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  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:09:21
    あかんようになるかもわからんので、twitterに書いておきます。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:09:42
    もちろん原稿にもしますが、念の為。なにあるかわからんのでね。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:13:59
    椛島有三は、昭和20年 佐賀県生まれ。幼少のころ、生長の家に入信。そのころの生長の家がどれほどの国粋主義だったかは、当時の谷口雅春「限りなく日本を愛す」等を参照。 椛島はその後、昭和39年長崎大学に入学。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:15:04
    当時の長崎というか、九州は、エンタープライズ入港闘争とかで、左翼学生運動の盛んな土地柄。彼は、生長の家の国粋主義思想をもったまま、左翼学生運動が盛んな長崎大学に進む。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:16:47
    昭和43年1月。エンタープライズ佐世保入港事件。この時、椛島有三は、安東巌とともに、右翼学生集団を率いて左翼学生運動のエンタープライズ入港阻止デモ等にカウンターをかけてる。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:20:13
    椛島有三が長崎大学に進んだのは、教員になりたかったからだそうだ。 しかし、もう入学当初から、学生運動にもまれだす。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:23:27
    昭和40年。入学早々の椛島は、第一次長崎大学学館紛争に遭遇する。 (社青同といわれているが裏取れない)60年代に大阪外大で活動し、慶應闘争を経て、オルグのために長崎大学に再入学したプロみたいな左翼学生がアジって、長崎大学教養学部の自治会委員長になる。この学生がすごかった
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:25:39
    この左翼学生は、左翼学生運動のプロみたいなところがあって、教養学部自治会を掌握した後、学生を組織して、大学評議会に押しかけて学長をカンヅメにしちゃう。もちろん懲罰をくらうわけだが、これも計算のうち。この懲罰への同情から、左翼学生たちは、授業ボイコットをはじめる。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:27:25
    これに対抗したのが、一年生の椛島生長の家の学生サークル「精神科学研究会」(!)を率いて、学園正常化運動と称し、授業再開の論陣を張り、左翼側をひとりずつ論駁していく。 結果、学生大会の投票で授業ボイコットは一ヶ月未満で終わる。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:29:51
    昭和41年。「天才的オルガナイザー」と後年評される安東巌が長崎大学に入学。安東は、高校生の時に肺結核になり、生長の家の教えで生き残ったという人物。 肺結核の長期療養のため、大学入学したときは、27歳。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:32:58
    昭和41年7月。社青同解放派による、長崎大学西町学生会館占拠事件が発生。 椛島 安東 および日下部隆の三名は、「学生有志会」を結成(むろん母体は生長の家)し、占拠反対スト反対の論陣を張るが、リンチにあうなどして、苦戦する
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:35:21
    彼ら民族派学生運動は苦戦するも、椛島 安東の配下の日下部が、教養学部自治会委員長選挙に立候補。民青や反帝学評の対立候補を抑え、委員長に就任。 60年代以降、民族派学生が自治会を掌握する、全国初のケースとなる。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:36:53
    このとき、椛島 安東コンビがとった戦略が、「自治会とサークルと一般ノンポリ学生を組織化する」という手法。 この手法は、「長崎学協方式」と呼ばれ、九州の各大学に広がっていく。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:38:34
    ちなみに。。。この 「自治会 サークル 一般ノンポリ学生の有機的な組織化」っていう長崎学協方式って、「国会 日本会議 一般市民」って図式と同じね。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:41:20
    とまれ、長崎学協方式は、左翼学生に抑圧されてた右翼学生の希望の光になる。 椛島と安東は、この方式を九州の各大学に広げる。 (ここまでの記述は、犬塚博英「我が体験的維新運動史」による)
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:44:22
    九州の各大学に広がった長崎方式は、生長の家のネットワークがベースで、このネットワークによって、衛藤晟一井脇ノブ子など、各地の大学の生長の家系サークルが組織され「九州学協」が結成される。 九州学協の目覚しい活動は、全国の右翼学生に「九州に続け」とお手本のように扱われるようになる
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:46:15
    同時に東京でも、右翼学生。。。というか、生長の家の学生運動が中心となり、「反左翼」をスローガンにした右翼学生の組織化が始まる。左翼セクトに支配された早稲田正常化のためにできた早稲田学生連盟とかがそのハシリ。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:51:34
    この早稲田学生連盟の流れは、日本学生同盟になる(日学同)。 また、生長の家本体も学生の組織化をすすめ、「生長の家学生連合」(生学連)が全国的に作られる。 頭山満の三男 頭山秀光の流れをくむ日本学生会議とかができるのもこのころ。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:53:10
    九州でおこった九州方式や、東京の早稲田方式は、連携をとったものじゃないけど、同時多発的に発生してる。 まあ、あの頃の左翼学生運動って、運動そのものが自己目的化したところがあって、正直、左翼以外の学生にとったら、「迷惑」でしかなかったから、対抗しようとおもうのも無理はないわな。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:57:45
    とまれ、横暴を極め内ゲバリンチなどを起こす左翼学生運動へのカウンターとして全国各地に同時多発的に発生した、右翼学生運動は、当然の事ながら、「右翼版、全学連作ろうぜ」と糾合する動きになる。ベースとなったのは、最大の組織力を誇る、生長の家学生連盟
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 00:58:50
    それに、右翼学生運動の九州のスターは、椛島安東。 東京のスターは、鈴木邦男みんな生長の家の信者だし、生長の家を軸として集まるのは当然の帰結だった。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 01:05:48
    生長の家学生連盟を基盤に、九州方式を運動方針としてすえた、全国学協が結成されるのは、昭和44年。 委員長 鈴木邦男 副委員長 井脇ノブ子 副委員長 吉村和裕 書記長 安東巌 が、執行部の顔ぶれ。 椛島有三は、九州学協代表として、中央執行委員の一員になる。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 01:07:39
    ちなみに、「新右翼」という言葉の初出はこのころ。 彼ら右翼学生運動が自分たちを新右翼と呼んだわけじゃない。猪野健二がこのあたりの学生運動を追いかけてて付けたネーミングが「新右翼」 猪野健二によると「左翼学生運動に理論的に対抗できる」というのが、「新右翼」の定義だった
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 01:12:24
    全国学協は目覚しい成果をあげ、つぎつぎと全国各地の大学で自治会選挙に勝ち、左翼各セクトから自治会を「解放」していく。 この成果を踏まえ、「全国学協(=生長の家)を中心に、右翼版の全学連つくろうず!」という動きが出、準備会がスタートする。
  • 菅野完 @noiehoie 2015-03-08 01:15:45
    しかし、時代が遅すぎた。 もともと、右翼学生運動は、左翼セクトへのカウンターとして発生している。 全国学協がセクトから学校を解放しだしたのは、昭和44年。安田講堂の翌年だよ?日大紛争だって、44年には下火になりつつある。 つまり、右翼学生運動は、「敵」を失った。

コメント

  • 堀家康弘 @kounodanwawoma1 2016-05-12 13:29:25
    何をもって「右翼」と呼び、何を持って「左翼」と呼ぶか? 昔は共産主義とそのシンパを左翼と呼んだ。しかし今はそうではない。普通の人でも、歴史修正主義に対抗する人々はすべて「左翼」と呼ばれている。言葉の意味がスライドしたのはなぜか、考える必要がある。昔は左翼がこの国を共産化することを企んでいたが、今は右翼がこの国を再び国粋主義国家にすることを策謀している。それはいわば乗っ取り計画なのである。
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