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@pale_blue_loves ブルスカとは音楽創作サークルであり、その根源には「創作活動を通じて自己表現をしたい」という普遍的な欲求があることから、写真という時間と被写体を切り取る創作活動にハマることは何ら不思議な事ではない。
2015-03-18 22:02:16@pale_blue_loves しかし、釣りとなると話はやや繋がらなくなってくる。釣った獲物の魚拓でもとって誰かに見せたいというわけでもなく、釣りを通じて何か創作活動をしているわけでもない。
2015-03-18 22:05:21@pale_blue_loves 釣りに対する欲求とは何か、について少し考えたい。釣りにおける登場人物は自分と魚、魚を釣るための道具、そして魚が潜む環境である。そこには時間軸があり、環境は刻々と変化する。
2015-03-18 22:09:04@pale_blue_loves その環境の変化を読み、魚が釣れるであろう最適なポイント、エサ、釣り道具を選択し、自分のパフォーマンスを最大限に引き出す。あとは、魚と自分の勝負である。どちらのパフォーマンスが勝っているか。ただそれだけである。
2015-03-18 22:11:13@pale_blue_loves 魚が掛かった後の話をすると、まず魚が掛かったことを感知するのは釣竿を握った手だ。ウキなどの視覚的な感知情報もあるが、あれはあくまで補助的な位置づけであり、本質ではない。釣り人は、自分の手の感覚を一番に信頼するからだ。
2015-03-18 22:17:20@pale_blue_loves 手に伝わった感覚から釣り人はあらゆることを瞬時に推測する。魚の種類、サイズ、どのような性格か、など様々だ。その推測を元に、釣り上げるまでの戦略を練り、実行する。その間にもリアルタイムに釣竿へのリアクションは変化する。
2015-03-18 22:20:35@pale_blue_loves そのリアクションを元にまた戦略を練り直すか、このまま変えずに攻めるか、といった自問自答を繰り返す。どの選択肢が正解なのかは、魚と神のみぞ知る。
2015-03-18 22:22:39@pale_blue_loves 結果、釣り上げた場合、釣り人は喜ぶだけではない。自分の感知した感覚と選択した戦略を照らし合わせながら反省を
2015-03-18 22:26:23@pale_blue_loves 反省を行う。この反省こそが釣りの醍醐味である。自分のウィークポイントはなんだったのか。それを頭の中で整理しながらまた釣り糸を垂らす。もし満足できる領域に達したとしても、さらなる領域へ釣り人は飛び込んでいく。全く同じ釣りなど存在しない。
2015-03-18 22:34:48@pale_blue_loves 長々と釣りに対する大いに間違った考察をしたが、何かににていることに気づいただろうか。そう、ライブである。釣りは、音楽におけるライブに似ている。
2015-03-18 22:36:35@pale_blue_loves ライブの登場人物も、自分とオーディエンス、奏でる楽器、そして環境(楽曲自体、楽器以外の音響機器およびライブハウス)である。
2015-03-18 22:39:29@pale_blue_loves ライブは生き物とはよく言ったもので、まさしく釣りそのものを指している。ライブの場合、環境に左右される要因は釣りほどではないが、特定の環境で最高のパフォーマンスを求められると考えると、釣りよりも過酷かもしれない。
2015-03-18 22:51:44@pale_blue_loves ライブは生き物とはよく言ったもので、まさしく釣りそのものを指している。ライブの場合、環境に左右される要因は釣りほどではないが、特定の環境で最高のパフォーマンスを求められると考えると、釣りよりも過酷かもしれない。
2015-03-18 22:51:44@pale_blue_loves 楽曲が始まり、オーディエンスが耳を傾き始めると、魚との対話のごとく戦いは始まる。まずその感触を確かめるのは手であり耳である。オーディエンスの表情ではない。それよりも先に楽器を奏でる手の感覚と音で分かる。
2015-03-18 22:55:09@pale_blue_loves 魚の姿が見えないのと同じで、演奏中に信じられるのは自分の手であり耳である。そこには刻々と変化する楽曲があり、グルーヴがあり、一体となったライブハウスの得体の知れない空気が混じる。
2015-03-18 22:59:08