2015年3月12日

大半の日本人は玉音放送を理解できなかった ~ 『マッサン』から語る終戦日の記憶

NHKドラマ『マッサン』での玉音放送に皆で涙するシーンに覚えた違和感を通して、 戦争体験者@kikutomatuさんが終戦日の記憶を語る
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ミゾイキクコ @kikutomatu

今日のマッサン、玉音放送を聞く場面。皆が泣いているが、あれはないとおもう。私の周りで言えば、陛下の言っていることがわかる人はほとんどいなかった。むずかしいことば。あんなの高小卒がほとんどであった当時、いみがわからない。おまけによくききとれない。

2015-03-11 07:54:54
Mochii @Mochii5

@kikutomatu ハハハ、実体験は強しですね。うーーーん、納得です。 予告で見てあのシーンが一馬の戦死報告なんだと思いました。まあ、どちらにしても戦死なんですけどね。悲しいことです。無慈悲なことです。戦争は。。。

2015-03-11 08:01:32
ぶんた @s_bunta

@kikutomatu 玉音放送のすぐ後ってとんな感じだったんですか?ドラマだとみんな神妙な面持ちでこれからどうなるかの不安いっぱいって感じですが?

2015-03-11 08:08:37
蒼い風 @aoikaze0513

…耐え難きを耐え、忍び難きを忍び… 以て万世のために太平を開かむと欲す。 玉音放送、よく聞く部分。 日本語だけどむずかしい。当時もどれだけの人が理解できたのか? (・_・; #マッサン

2015-03-11 08:12:42
ナッツ @nuts12

マッサンは玉音放送理解してて、高学歴だったというのが思い起こされるシーンだった。

2015-03-11 08:13:18
Abeたん(*`・ω・´) @dicke5

実はこの時の玉音放送、陛下は古語を使われていてほとんどの日本人は敗戦を理解していなかったんだよな。 (つ・ω・。C) #マッサン #nhk #ニッカウヰスキー #太平洋戦争 #終戦

2015-03-11 08:14:34
ミゾイキクコ @kikutomatu

@Mochii5 おはようございます。玉音放送を理解し、戦争に負けた事を皆に伝えても誰もなきませんでした。此れからは松の根掘らなくて良いんだね、というていど。ただ一人泣いたのはお隣に東京大空襲で大火傷して避難してきていたおばさん。家をやかれ、自分が大火傷したのは何だったのかと

2015-03-11 08:18:41
ミゾイキクコ @kikutomatu

@s_bunta そんなこと考えたのはインテリだけですよ。当時ほとんどが高小卒。ものをかんがえないひとたち。なるがままに生きる人がだいぶぶん。戦争なればなったで、おわればおわったと。

2015-03-11 08:25:26
ぶんた @s_bunta

@kikutomatu そういうものなんですね。ドラマとかだと玉音放送後、劇的な変化みたいになりますが、現実はもっと淡々としてた感じですか

2015-03-11 08:31:41
ミゾイキクコ @kikutomatu

@s_bunta いつの時代も、社会のことを考えるのは一部の人。かんがえられないひとが大部分。いまの社会についてもそうですよね。ツイッターなどやっている人以外の人の情報源はテレビ。危機感なぞもっていないんですよね。当時ラジオのある家は少なく、新聞も購読する人は一部。そんな時代。

2015-03-11 08:49:33
chidori @mscaitlinlin

@kikutomatu 昭和9年生まれの母もそう言っていました。雑音で全然聞き取れなかったと。

2015-03-11 08:54:39
ミゾイキクコ @kikutomatu

@s_bunta だから何かを考えたり、心配する要素がないんですよね。 ひびのせいかつがいっぱいなんです。通信手段がいまとはかくだんにちがうし、教育程度も格段に低い時代、ある意味のんびりのどか、おめでたいひとびと。ともいえたかも。

2015-03-11 08:55:51
ぶんた @s_bunta

@kikutomatu キクコさんは敗戦から震災などの経験をし、高度成長、バブル崩壊、どん底経済も見てきて、政治も今は左から右寄りになりつつある今の日本も本質的にはあまり変わってないと思いますか?

