「慚 (hiri) がないとき智慧 (panna) は存在しない」(スッタニパータ註)をめぐって

上述のパーリ経典の註釈をめぐる @suhamma さんと @ooo157 さん両氏のやりとりをまとめました。
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યુતકકવસકિ @suhamma

「慚 (hiri) がないとき智慧 (panna) は存在しない」(スッタニパータ・アッタカター p.146)ってどういう事なんだろうか。。。私が恥知らずなので理解できないだけなのか。

2010-12-14 09:15:55
o @ooo157

@suhamma それは恐らく此縁性に当てはめて、「因として慚がないとき果として智慧は存在しない」という意味で、要するに慚のない人は行によって智慧を生じられないという意味だと思います。Sn. ad 何番でしょう?>「慚 (hiri) がないとき智慧 (panna) は存在しない」

2010-12-14 11:58:56
o @ooo157

@suhamma ついでながら、本覚門は、凡夫あるがままで悟りという意味の現状肯定・現法涅槃ではなく、あくまで外来の無明・煩悩がなくなった本来の境地ではという意味で、少なくとも認識が聖者のものになっているはずです。これはサハジャもマハムドラーもゾクチェンも同じだと思ってます。

2010-12-14 12:02:45
યુતકકવસકિ @suhamma

@ooo157 返事が遅くなり失礼しました(仕事中なもので)。Sn 77に対する注釈ですね。

2010-12-14 15:37:44
યુતકકવસકિ @suhamma

@ooo157 それから本覚門についてもありがとうございます。「聖者の認識では」がないと、本当にただの現実賛美になってしまいますね。

2010-12-14 15:39:56
યુતકકવસકિ @suhamma

朝の「恥と智慧」の話。Pj II ad Sn 77(村上・及川訳):…ちょうどバラモンの場合、轅が軛と鋤とをつなぐように、そのように世尊の場合にも、慚は世間〔智〕と出世間智と呼ばれる軛と鋤とをつなぐ。慚がないとき智慧は存在しないからである。(続く)

2010-12-14 15:47:41
યુતકકવસકિ @suhamma

(続き)ちょうど轅に結び付けられた軛と鋤は動かず弛まないで作動するように、そのように慚に結びつけられた智慧は無慚によって邪魔されることなく、動かず弛まないで作用する。

2010-12-14 15:47:59
યુતકકવસકિ @suhamma

この、hiri が lokiyapaññā lokuttarapaññā とを繋いでいる、というのもよくわからんのだよな。。。

2010-12-14 15:49:28
o @ooo157

@suhamma さんにパーリの話を私がするのもなんですが、『清浄道論』によると世間智は聞思修の智慧(PTS510)で、出世間智は羅漢果などの四智(PTS672)なので、聞思修の智慧を得ても恥がなければ、心を抑制できないので四智の果は得られないということではないでしょうか?

2010-12-14 21:55:05
યુતકકવસકિ @suhamma

@ooo157 いえ、ありがとうございます。パーリといっても、そのような教義的な話は詳しくないので、ご教示いただけて大変助かりました。

2010-12-14 21:57:35
યુતકકવસકિ @suhamma

しかしそうすると、hiri というのは相当に重い役割を仏典で担わされている事になるな•••

2010-12-14 22:00:43
o @ooo157

@suhamma いろいろ重要ですよ。信、念、知とか。要するに完全で正確な仏教の理解があっても、それを身口意に適応するためには、自覚とか恥じる心や、仏教に対する信がないと全く効果がないどころか、慢心・傲慢・尊大といった悪い働きの基になりかねませんから。仏教を真にするのは難しいです

2010-12-14 22:11:32
યુતકકવસકિ @suhamma

@ooo157 心をどう納めるかという事に行き着きますよね。そう思うと、仏教を行うのはとても難しい事だと感じます。私個人の興味で言えば、ジャイナはあまり「恥」という精神状態に言及しないので、パーリ仏典が非常に多くの場所で恥に言及する事が興味深いところです。

2010-12-14 22:22:15
યુતકકવસકિ @suhamma

頁数が少なく舌足らずですが、ジャイナの「恥」については拙稿をものしたことがあります。http://bit.ly/eAfW4G

2010-12-14 22:26:49
o @ooo157

@suhamma そうです。そうです。仏教はあくまで心を主とします。パーリ・ニカーヤでも現象・身体中心のジャイナと動機・心中心の仏教で意見が分かれる話が、ありますよね。私はジャイナはほとんど仏典のみでしか知らないのですが。この心に深く沈潜した行が本覚等の高度な見解だと思います

2010-12-14 22:31:56
યુતકકવસકિ @suhamma

@ooo157 ジャイナの身体主義は、古いほどそうですね(心や動機を無視するわけではないですが、結果を重視する傾向が強いです)。

2010-12-14 22:44:53
o @ooo157

@suhamma 御高論拝読、Pj を問題にされていたので清浄道論を出したり、あのように述べたのですが、御高論からすると問題点が違うようですね。御高論からすると Pj の解釈は置いて、Sn などの所謂苦行者文学に限定して用例から、hiri の意味を見た方がよいかと思いました。

2010-12-14 22:50:06
o @ooo157

@suhamma 苦行者文学での hiri の意味は、もちろん私は分かりません。 やっぱり、ジャイナはそうなんですね。私のイメージは体育会系ですね。それに比べて釈尊は融通無碍で優しい。

2010-12-14 22:52:49
યુતકકવસકિ @suhamma

@ooo157 早速に目を通していただき、ありがとうございます。Pj や Vism も最終的には見て行かねばならないと思い一応目を通してはいるのですが、解釈自体の背景にある仏教教理を知らない為に却って苦労します。ですので、今日の様にご教示いただけるのは大変助かりました。

2010-12-14 22:57:54
યુતકકવસકિ @suhamma

@ooo157 あと、初期のジャイナは明らかに体育会ですね。後にはヒンドゥー世界での生き残りのために、ずぶずぶになりますが。。。

2010-12-14 22:59:45
o @ooo157

@suhamma Vism は美しい行者の体系だと思います。一通り、アビダルマ仏教を知るには最良だと思いますが、アビダルマの限界があると思います。ずぶずぶはどうなのでしょう? 仏教も密教はヒンドゥーへの迎合と言われることがありますが、私は全く反対です。心・知覚の深層に潜っていった

2010-12-14 23:04:30
o @ooo157

@suhamma と思うのです。これは間違いないと思います。ただし、本覚を誤解した人がいたように密教も誤解した人がいたようです。部派とかがヘールカ像を破壊したとありますし。役に立ったように言っていただき、ありがとうございました。そろそろ寝ます。

2010-12-14 23:07:39
યુતકકવસકિ @suhamma

@ooo157 ジャイナが「ずぶずぶ」というのは、思想の深化というよりは本当に現実との妥協の産物、という場合が多いように感じます。こちらこそ、遅くまでのおつきあい、ありがとうございました。

2010-12-14 23:10:20