仏教のはなし―文化的仏教のイロハについて-(番外編)

中村先生のツイート【仏教のはなし】は先生のホームページにまとめられておりますので、その周辺部分のお話と、同じ頃原田先生が法華経について面白い見解を話されたので、番外編ととして纏めてみました。
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Keishi N 中村圭志 @7AChips

これまでのツイート「仏教のはなし」をホームページwww006.upp.so-net.ne.jp/nkeishi/上にまとめておきました。まだ先が延々続くはずですが。www006.upp.so-net.ne.jp/nkeishi/bukkyo…

2015-03-31 12:28:09

中村先生の宗教的自己紹介

Keishi N 中村圭志 @7AChips

【宗教的自己紹介】宗教の話をするならば、どうしても自分の立場をはっきりとさせておかなければならないでしょうね。まず、外枠から説明します。家は日蓮宗です。北海道出身で、先祖は開拓時代に檀家としてあるお寺の創建にかかわったようですが、まあ、一族も私も、いわゆる「葬式仏教徒」です。

2015-03-22 02:59:49
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【宗教的自己紹介】幼稚園は小樽のカトリック付属のところへ行ったもんですから、それ御縁だか何だかなんとなくキリスト教にも親近感があります。いつのころか福音書に親しむようになったんですが、信仰とかそんなんじゃなくて、なんとなく「違和感がない」というか……。

2015-03-22 03:00:06
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【宗教的自己紹介】大学時代には、語学的興味から福音系の教会の人たちとつきあったことがあるんですが、お前は地獄に落ちるゾなんて言われることもあって、じゃあ、私を地獄に落とす神様って何なんだと考えてみたんですけど、どう考えても、神様自体が矛盾しているとしか思われなかった。

2015-03-22 03:00:27
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【宗教的自己紹介】そういう場面において、私をクールたらしめていたのは、もともと私が、自分自身や物事のあれこれの秩序について、神経質なくらい考えるところがあって、自分は底なしの虚無の上にあるという意識がある。だから宗教的な不安発作みたいなものには、ある程度慣れていたわけです。

2015-03-22 03:00:47
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【宗教的自己紹介】小学校時代に、熱を出したとき、親も兄弟もまったく救いにならない永遠の虚無という観念があり得ることをなんとなく感じたことがあります。しかし、同時に、そんなことを考えること自体を「馬鹿げたこと」として、「考えないのが健全」という思考も根強くある。

2015-03-22 03:01:05
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【宗教的自己紹介】さらに支えになったものとして、色即是空があります。中学時代に般若心経を暗記しまして、その相対主義が気に入った。中二病みたいなもんで、こういう世代には相対論みたいのがウケるわけですが、それがそのまま身についてしまった。だから、宗教的問題で思い詰めることができない。

2015-03-22 03:01:35
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【宗教的自己紹介】さらもうひとつ。自分の信仰が何であれ、親や先祖はどうなんだ、と。先祖が信じていなかったものを、自分が信じて救われてどうするんだと。これって、先ほどの「親も兄弟も救いにならない云々」とは逆の思考です。昔の日本人がバテレンを拒否したような感覚もまた、自分にはあった。

2015-03-22 03:01:57
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【宗教的自己紹介】仏教については、これが複雑すぎて何なんだかなかなかわからなかったんですが、だんだん見えてきたのは、仏教の歴史ってのは、それ自体が一種の「宗教学」をなしているということなんですね。この変幻自在な宗教は、宗教でありながら、宗教というものを観察するようなところがある。

2015-03-22 03:02:17
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【宗教的自己紹介】仏教には出家と在家という二制度がある。在家は出家を尊敬はするけど、いろいろな意味で留保つきである。そのような位置づけに、私のような懐疑主義者にして不可知論者も存在可能なのではないか。それは決して不決断とか無責任とかいうことではないのではないか……。

2015-03-22 03:02:33
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【宗教的自己紹介】しかし、もうちょっと積極的に何か主体的構えのようなものはないのか、と問われるかもしれません。そんなヒョーロンカじゃ駄目だよと。……それでいうと、私は自分では、すごく簡単に、「(ものごとは何事も)愛だよ、愛」と言ったりするんです。