2015-03-11 09:00:42
ミゾイキクコ @kikutomatu

@mscaitlinlin そうなんです、所によりききとれなかったようです。私の所はききとれましたが、何しろ11歳いみがわかりませんでした、耐え難きを耐え、忍び難きを忍びだけよくおぼえています。

2015-03-11 09:01:31
ミゾイキクコ @kikutomatu

@s_bunta かわらないんですよね。おなじことのくりかえし。歴史に学ぶ人は極一部。そういう人のいうことを理解するひとはすくなく、おろかなひとのいうことをきくひとがおおいんですよ。同じ程度の人のいうことはわかるんでしょう、きっと。

2015-03-11 09:08:14
peace_and_happiness @peace_and_happi

@s_bunta @asigaranyanko @kikutomatu あとはややリテラシーの高い層は「やっと終わってホッとした」。うちの祖父母が言ってた。

2015-03-11 09:21:49
ミゾイキクコ @kikutomatu

@peace_and_happi やれやれかんをもったインテリ層はあったとおもいますよね。庶民の間では、ああこれで空襲がなくなるとあんどしたひとはおおかったですね。

2015-03-11 09:37:48
ミゾイキクコ @kikutomatu

@peace_and_happi イヤな時代が終わったというきもちですよね。

2015-03-11 09:38:40
すちーぶ @stepan_yanaka

@kikutomatu @tatitakumi @s_bunta  おはようございます。横レスポンス。 ミゾイ様説・納得出来ます。

2015-03-11 09:40:15
peace_and_happiness @peace_and_happi

@kikutomatu 祖父母はインテリというより、リテラシー高めの庶民層でした。少なくとも「皇国のまさかの敗北に戸惑い泣く」「お国や天皇陛下の今後を案じて泣く」のはあり得ないとのこと。

2015-03-11 09:49:25
ゆういくお♂ @yuuikuo

@kikutomatu おはようございます。私の母も同じような状況でした。なんとなく負けた事がわかり、悲しみより、疎開先から東京の親元へ戻る安堵感でいっぱいだったと聞きました。

2015-03-11 09:49:46
ミゾイキクコ @kikutomatu

@peace_and_happi そうですね、国がどうなるか、天皇がどうなるかなぞかんがえてなくなぞないですよね。

2015-03-11 09:55:03
ミゾイキクコ @kikutomatu

所詮庶民にとって、戦争も自分に被害のない人は他人事。被害受けた人達の事皆で考えられるなら、そんなことがない様にとかんがえるもの。一部の意識の高い人だけが考えていることはおおくのひとにりかいされない。皆の意識が底上げされなくては。テレビだけからでなく、情報がえられる事も必要。

