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イシゲスズコ @suminotiger

オットスキー部員。 子が4人、あと亀とすっぽんとサワガニと川魚。

https://t.co/ehDvbiYtYw
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
子どもの頃に競争を避け、順位をつけない教育を受けた場合、大人になってから助け合い行動を取らない傾向があるという話をこの間聞いた。とても面白いと思って理由を聞いてみた。 tamesue.jp/20150314/
リンク 為末大・侍オフィシャルサイト 競争と助け合い 子どもの頃に競争を避け、順位をつけない教育を受けた場合、大人になってか…
イシゲスズコ @suminotiger
昨夜RTした、為末さんのツイート。すごく印象に残ってる。子どもたちと接していて最近その、能力的な差があるのは努力の差的発想をしてるように感じられることもあってそのことについて話すことも増えてきたから。
イシゲスズコ @suminotiger
息子たちと話してて感じた事は、人との能力差に気づかない考えない、ということは自分が何の才能に恵まれているのか自分が何が苦手なのかを自覚しづらいということでもあって、そっちの方が大きな問題なように私は感じてはいる。
イシゲスズコ @suminotiger
為末さんの文章の最後にも書かれていたことだけど、自分が何かの才能に恵まれている、ということに気づきにくい事、そしてそれが自分の努力ゆえではなく偶然与えられているという事、それを知らないで大人になるのは色々リスクが高そうで。
イシゲスズコ @suminotiger
そしてマイナス要素、先天的に苦手なことが何かを気づかないことで出来ない事が努力不足ゆえだと自分でも思い込んでしまうことで自尊感情が保てない状態になってしまう。
ぼのきち @bono_kichi
先RTに引用されていた大竹氏の指摘、非常に興味深い。反競争主義的で協力をもたらそうと考えた教育が、能力が同じという思想となって伝わると、能力が同じなのだから、所得が低い人は怠けているからだという発想につながったのではないだろうか。
イシゲスズコ @suminotiger
きのうどこかでちらっと見たのだけど、海外の子どもたちと日本とで自尊心のことを調べてて、海外の子たちが自分の中にその力を持っているのに比べて日本では他者からの賞賛や評価を頼りにしている傾向があるという研究結果があるとかそういうの。
イシゲスズコ @suminotiger
それって、結局基本的自尊感情が培われてこなかったから他者から与えられる栄養で社会的自尊感情を肥大化させて自己を保つしかなくなっている、ってことなのかなと。その、基本的自尊感情が培われない一つの要因がその、競争を避ける教育構造にあるのかなと。
毛糸マム @woolen_mum
@bono_kichi その逆バージョンになりますけど、学校教育の話だったか、「平等主義で皆同じでなければならないようにした結果、堂々と他人を妬むことが出来るようになった」みたいな文章を読んだことがあります。それと似てるな〜と。
あす @Cavahokkun
twitter.com/daijapan/statu… 競争をしないことの弊害とは、他人との能力差に気づかない、みんなと同じことが自分もできると言う「思い込み」 また、みんなが「みんな同じ」だと思ってたら、できることは出来るのが当たり前であって手を差し伸べる必要もない。
あす @Cavahokkun
「他人との能力差に気づく」と言うとネガティブ面ばかりが注目されがちだけど、人と接しないと自分のプラス面もマイナス面も分からない。 (それは先日いろんな方の思考の仕方について読んで特にそう感じた。)
ぼのきち @bono_kichi
@woolen_mum それも興味深いね。私達は同世代の人口も多くて、社会のあらゆる場で競争に疲弊していて、競争しなくていい社会への憧れがある気がする、というか私はあるのよね。みんな100点、手をつないでゴール、はそれが歪んだ形で出た施策で、でも本質的ではなかったなと思う。
イシゲスズコ @suminotiger
自分と同じ事がみんなもできる、みんなと同じ事が自分もできる、という思い込みは努力に繋げられる子も居るけど劣等感や出来ない子への厳しい視線に繋がることもあるから怖い。んで何が一番怖いって指導者や親がその目で子どもを見る可能性があるという事。
イシゲスズコ @suminotiger
だから子どもたちにはものすごく噛み砕いて、差があることは当たり前なのだということ、個人差年齢差環境差、子どもの年齢に合わせて目の前にある差を言語化してあげたいなと思う、できれば気づいて欲しいけどなかなか難しくて。
イシゲスズコ @suminotiger
ある程度は発達の過程で必要なのだよね、尊大な自己認識、んでそれが成長とともに打ち砕かれて現実を見て、っていう。でもその発達の過程がうまく進む為にはたぶん基本的自尊感情の根っこが必要で、それが無いからその過程でつまづくか、それが怖くて目をつぶって避けるかになるのかなと。
イシゲスズコ @suminotiger
〜〜すれば〜〜出来る人、という言葉を聞いて「努力すれば」がまず思い浮かぶ時点で自分も良く無いなと思う。
イシゲスズコ @suminotiger
努力はしろと求められることではなくて、意識せず内から出すものなんだろうなたぶん、そこを自分から始めないといかんなと。
イシゲスズコ @suminotiger
私がこのくらい頑張ったらできるようになったことを、違う人がどのくらい努力したら出来るようになるかとかそもそも出来るようになるのかとか、そこを、私は一生自分を基準にしか考えられないのだと言うことの自覚。

コメント

はむいち @hamuiichi 2015年3月16日
正しい努力の方向を学ぶには、何度もチャレンジして打ち砕かれて自分の強みとは何かを見つけていく過程が必要。なのにそれから目をそらそうとするから「みんな100点」という幻想に憧れをいだくんだよなあ。完全な結果の平等は完全な過程の不平等だともっと認識が広まって欲しい。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年3月17日
自分が出来ること得意なことは他人から請負い、苦手なことは人に頭を下げてお願いする。これが習慣として出来ないと、社会人になってからというか就職活動の段階でお祈りされただけで深刻に悩んでしまうことになる。出来ないことは恥じゃない、でも他人に頭下げて聞けない頼めないのは恥。
九銀@半bot @kuginnya 2015年3月17日
才能を見つけるのは大事。何も見つけられないと急速に自分自身の価値を見失う。
海田 @ym_ntnyb 2015年3月18日
個人差、才能差は厳然として存在するのに、公教育の過程自体がいまだにそれを軽視しているとしか思えない。「みんな同じ」と「みんな違う」はどちらも正しい言葉だが、カリキュラムが複数あるわけでもなく、また児童生徒個々をギフテッド判別する何かがあるわけでなく、また飛び級もない。これから子供の数が少なくなるばかりなんだから、個々の違いに焦点を合わせて教育政策を転換してもよいと思うのですがね。ナントカの一つ覚えみたく統廃合に血道あげて、学校の数減らしてる場合かね。
evacuated_man @evacuated_man 2015年7月30日
学力や運動だけじゃないく、美術や音楽、農業や対話活動など、いろんな分野のいろんなものさしがある。とうぜんそれだけいろんな人がいる。また、勉強一つとったって、その人に応じたいろいろなやり方がある。その多様性が当たり前であり、それが自分を生かしてくれるものだと実感できれば、自他の差を見つめる恐れは減るかもしれないね。
a @a1468 2018年7月16日
競争は有っても良い。問題は競争の結果が生命と人間の尊厳に影響を及ぼすこと。そのへんのいじめが亡くならないと競争の有無は大した問題にならない気がする。
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