2015-03-22 03:02:50
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【宗教的自己紹介】おととい中外日報にシャルル・エブドの風刺画問題について論評を書いたんですが、その話とは直接つながらないんですけど、風刺画みたいのについても、「絵は愛が無きゃダメよ」という感覚があります。絵に限らず、あらゆる表現行為は愛がなきゃ駄目である。

2015-03-22 03:03:09
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【宗教的自己紹介】物事ってものすごく因果が混み入っている。どんな人間もその混み入った因果の中で苦労して迷ってるんだと思うんですよ。ですから、究極を言うと、たとえ嫌な奴でも、恨みっこなし、としか言いようがないじゃないか……そんな感じで出てくるのが、私の「愛だよ、愛」なんです。

2015-03-22 03:03:29
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【宗教的自己紹介】じゃあ、お前、テロリストみたいのを相手にそんなことを語れるのかというと、仮にその現場で自分が取り乱してたりしたとしても、それはそれです。そういう時のことを今から心配する必要はない。なぜなら、今はその時じゃないのだから、今から何考えてもどうせ嘘になるんですよ。

2015-03-22 03:03:45
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【宗教的自己紹介】で、こういった自分の気持ちを分解してみると、そこには別にカミサマが出てくるわけではなく、むしろ、因果は複雑だ、という原初的な感覚があるばかりである。そういう意味で、縁起とか諸行無常とか諸法無我とか、仏教のロジックのほうがしっくり来やすい。

2015-03-22 03:04:03
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【宗教的自己紹介】だから、敢えて私は広義の仏教徒を自称しています。言い換えると、西方キリスト教はどうも強気すぎるぞと。因果の複雑さを抜きにして、すぐに神の正義をひっぱって来すぎるぞと。そういうクリスチャンばかりじゃないことはわかってんですが。……とりあえずそんなとこかな。

2015-03-22 03:04:21

仏塔と曼荼羅

Keishi N 中村圭志 @7AChips

タワー。写真はインドのアンドラプラデシ州のアマラーヴァティー大塔の復元模型です。田中公明氏が、これは龍猛が密教の金剛頂経広本を発見したという伝説の現場(南天鉄塔)であるか否かをめぐっておもしろい推論をしています(『両界曼荼羅の誕生』) pic.twitter.com/NGhSA7Gl04

2015-03-20 23:24:32
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Keishi N 中村圭志 @7AChips

すでに栂尾祥雲がこれが南天鉄塔だろうと推理していたとのこと。田中氏は、この塔にアーヤカ柱なるものがあることから、アーヤカ塔廟の意味でアーヤカチャイトヤなる語をつくれば、それは通俗語源的に「鉄塔塔廟」と解釈可能であり、まさしく南天竺の鉄塔となると。

2015-03-20 23:24:48
Keishi N 中村圭志 @7AChips

で、それとは別に、インドの仏塔が四方に四仏を排した曼荼羅的な構造に発展していたことから、仏塔から金剛界曼荼羅の五元的構造を思いつくまで一息だったと田中氏は推測。アマラーヴァティー大塔の場合は五本のアーヤカ柱が金剛界曼荼羅を想起させることを指摘します。

2015-03-20 23:25:06
Keishi N 中村圭志 @7AChips

だから数人いるナーガールジュナの一人がこの塔から金剛界曼荼羅の構造を発想したのなら、そこから南天鉄塔伝説が生まれたと考えられるかもしれない、と。 なんだか出来過ぎ? でもおもしろい。 写真は南天鉄塔で護法神と龍猛が交渉しているところ。 pic.twitter.com/xuT6V96QgV

2015-03-20 23:25:48
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髙山龍智🇮🇳जयभीम वाला @nagabodhi

@aizujin_k @7AChip @gishigaku @xiaoke_As 特に問題ありませんが南天鉄塔遺跡の候補地にはこのマハーラーシュトラ州ナグプール郊外のマンセル遺跡もあります。 pic.twitter.com/wGnwsRDI7v

2015-03-31 14:27:14
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髙山龍智🇮🇳जयभीम वाला @nagabodhi

@7AChip @aizujin_k @gishigaku @xiaoke_As 拙編『必生 闘う仏教/佐々井秀嶺』集英社新書137頁「南天鉄塔」も御高覧賜われば幸甚に存じます。

2015-03-31 22:41:43