2015-03-11 10:07:12
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コメント

後藤寿庵 @juangotoh 2015年3月12日
1945年8月15日正午の放送は、天皇陛下の玉音のあと、アナウンサーが同じ内容を奉読、鈴木総理の内閣告諭、御前会議の様子、ソ連を通じての和平工作が失敗し、ポツダム宣言受諾に至った過程の説明などがあったようなので、実際結構細かいところまで語られてたっぽい。玉音放送そのものが意味不明でも、放送自体が聞き取り可能であればその後の解説で理解できたと思われる。
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狼吼 @wolf_howling 2015年3月12日
当時、中学生だったオジキ達は聴いて泣いたって言ってた。ちなみに一人はその後、東大、もう一人は慶応卒
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ひろっぺ@ゆっくりマスク&手洗い&うがい @hiroppe3rd 2015年3月12日
天皇陛下の直々のお言葉がラジオから流れた時点で何かを察して、耳を傾けた人は結構居たんじゃねぇの。 ラジオ持ってる時点で普段から聞いてるわけだろうし、、、まぁ何処吹く風な感じの鈍感な人も多分にいただろうけどね
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ロンサムプアー @lonesomepoorman 2015年3月12日
庶民にとって戦争さえ他人事か。目の前のいざこざだって見てみぬふりをしてしまう。
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四条あき @Aki_Shijou 2015年3月12日
泣いた人もいるし泣かなかった人もいる。泣いたからおかしい、泣かなかったからおかしいではない。
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四条あき @Aki_Shijou 2015年3月12日
考える一助になれば:荻上チキSession22  「終戦の日に考える。玉音放送とラジオの役割とは?」 2013.08.15: https://youtu.be/9H4MsM6shhg @YouTubeさんから
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川田零三 @kawada0zo 2015年3月12日
村人がラジオの前に集まって玉音放送を聞くが、皆意味が分からない。主人公の少年と親しいインテリ男だけは理解して「日本が負けた」と言うと「そんなわけあるか!アホ言うな!」と集団リンチに遭い、「アホはどっちや…」と言って息絶える…という場面が何かの文学作品にあったんだが、作者もタイトルも思い出せない
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ぼんじゅ〜る・ぼんそわ〜る @France_syoin 2015年3月12日
銃後への憂いってのは開戦当初からあったからなw食べ物に不足がなく空襲とかがなかった地域なら我関せずって人も多かったと思うぞw
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FX-702P @fx702p 2015年3月12日
東京大空襲で浅草鳥越を焼け出された祖父母は日々の暮らしに追われて大変だったらしいけど、それでも当日「戦争は日本が降伏して終わった」とは把握したらしいので、まぁ玉音放送そのものが理解できなくてもそういう人はそれなりにいたとは思ってます。
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nekosencho @Neko_Sencho 2015年3月12日
ラジオや放送の品質も今とは違うしな。文章がどうこう以前にろくに聞こえなかったって話も聞いたことがある
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sukebenayaroudana @Sukebenayarouda 2015年3月12日
昭和20年8月15日当時、東京の亀戸にある日立製作所の工場に勤労動員で働いていた父によれば「正午に重大な放送があるということで午前中の操業をはやめに切り上げて、講堂(?)に集合した。放送自体は雑音が多くほとんど聞こえなかった。ただし、工場長(?)が『ただいまの放送は日本が無条件降伏したという趣旨のものだ。誠に聖上に畏れ多いこととなった。戦争は終わったが、今後も諸子は御国に粉骨砕身せよ。』と訓示したので、終戦だとわかった。あらかじめ幹部には終戦ということが伝わってようだ。」
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sukebenayaroudana @Sukebenayarouda 2015年3月12日
ちなみに訓示通り午後も作業はあったはずだが、皆放心状態で『負けたのに勤労動員もなにもない』ということで、午後はさぼって家に帰ってしまった。どうやって帰ったかはあまりおぼえていない。ただ、自宅近くの駅のベンチでぼーっと長時間座っていたのは記憶にある。上空を赤トンボ(日本軍の練習用飛行機)が飛んでいるのをみて、『日本は負けたのに、飛んだって無駄だ。ああ、全部が無駄だ。』と思ったのをおぼえている。」
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sukebenayaroudana @Sukebenayarouda 2015年3月12日
しばらくは虚脱感しかなかった。9月くらいになって『ああ、俺は死ななくてすむんだな。どうやって生きていくか考えないと。』という気分になった。」(父は9月に徴兵検査を控えていたから余計そう思えたのかもしれない)
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くすき @kusuki_xx 2015年3月12日
祖母は当時24歳、天皇陛下(当時は呼び方が違うかも)からお言葉があるらしいからと近所の人達が集められてラジオを聞いたそうです。 言っている事はさっぱりわからないけど、聞き取れた人から人づてに「戦争が終わったらしい」とわかったそうです。当時近所の旦那さんに赤紙招集があったのに床下に隠れて出兵していない人がいたので「これで追われなくて良かったね」と主婦友と話題にしていたとのこと。
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くすき @kusuki_xx 2015年3月12日
