン・ハースは(アトランタの)町で「最初の白人の女の子」だったという都市建設神話をしばしば繰り返した。」
2015-03-09 14:05:52「ユダヤ人の出版物に加えて、ユダヤ人コミュニティ施設の舞台もまた、アフリカ系アメリカ人のきわめて矛盾に満ちたイメージを提示していた。アトランタでは、ユダヤ革新クラブやハダッサの地方支部がミンストレル・ショーを定期的に上演し、記録的な聴衆を引きつけた。」
2015-03-09 13:32:53「それほど頻繁ではないにしても、ミンストレル・ショーはまた、若者向けのリクリエーション施設であるシカゴ・ヘブライ協会の演目となり、1916年には独自の「ミンストレル組織」が設立された。」
2015-03-09 13:33:22「だが、これらの演目は他の音楽および演劇パフォーマンスと同時に行われ、そうしたパフォーマンスは、黒人文化に対する強い賞賛とともに、ほとんどの白人の社交クラブや組織で行われていた隔離(segregation)路線を拡大したいユダヤ人の態度を示していた。」
2015-03-09 13:33:39「シカゴ・ヘブライ協会の後継組織であるユダヤ民族協会(JPI)は、黒人音楽家を定期的に招き、1932年にはユージン・オニールの『皇帝ジョーンズ』の独自のパフォーマンスを上演した(そこで有名なアフリカ系アメリカ人俳優ジャック・スミスがJPIの劇団のメンバーらと並んで出演した)。」
2015-03-09 13:34:04「1930年代半ばまでに、アトランタのユダヤ人革新クラブでさえもノーブル・シスル楽団のような黒人グループを招き、彼らは南部の環境には珍しく暖かく迎えられた。」
2015-03-09 13:34:34ユダヤ人とミンストレル・ショーの話、ミンストレル・ショーは19世紀半ばから人気を得て、1890年代にはもう下火だったはずだが、ここに出て来るのは1898年以降の話。1916年なんてのは、もうアル・ジョルソンの時代だ。 togetter.com/li/792840
2015-03-09 15:15:39「(1920年代から1930年代にかけて)より多くのユダヤ人が黒人の公民権のための闘争で活動的となったことは事実だが、ユダヤ人の社会的行動様式やアフリカ系アメリカ人に関するユダヤ人の言説をより詳細に見れば、
2015-03-10 23:03:38アメリカの白人社会の威嚇的な社会的圧力から十分に解放され、黒人のための持続的で目立った活動に従事できたアメリカのユダヤ人は一握りの少数派に過ぎなかった」
2015-03-10 23:05:32