その人の性格によるんでしょうけど、東京ほど空襲が酷かったわけでもないので(爆弾を落とされたりはしてた)、戦争が終わった→あぁ良かった。という感情しかなかったのかも。 その時点で祖父も出兵していたんだけど、あまり心配していなかったのかな?(= =;)
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ざの字 ワクチン接種2回済み @zairo21 2015年3月12日
ちょうど自分もそのシーンは見てたけど、このまとめ見て思ったのも、ああ ドラマも 漫画と同じで シーンはデフォルメされた記号 として察知し 趣旨を理解しないと いけないなと思った。 実際はどうだったの?と考証することは大事で、更に、コメント欄の他の方の投稿で補完できたことも幸いです。
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すみ27 @sumi_nina 2015年3月12日
放送の意味を理解した人も理解出来なかった人もいるし理解したくなかった人だっていただろう。泣く人も泣かなかった人もいただろう。泣く人だってその涙の意味はみんな違う。それは別に昔だから今だからって話じゃない。
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ざの字 ワクチン接種2回済み @zairo21 2015年3月12日
多分 「ドラマでは玉音放送とは?このように再現するものだ」というフォーマットが浸透してもいるんでしょう。何回もこのシーンを他の映画やドラマで見てきた私や他の人は、そこを軽く流してました。ただこの疑問は「実際どうだったの?」とTVのドキュメントで、そのシーンを再現ドラマですると?それはそれで面白いとは思います。
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橋川桂(CV・山下大輝) @hashikawa_kei 2015年3月12日
まったくの余談ながら、玉音放送を司会進行を担当したのは名アナウンサーといわれたNHK和田信賢氏。 http://homepage2.nifty.com/koyo47/CB/CB101116sososounandayo.html
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しぇりりん(スイミン不足) @m_sheririn 2015年3月12日
そもそも当時は陛下の声を知らない人のが多かったと思うし、玉音放送そのものよりその後どうなったか言われて始めて知った人も居たと思うけど、マッサン自体が戦争描いたドラマでないからその辺は詳しく書かないだろうねぇ
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NiKe @fnord_jp 2015年3月12日
私の父親(故人、終戦当時は20歳前後)は、玉音放送の話はしなかったけど『「陛下」とか呼ばずに「天ちゃん」と言っていた』とか言ってたんで、昭和天皇をいちいち崇め奉らない庶民は結構多かったみたいですよ。
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sukebenayaroudana @Sukebenayarouda 2015年3月12日
fnord_jp さきほどの体験談をはなした父はおそらくご尊父とほぼ同年代で、他界した母方の祖父は大正のはじめごろの生まれだったのですが、天皇観がぜんぜん違いますね。父は皇國史観というかなんというか、畏れ多くも天皇陛下におかせられては…的なのですが、祖父は文字通り「天ちゃん」でした。祖父は敬意と親しみを込めて「天ちゃん」なんだといっていましたが。大正デモクラシーの空気を吸っているか否かが結構重要なのかもしれません。
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肉まん @nikumanchu 2015年3月12日
自分の祖母も似たようなこと言ってました。「陛下~だなんて言ってなかったよ。」とか「モニョモニョ喋ってて何言ってるのか全~然聞き取れなかったわ~。」とか。どうやって終戦を知ったとかは聞き忘れました。戦争映画のような印象しか持ってなかった私は初めて聞いた時唖然としました。笑 どういう層が多いのか少ないのかは分かりませんけど。
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未知神明(みちがみ・あきら) @ontheroadx 2015年3月12日
当時を知ってる人が関係者・スタッフにいた時代(昭和の時代)は、多分もっとリアルに作ってたと思うんだよね。
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Gリング @mengere9 2015年3月12日
玉音放送は雑音が激しく聞き取りづらかった。「耐えがたきを耐え」の解釈でラジオの前の大人たちは意見が別れた。1「屈辱に耐えて敗戦を受け入れる」、2「耐え忍んで一億玉砕する」。通信の良好な役場の職員さんが夕方、メガホンを持って自転車に乗ってやってきた。「戦争は終わりましたよー!」大人たちはみんなホッとした顔をした。(映画「日本の一番長い夏」から、田原総一郎の8月15日の記憶)
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nekosencho @Neko_Sencho 2015年3月12日
その可能性もあるし、逆にタブーみたいなのが多かった可能性もあるよね、実際どうかは知らんけど
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なっと @niinata 2015年3月12日
ラジオが聞き取りにくいとか、言葉が難しいとかの下りを「マッサン」でやっても、視聴者の食いつきは悪いだろうし、15分番組で尺使う意味あんまりない場面だと思うがいかがか
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なっと @niinata 2015年3月12日
ラジオが聞き取りにくい・言葉が難しい、で敗戦かがすぐには分からない下りを「マッサン」でやったところで、視聴者の食いつきは悪いだろうし15分番組で尺使ってまで説明する必要あるのかな
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外太郎 留吉 @beembeemer 2015年3月12日
大正元年生まれのうちの祖母(健在、満103歳)と当時小学生の父親の証言に拠れば種子島の下田部落では放送は解説付きでしかも小学生の父にもちゃんと説明してくれる人が結構いたので理解不能ということは全くなかった模様 また朝から「今日は重要な放送がある」との予告が役場等からあったそうな 
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Toku @to970 2015年3月12日
「八月十五日の神話: 終戦記念日のメディア学」という本が面白いが、玉音放送を聞いて泣く国民の「やらせ写真」が作られていた話が紹介されている。皇居前広場で慟哭している有名な?写真は前日に撮ったものらしい。
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くるす;えすな @kurus_es 2015年3月12日
マッサンは見てないけど多分演出じゃね?って思う。 まあ当時内容が理解できないってのはよく聞く話しだよな。 先生とかが日本は負けたんだって話してたって言ってたし、あとラジオの音声が不明瞭で聞き取れないってのはラジオのメンテが悪いか山間部とかじゃね?
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LINTS⛸モモモフの人 @lints_ 2015年3月12日
泣いたら泣いたで「そんなことはない」と言われ、じゃあ泣かなければ泣かないで、きっと「あれが嘘だ」と突っ込まれるのが予想できる訳で。『自分の知ってる出来事』が『日本全ての現実』ではないので、ドラマはドラマと一泊置いて、興味がわけば自分で調べるなり補完するのが吉かなと思う
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三月レイ@内調39課ニコ技室 @mitsukirei 2015年3月12日
このおばちゃんが語る必要ない程度に有名だと思ってたんだが。昭和は遠くなりにけりってか。まー戦争の記憶って前線での戦いやら銃後の守りだけでは無いんだけどねー。
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KITI @KITI_TW 2015年3月12日
漫画のはだしのゲンを読んだ記憶だと、ゲンら生徒達は意味がわからなくてぽかーんとしてて、先生達は泣いてたような? 当時の学のある人なら理解できたが(または知らされていたか)、一般の生徒達には難しかった。友だち同士で見渡せば意味がわからなかった人ばかり、ということでは。マッサンは見てないけど、全員が全員泣いてたならそれもまた違うのだろう。
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三月レイ@内調39課ニコ技室 @mitsukirei 2015年3月12日
玉音放送自体、レコードへ録音したものを再生しての放送だし、音質はお察し。あらかじめ録音だったから、レコードを巡って一部が決起したりだの、無条件降伏の情報自体漏れてたし。
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iga9984 @iga9984 2015年3月12日
玉音放送中、負けたのがはっきり分かる文章は「朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四国ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ。」だけど…婉曲な言い回し過ぎて、雑音混じりだと多分理解できなかったろうなあというのは分かる。まあ、玉音そのものが分からなくても職場学校隣組単位で集められてるんだから、事前に幹部クラスには連絡行ってるんだろうね。でも余り「事前連絡」の話って聞かないなあ。午前中くらいには「職場の偉い人」クラスは知ってたんだろうか?
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深井龍一郎 @rfukai 2015年3月12日
「理解できなかった」と自分の経験で語っている人がほとんどいない件。いても「子供だったから」という理由で、「大半の日本人」とか非常に疑わしいのだが。
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iga9984 @iga9984 2015年3月12日
kurus_es ウィキペディアの「玉音放送」の項を見たら、①元々放送品質が悪かった、②それに加えて電波管制で全国一律の周波数であるうえ当日は電波出力を通常より大きくしていたため、放送局相互の電波が干渉して更に音質悪化、ということだそうです。
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3mのちくわ(20禁) @tikuwa_zero 2015年3月12日
NHK「この物語は実在の人物をモデルにしていますがあくまでもフィクションであり、登場する団体・人物などの名称及び事象・事件・事故などはすべて架空のものです」
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三月レイ@内調39課ニコ技室 @mitsukirei 2015年3月12日
「耐えがたきを~」と土下座の映像自体、後から作った映像って話だし、君が代や日の丸を否定する人が「玉音」は使うって皮肉ね。
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三月レイ@内調39課ニコ技室 @mitsukirei 2015年3月12日
あと、実際の終戦は降伏文書調印の9月2日って説もあるから。
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牧島師狼 @bokushisan 2015年3月12日
父が昭和13年、母が14年生まれなので確認した所、父は学校の校庭に大勢集まった中で聞き、聞いている最中から泣いている人も入れば雰囲気で察して神妙な面持ちになる人も居たと言っていました(父自身は聞き取れる言葉や周りの雰囲気で日本が負けたんだろうなとは思ったらしい)。母はラジオを持っている近所のお宅に集まって聞いたものの音が悪かったため良く分からなかったそうで、後から内容を確認して泣き出す人なら居たとの事。そんな二人はマッサンを毎日見ていますが、「ドラマだからねぇ」で割り切っております。
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はるを待ちかねた人でなし @hallow_haruwo 2015年3月12日
「人による」ってのは大概のことで真実だけど、よく知らないまま「人による」で済ますのと、人それぞれの違う話をいくつも聞いてから「人による」と感じるのは違うものだなと。まとめ+コメントの複数の方の話、勉強になりました。ドラマでの描写はちょいちょいある朝ドラでの終戦シーンのテンプレアレンジだなってだけで特になんとも。
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Toku @to970 2015年3月12日
ウィキメディア・コモンズにある玉音放送を改めて聞いてみた。http://goo.gl/mgY10M 雑音入っているし、抑揚の無い話し方で聞きづらいね。予備知識なく、いきなり聞いたら理解できないかもしれないな。
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未知神明(みちがみ・あきら) @ontheroadx 2015年3月12日
まあドラマ作りとしてありかなしか、ということでしょうかね。NHKのほうは見てないので何とも言えないけど、映画『二十四の瞳』では、玉音放送がはじまるのを聞こうとする児童・先生までを写して、場面が変わって夜になってた。
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ashen@お正月には @Dol_Paula 2015年3月12日
泣いた人もいれば泣かなかった人もいるでしょう。当時リアルで聞いた世代は当時は軒並み小学生だから理解できるとはおもえんし。そう考えるとなおさら玉音放送を聞いて「ホッとした」某少年Hは(略
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松平俊介@暑い @matu2syun 2015年3月13日
玉音放送、漢学者や官僚の間では「俗な文句使うんじゃねーよ安岡!」みたいな感じで、原稿を書いた安岡正篤が当時批判されていた模様。(塩田潮の著書に依る)「萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」という所の元ネタが宋の張載の(当時としては)有名な名言だったので、「格調が低い」と言われた。まあ、取り方はいろいろだなぁと…
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松平俊介@暑い @matu2syun 2015年3月13日
あ、安岡氏は原稿執筆メンバーの一人で、作った人は五人みたいですね。ただ、戦後の回想だとかなりの人がイミフだったようで、専門家と一般人の温度差が今よりも露骨だった。
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sukebenayaroudana @Sukebenayarouda 2015年3月13日
matu2syun 安岡氏は文法チェックが主だったのではないでしょうか。開戦の詔勅に文法的誤りがあったということで、今回は避けたかったと迫水久常氏が回想しているようです。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1215523697
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ほっこり @HokkoriCh 2015年3月13日
手前味噌ですが、時代や地域の違いによるコミュニケーションの問題についてのまとめたものをどうぞ。玉音放送についてもちょっとだけ触れています。 http://blog.livedoor.jp/hokkori_ch/archives/24439746.html
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カワイ韓愈/카와이 한유/卡哇伊韩愈 @kawai_kanyu 2015年3月13日
「惨害の及ぶ所、真に測るべっk べからざるに至る(噛んでる)」録音しなおせ、といつも思う
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げーぷ(Geb,Die SiSEK) @wildkatzeJPN 2015年3月13日
たしか、「ごちそうさん」の玉音放送のシーンは、泣く演出ってなかったと思う。め以子が「戦争終わったん?」って乾いたような、少しだけ安堵したようなセリフ回しだったと記憶してるケドね。
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松平俊介@暑い @matu2syun 2015年3月13日
Sukebenayarouda 開戦の詔に誤りがあったのは知りませんでした。安岡氏が語句や文章もいじっているという記録は読んだことがあるのですが…文法チェックだけなのかな?引用元は迫水広常氏の回想がソースみたいですね。いずれにせよ勉強になります。ありがとうございます。
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子ぬこ @konukopet 2015年3月13日
うちのばあちゃんは意味以前に音が悪すぎて何言ってるかわかんなかったって言ってたな…
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じゃじょ @shinobumojizuri 2015年3月14日
はじめて聞く玉音だよね?その前は恐れ多くて直接の声を聞くことはなかったんだから、何かはあるってわかったってうちの親たちは言ってた。ついでにいうと田舎の子供たちは泣かなかったみたい。
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よわめう🐏(牛丼短観) @tacmasi 2015年3月14日
"天皇の降伏放送をどんな気持で聞いたか―日本へ来た当時、私は機会あるごとに日本人に聞いてみた。「どうも聞き取れなかった」とまず答える人が多かった。はじめ私は、その言葉を、ラジオの機械が悪いという意味にとった。「ハワイではすっかり聞こえたし、完全な録音さえとったよ」と、私は不思議がったものだが、それは、意味が解せなかったということだった。情報に通じていた人たちは別として、一般の日本人は「大いに頑張ってくれ」と聞いたので「もっと戦争に精を出さなければいけないんだ」と思ったということだった。…
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よわめう🐏(牛丼短観) @tacmasi 2015年3月14日
…翌日の新聞ではじめて放送のただならぬ内容を知って驚いた。しかし多くの国民は、その意味を熟慮するよりも、ただ服従することに急だった。放送を誤解したことや、こんな重大事を易易と受け入れたなどということは、私には信じられないほどのことだった。そして、どうにも我慢ならないはがゆさを覚えた" ―オーテス・ケーリ『真珠湾収容所の捕虜たち』p.186
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KAkashi / 今木 洛 @maikakashi 2015年3月18日
マッサンて戦争ドラマだったのか(興味なし
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